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洋学【ようがく】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

洋学
ようがく
江戸時代末期~明治初期に導入された西欧語学の研究,およびそれらの外国語を通して学ばれた西欧の諸科学,技術あるいは西欧事情の研究とその知識の総称江戸時代,鎖国時はもっぱら長崎を窓口としてオランダ語を通じて学問や技術を研究した蘭学が中心で,『解体新書』にみられるように実用主義的傾向が強かったが,ペリー来航以後,英語,ドイツ語,フランス語の研究に移り,内容も次第に人文社会科学の分野が学ばれるようになった。洋学は,日本の近代国家発足の思想的文化的素地を支えるものではあったが,それは啓蒙的役割にとどまり,開国後新たに移入された欧米の諸科学に次第に取って代られた。

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デジタル大辞泉

よう‐がく〔ヤウ‐〕【洋学】
西洋の学問。西洋の語学。

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世界大百科事典 第2版

ようがく【洋学】
江戸時代に移植・研究された西洋学術の総称。西洋学術の移植・研究がはじまるのはキリシタン時代で,当時それは〈南蛮学〉または〈蛮学〉とよばれた。ポルトガル,スペインなどの南蛮国から渡来した学術という意味である。鎖国後,代わってオランダ系学術が,長崎のオランダ通詞を中心に学ばれるが,それもやはり,〈蛮学〉とよばれた。オランダ系西洋学術が〈蘭学〉という名でよばれるようになるのは,江戸でオランダ解剖書が翻訳され,蘭書に基づく本格的な西洋学術研究が開始されて以来のことである。

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大辞林 第三版

ようがく【洋学】
西洋の学問。江戸末期以降、蘭学を含めた西洋の学問全般をさしていった。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

洋学
ようがく
江戸時代後期を中心にして、西洋事情・西洋科学に関して行われた研究およびその知識の総称。西洋の学術・文化・技術の日本への伝来は、16世紀中ごろ、キリスト教の布教とともにポルトガル人、スペイン人によって始まったが、これは南蛮学、蛮学などとよばれた。やがて江戸幕府が鎖国政策をとったことにより、西洋の学術・文化は、日本への渡来を許された唯一の西洋の国オランダが長崎出島(でじま)に建てたオランダ商館を通じて、オランダ語を介して移入されることになり、これは蘭学(らんがく)とよばれた。鎖国政策が緩み、開国政策がとられた幕末期になると、オランダ人以外の諸外国人も渡来するようになり、イギリス・フランスなどの学術・文化が、それぞれの国の言語とともに渡来した。洋学ということばはこの時期以降に一般化した。洋学は自然科学・社会科学・人文科学の広い分野で西洋の知識・学問を移入するのに力を発揮したが、ことに英学が蘭学にかわって主要な地位を占めた。[大鳥蘭三郎]

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精選版 日本国語大辞典

よう‐がく ヤウ‥【洋学】
〘名〙 西洋の学問。また、西洋の語学。
※三村晴山宛佐久間象山書簡‐嘉永三年(1850)四月二七日「糊口の為に東西南北の人と成り、儒業也、洋学也、医術也、何也、勝手次第に仕り」
※福翁自伝(1899)長崎遊学「都会の地には洋学(ヤウガク)と云ふものは百年も前からありながら」

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

洋学
ようがく
江戸後期の日本で紹介・研究された西洋学術の総称。蘭学のほかロシア語・フランス語・ドイツ語・英語による学問を加える
西洋学術への関心は18世紀初め新井白石・徳川吉宗に現れ,特に医師の中にオランダ医学に注目する者が現れた。18世紀後半,『解体新書』の訳出からオランダ語修得の気運が高まり,大槻玄沢・稲村三伯らが入門書・辞典を著してから普及した。医学紹介に始まり,ついで自然科学一般に拡大,蘭学塾も現れ,蘭学者は相互に協力しつつ活動した。幕府は19世紀初め蕃書和解御用を新設,蘭学者を登用し知識を吸収する一方,範囲を実用の学に限り,政治批判などは弾圧し統制した(林子平・シーボルト・蛮社の獄など)。幕末の内外情勢緊迫で統制は強化され,蘭学は兵術・砲術など海防・軍制改革に重点が移動した。諸藩でも田沼時代から蘭学を保護する大名があり,藩校にも採用し,殖産興業ついで軍備強化をめざした。ロシア語学習は18世紀末に萌芽があるが(大黒屋光太夫),開国前後から範囲が拡大し,特に英語を介しての英学が発展した。そして幕府の開成所においても,自然科学偏重から脱し,経済・法律・歴史・哲学などが訳出・研究され,明治期の新知識吸収の基礎をなした。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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