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水軍【すいぐん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

水軍
すいぐん
船に乗って戦闘する兵力をいう。海軍。古くは「ふないくさ」といい,舟師,船師,水師などがみえ,『大宝令』では,兵部省下に主船司をおいて公私の船を管掌させた。平安時代中期以降は海賊衆警固衆と呼ばれた。海上交通の発達に伴い,普段は海上運輸に従事し,ときとすると海賊行為を行なった。瀬戸内紀伊,熊野,九州西部に早くから現れた。鎌倉~室町時代末期に活躍したものとしては,松浦氏小早川氏河野氏村上氏九鬼氏が著名である。豊臣秀吉の朝鮮の役 (→文禄・慶長の役 ) には,九鬼氏が大将として四辺の水軍を率いて従軍している。江戸時代に入って,幕府は船舶建造に大いに制限を加え,船手頭の下に御船手組をおいて統制した。嘉永6 (1853) 年,黒船の来航により,船舶製造の禁を解き,安政6 (59) 年,船手頭を廃した。

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デジタル大辞泉

すい‐ぐん【水軍】
水上で戦う武士団。特に中世、瀬戸内海や西九州沿岸で活躍した村上水軍松浦党が有名。
海軍。
「この小童、忽ち大志を生じ、―の人とならんと思い」〈中村訳・西国立志編

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世界大百科事典 第2版

すいぐん【水軍】
海上における武装集団。海賊衆警固衆などを指すこともあるが,彼らが大名権力に組織された状態をいうことが多い。海上交通の拠点となる沿岸島嶼に跋扈ばつこ)し,荘園年貢などを輸送する船の警護役を務めて駄別料を取り立てたり,関所を設けて通行税を徴収したりするほか,ときには往来の船を襲って積荷を略奪するなど乱暴を働いた。瀬戸内海から九州地方にかけての海賊衆は,みずから朝鮮貿易に参加することもあり,また倭寇として朝鮮,中国沿岸を荒らし,人々から恐れられる存在であった。

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大辞林 第三版

すいぐん【水軍】
水上で戦争を行う軍隊。海軍。
海上戦力を保有する集団。特に、南北朝・室町時代、北九州・瀬戸内・紀伊などで遣明船の警固や貿易に従事した地方豪族武士団。海賊衆。警固衆。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

水軍
すいぐん
海賊衆、警固衆、船手(ふなて)衆、船手方、船手組などと称され、室町~戦国時代の大名に付属して海上業務に従事した軍事集団。その前身は、海上の諸権益に生活の基盤を置く海賊である場合が多い。彼らを水軍へと組織化する一つの契機は、室町幕府が遣明船(けんみんせん)を派遣するにあたって、海賊の被害を防御する目的で、海辺の守護や有力土豪に警固を命じたことにある。備後(びんご)の守護山名(やまな)氏は領国内の因島(いんのしま)に根拠を置いた村上氏に、また豊後(ぶんご)の守護大友(おおとも)氏は、のちに大友水軍として活動することになる、国東(くにさき)半島の海辺土豪岐部(きべ)・富来(とみく)・櫛来(くしき)の3氏に渡唐船の警固を命じている。その後、因島村上氏は応仁(おうにん)の乱(1467~77)のとき山名氏に属して戦功をあげている。安芸(あき)の守護武田氏は1495年(明応4)4月、警固衆の白井氏に「安芸国仁保島海上諸公事(くじ)」を安堵(あんど)している。このように守護大名は海辺土豪の保有する海上諸権益の知行・安堵を通じて彼らと主従関係を結び、守護被官の水軍として位置づけた。
 戦国大名のなかには守護の警固衆をそのまま引き継いだ者もいたが、水軍の施策は積極的に進められた。安芸の毛利氏、豊後の大友氏、相模(さがみ)の後北条(ごほうじょう)氏、甲斐(かい)の武田氏が水軍を組織した戦国大名として著名である。毛利氏は天文(てんぶん)10年代(1541~50)から安芸国佐東(さとう)郡に、水軍を動員するための給地である「警固料」「舟方給」を設定して、自己の権力と直結した水軍を育成し、領国の拡大につれて周防国(すおうのくに)大島郡の屋代島(やしろじま)に水軍基地を増設した。毛利氏と対抗した豊後の大友氏は守護時代国東半島の海辺土豪を警固衆としたが、とりわけ海辺の直轄地である海部(あま)郡の佐賀(さが)郷や津久見(つくみ)、速見(はやみ)郡の日出(ひじ)浦などに居住する海辺土豪の諸役を免除して水軍の役目を課した。若林氏は、佐賀郷一尺屋(いっしゃくや)を根拠とした大友氏の直属水軍である。相模後北条氏は永禄(えいろく)年間(1558~70)紀伊の海賊衆梶原(かじわら)氏を招いて水軍の将とした。天正(てんしょう)年間(1573~92)梶原氏は乗組衆などを仕立てるための土地を後北条氏から給されている。甲斐武田氏は1568年(永禄11)ごろ、駿河(するが)に侵入して今川氏の旧領を手中にすると、伊勢(いせ)の海賊衆小浜(おばま)氏を水軍の将とした。豊臣(とよとみ)政権の船手衆のなかには中世海賊衆の系譜をもつ石井氏、菅(かん)氏、九鬼(くき)氏らがいたが、その中心は豊臣政権の上昇に伴って大名になった子飼い大名の船手衆である藤堂(とうどう)氏、脇坂(わきざか)氏、加藤氏らにあった。海賊の存在は1588年(天正16)に出された「海上賊船禁止令」によって否定され、統一政権の水軍は強化された。なお近世大名治下では参勤、上洛(じょうらく)など、おおむね藩の海上交通や船舶に関する業務を行った。[宇田川武久]
『宇田川武久著『瀬戸内水軍』(教育社歴史新書) ▽宇田川武久著『日本の海賊』(1983・誠文堂新光社)』

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精選版 日本国語大辞典

すい‐ぐん【水軍】
〘名〙
① 水上での戦争。また、水上での戦いをする軍隊。ふないくさ。ふなて。海軍。
※三代実録‐貞観一七年(875)一一月一六日「渡嶋荒狄反叛。水軍八十艘。殺略秋田飽海両郡百姓廿一人
※陰徳太平記(1712)二六「水軍の行(てだて)、云ひ含め給ける故」 〔春秋左伝注‐襄公二四年〕
② 中世(南北朝・室町時代)、北九州・瀬戸内・紀伊熊野などで、海上戦力を保持し、その武力を背景にして、遣明船の警固や貿易に従事した地方武士団。海賊衆ともよばれる。備後因島の村上氏、伊予の忽那(くつな)氏・河野氏・来島(くるしま)氏、安芸の小早川氏一族、防長の大内氏支配下の諸氏、筑前の宗像(むなかた)氏、肥前の松浦(まつら)党、紀伊熊野の衆徒、伊勢の九鬼氏らが有名。その流派に、三島流・一品流・野島流・菅流・全流・盤尹流などがある。また、一四世紀から一六世紀に、朝鮮半島沿岸で海賊行為を働いた、いわゆる倭寇(わこう)と称されるもののうち、日本人の盗賊集団をさす場合もある。
三島流水軍理断抄(16C中か)「水軍之事は神武天皇於筑紫水軍を発し、中国に討入玉ふ。是れ水軍之初也」

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