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湯王【とうおう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

湯王
とうおう
Tang-wang; T`ang-wang
中国,王朝初代の王。前 18世紀頃の人。『史記』によれば,始祖契 (せつ) から第 14世にあたる。甲骨文では唐または大乙などと呼ばれる。文献では天乙あるいは成湯という。亳 (はく) におり,伊尹宰相とし,周囲の諸侯を合せ,ついにを倒して殷を開いたとされる。古文献は,多く明哲王としてその徳をたたえている。

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デジタル大辞泉

とう‐おう〔タウワウ〕【湯王】
中国古代の殷(いん)王朝の創始者。成武湯武王ともよばれた。姓は子、名は履(り)といわれる。桀(けつ)王を討ち、殷を建国、亳(はく)に都した。

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世界大百科事典 第2版

とうおう【湯王 Tāng wáng】
中国古代殷王朝の創設者。の始祖契(せつ)より14世目。武湯,武王,天乙,成湯ともいわれ,卜辞では唐(湯と同音),成,大乙と書く。亳(はく)(河南省偃師県)に都をおき,伊尹(いいん)などの賢臣を用い,異民族をも心服させ,その徳は禽獣にもおよんだという。夏の属国の韋(河南省滑県南東),昆吾(河南省許昌県東)などを滅ぼして疆域を拡大した。夏王の暴政を行い,人心が離反したので,これを攻めて滅ぼし,殷王朝を創設した。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

とうおう【湯王】
中国、殷王朝の創始者。成湯ともいう。名臣、伊尹いいんらとともに夏の桀王けつおうを討って殷王朝を建国したという。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

湯王
とうおう
生没年不詳。殷(いん)王朝創始の王。始祖、契(せつ)より数えて14世にあたるという。『史記』には成湯、天乙といい、『詩経』には武湯、湯、武王ともいうが、甲骨文では唐、大乙、高祖乙などとよばれている。湯は亳(はく)に都を移し、葛(かつ)、昆吾(こんご)、三(さんそう)を征し、ついに夏(か)を討って桀(けつ)を破り、天子の位についた、という。湯の都したという亳の所在については古来異説が多いが、1983年、河南省偃師(えんし)県西の尸郷溝(しきょうこう)に、殷代初期と推定される城壁が発見された。南北約1700メートル、東西約1200メートル、面積約190万平方メートルの都城址(とじょうし)で、『漢書』地理志の「尸郷、殷湯の都せしところ」など、古文献に多く「西亳」とする地がこれであろうと推測されるに至った。[松丸道雄]
『中国社会科学院考古研究所河南第二工作隊「偃師商城発掘簡報」(『考古』1984年第六期所収・科学出版社)』

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