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法相宗【ほっそうしゅう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

法相宗
ほっそうしゅう
,応理円実宗,慈恩宗,有相宗,相宗ともいう。中国,慈恩大師宗祖とする大乗仏教一派。中国十三宗,日本八宗,南都六宗の一つ。宗名は諸法の性相 (本質特質) を分別,判断することに由来する。阿頼耶識を根本識とし,一切法は唯識所変であると主張する。源流インド弥勒の『瑜伽師地論』の唯識説に求められ,その後無着,世親などの十大論師が出た。護法の弟子戒賢から玄奘が唯識説を受けて唐に伝え,その弟子慈恩大師によって中国法相宗の成立となった。日本には白雉4 (653) 年に元興寺道昭が入唐して,玄奘から唯識説を学んで伝えたのを初伝とする。その後南都仏教の一派として興隆し,学匠が輩出した。現在では奈良薬師寺興福寺,京都の清水寺などがこの宗派を継いでいる。

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デジタル大辞泉

ほっそう‐しゅう〔ホツサウ‐〕【法相宗】
中国十三宗・日本南都六宗の一。瑜伽師地論(ゆがしじろん)成唯識論(じょうゆいしきろん)などを根本典籍とし、万有は識すなわち心の働きによるものとして、存在するものの相を究明する宗派。玄奘(げんじょう)の弟子、基(き)初祖。日本には白雉(はくち)4年(653)道昭が初めて伝え、平安時代まで貴族支持を受けた。現在、奈良の興福寺薬師寺を大本山とする。唯識宗。慈恩宗。

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世界大百科事典 第2版

ほっそうしゅう【法相宗】
中国仏教十三宗の一つ。中インドのナーランダ寺で戒賢に師事した玄奘(げんじよう)が,唐初に帰国して伝えた護法(ダルマパーラ)の《成唯識論(じようゆいしきろん)》の学説に基づき,《解深密経》《瑜伽論》などを所依の経論として,慈恩大師窺基(きき)が開宗した宗派。唯識宗,慈恩宗などともよぶ。法相とは諸法つまり万象が有する本質の相状のことで,識以外の何物も存在しないと説くのがインドで成立した唯識派つまり瑜伽行派であり,窺基は師の玄奘が訳出した《成唯識論》の注釈たる《成唯識論述記》などを著し,法相を五位百法に分類し分析的に説明した。

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大辞林 第三版

ほっそうしゅう【法相宗】
中国一三宗・南都六宗の一。唐の玄奘げんじようが伝えた護法・戒賢の系統の唯識説をその弟子の窺基ききが大成したもの。「成唯識論」などをよりどころとして一切の存在・事象を五位百法に分類し、すべての実在の根源は阿頼耶識あらやしきにあるとする。日本へは653年道昭により初めて伝えられ、のち、さらに三度伝来された。元興寺・興福寺を中心に奈良時代に盛んに行われた。現在の本山は興福寺と薬師寺。慈恩宗。唯識宗。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

法相宗
ほっそうしゅう
仏教学派。中国唐代、インドより新たな唯識(ゆいしき)教学を将来した玄奘(げんじょう)門下に興った。659年(顕慶4)、玄奘によって訳出された『成唯識論(じょうゆいしきろん)』を根本典籍とし、同じく玄奘による新訳の唯識諸経論に基づいて、法相(現象固有の特質)を分析し研鑽(けんさん)していったところにこの学派の特色がある。事実上の初祖は、玄奘の直弟子基(き)(窺基(きき)、632―682)であり、彼の進言により、護法(ごほう)釈を基準とする現行の『成唯識論』が訳出されることになったと伝えられている。基は、本書に対し、『成唯識論述記』(『述記』)、『成唯識論掌中枢要(しょうちゅうすよう)』(『枢要』)の両注釈書を著し、さらに『大乗法苑義林章(だいじょうほうおんぎりんしょう)』を撰(せん)して法相宗の教学を確立した。その批判の矛先は旧訳(くやく)の真諦(しんだい)系の教義に向けられたが、この系統の教義が真如(しんにょ)と諸法を峻別(しゅんべつ)せず真如に対する一元的志向が強かったのに対し、法相宗は真如が諸法となることはけっしてなく諸法自体の原理としての阿頼耶識(あらやしき)を強調した。基の弟子に法相宗第二祖となった慧沼(えしょう)があり、その主著が『成唯識論了義燈(りょうぎとう)』(『了義燈』)である。彼の弟子には智周(ちしゅう)、義忠(ぎちゅう)、道邑(どうゆう)、道献(どうけん)などがいる。智周が第三祖となった人で、彼は『成唯識論演秘(えんぴ)』を著した。法相宗では、基の『述記』を『成唯識論』に対する根本注疏(ちゅうしょ)とみなし、『述記』の補遺的注釈ともいうべき基の『枢要』、慧沼の『了義燈』、智周の『成唯識論演秘』を唯識三箇(か)の疏(しょ)とよんで重んじた。
 基から智周に至る三代がいわば法相宗の正系であるが、異系として代表的な人に円測(えんじき)がいる。彼は新羅(しらぎ)の出身でやはり玄奘門下であるが、玄奘に学ぶ以前に摂論(しょうろん)宗の法常(ほうじょう)や僧弁に受学したためもあって、真諦の教学に明るくその影響も強い。彼の弟子には同じく新羅出身の道証(どうしょう)や勝荘(しょうそう)がおり、正系を認ずる側との間に論争があった。法相宗は、唐初の中国仏教界に華々しくデビューしたが、三祖以後は振るわず、その伝承はかえって日本に伝えられ、南都六宗の一つとして栄えた。[袴谷憲昭]

日本

わが国への最初の伝来は、653年(白雉4)に入唐(にっとう)し直接玄奘について学んだ道昭(どうしょう)によるものとされる。のち智通(ちつう)と智達(ちたつ)が入唐し玄奘と基に学んだのが第二伝で、以上の二伝を元興寺(がんごうじ)(南寺)伝という。第三伝と第四伝は智周に学んだ智鳳(ちほう)らと玄(げんぼう)で、これを興福寺(北寺)伝という。法相宗の著名な僧としては、社会事業にも力を尽くした行基(ぎょうき)、最澄(さいちょう)の一乗思想を批判した徳一(とくいち)、日本法相唯識の集大成『成唯識論同学鈔(どうがくしょう)』の編纂(へんさん)を促した貞慶(じょうけい)、その弟子で『観心覚夢鈔(かんじんかくむしょう)』の著者良遍(りょうべん)などがいる。法相宗の教勢は鎌倉新仏教の隆盛とともにしだいに衰えていったが、その命脈は、法隆寺、興福寺、薬師寺などを中心に今日も継承されている。[袴谷憲昭]
『深浦正文著『唯識学研究』上下(1954・永田文昌堂) ▽富貴原章信著『護法宗唯識考』(1955・法蔵館)』

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精選版 日本国語大辞典

ほっそう‐しゅう ホッサウ‥【法相宗】
〘名〙 (「ほっそうじゅう」とも) 仏教の一宗派。奈良時代を通じて最も盛んであった、いわゆる南都六宗の一つ。解深密(げじんみつ)経・瑜伽(ゆが)論などをもとに、万有は唯識、すなわち心のはたらきによって表わされた仮の存在にすぎず、識以外の実在はないとし、万法の諸相(法相)を分析的、分類的に説くもの。この学は玄奘によりインドから唐にもたらされ、弟子の慈恩大師窺基より一宗をなしたが、日本へは白雉四年(六五三)入唐した元興寺の道昭以後、伝えられた。行基・良弁など多くの学匠を生み、また他宗の学徒も多くこれを学んだ。現在は興福寺・薬師寺(法隆寺は一八八三年聖徳宗として独立)を大本山に七〇余の末寺をもつのみである。法相大乗。唯識宗。ほうそうしゅう。
※百座法談(1110)三月二七日「属累品は法相宗の心はおくの勧発品の次におき給へし」

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旺文社世界史事典 三訂版

法相宗
ほっそうしゅう
唐代に成立した仏教の一宗派。唯識 (ゆいしき) 宗・慈恩宗ともいう
玄奘 (げんじよう) がインドで授された唯識学にもとづいて窺基 (きき) によって開かれた。唐代に盛んであったが,その後ふるわず,日本へ飛鳥奈良時代に伝わり,南都六宗の1つとして栄えた。

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旺文社日本史事典 三訂版

法相宗
ほっそうしゅう
南都六宗の一つ
唯識 (ゆいしき) を主張。653年入唐した道昭が玄奘 (げんじよう) から学び伝え,のちに玄昉 (げんぼう) もこれを広めた。元興寺・興福寺を中心に栄え法隆寺でも行われた。薬師寺が大本山。鎌倉時代に貞慶解脱)が現れ,戒律の復興につとめた。

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