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樋口一葉【ひぐち いちよう】

美術人名辞典

樋口一葉
作家。東京生。名は夏子明治19年萩の舎に入門し正式に歌文を習う。25年3月雑誌『武蔵野初号に「闇桜」を発表、「にごり江」「十三夜」「たけくらべ」などの作品は、森鴎外幸田露伴・高山樗牛ら文壇の辛辣なる批評家といわれた人々が筆を揃えて賞讃し、女流作家第一人者となった。明治29年(1896)歿、25才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

ひぐち‐いちよう〔‐イチエフ〕【樋口一葉】
[1872~1896]小説家・歌人。東京の生まれ。本名、なつ。中島歌子和歌を学び、半井桃水(なからいとうすい)を小説の師とした。「文学界」の同人と親交。民衆の哀歓を描き、独自の境地を示した。小説「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

樋口一葉 ひぐち-いちよう
1872-1896 明治時代の歌人,小説家。
明治5年3月25日生まれ。19年歌人中島歌子の萩(はぎ)の舎(や)に入門。三宅花圃(みやけ-かほ)に刺激されて小説家をこころざし,半井桃水(なからい-とうすい)に師事。25年第1作「闇桜」を発表。27年末から1年あまりの間に「大つごもり」「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」などをかく。またすぐれた日記をのこした。明治29年11月23日死去。25歳。東京出身。本名は奈津。
【格言など】これが一生か,一生がこれか,ああ,いやだ,いやだ(「にごりえ」)

出典:講談社
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江戸・東京人物辞典

樋口一葉
1872〜1896(明治5年〜明治29年)【小説家】25才で夭折した女流小説家。 死を目前にした1年、奇跡のように、名作を次々と書き上げた。明治期の小説家・歌人。本名奈津。なつ・夏子ともいう。東京都出身。1888年長兄が病死し、翌年父も死去し一家を背負う。小説で生計をたてようと半井桃水に師事、「うもれ木」で認められた。師弟関係が醜聞化し桃水から離れた後も、吉原遊廓近くの下谷竜泉寺町・本郷丸山町で生活苦に耐えながら執筆を続けてた。1895年から病没する翌年までの一年あまりの間に「たけくらべ」「大つごもり」「にごりえ」「十三夜」「わかれ道」を次々に発表した。

出典:財団法人まちみらい千代田
監修:江戸東京博物館 都市歴史研究室長 北原 進
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世界大百科事典 第2版

ひぐちいちよう【樋口一葉】
1872‐96(明治5‐29)
明治時代の小説家。本名奈津(なつ)。東京生れ。15歳のとき中島歌子の萩の舎(はぎのや)塾に入門,桂園派の和歌を学んだが,1889年に父が死去,女戸主として一家の生計を支えてゆくために,職業作家となる決意をかためた。同門の田辺花圃(かほ)が《藪の鶯》を発表して文壇に迎えられたことに刺激されたといわれる。91年《東京朝日新聞》の専属作家半井(なからい)桃水の門をたたいて小説制作の指導を乞い,翌年桃水が主宰する雑誌《武蔵野》第1号に処女作《闇桜》を発表した。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

ひぐちいちよう【樋口一葉】
1872~1896) 小説家・歌人。東京生まれ。本名、奈津。中島歌子の萩の舎塾に入門、半井桃水や「文学界」同人の感化を受ける。「にごりえ」「十三夜」「たけくらべ」などに明治の女性を哀感を込めて描く。その「日記」も文学的価値が高い。

出典:三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

樋口一葉
ひぐちいちよう
[生]明治5(1872).3.25. 東京
[没]1896.11.23. 東京
小説家,歌人。本名,奈津。夏子とも書いた。小学校中退。 1886年歌人中島歌子の門に入ったが,小説家を志し 91年半井 (なからい) 桃水に師事,幸田露伴らの影響下に『うもれ木』 (1892) を書いた。その後,『ゆく雲』 (95) を経て『にごりえ』や『十三夜』 (95) により作家として開眼,『たけくらべ』の成功によって女流文壇の第一人者と目されたが,夭折した。ほかに『大つごもり』 (94) ,『われから』 (96) ,『うらむらさき』 (96) ,『一葉日記』 (1912) がある。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

樋口一葉
ひぐちいちよう
(1872―1896)
小説家、歌人。明治5年3月25日(新暦5月2日)東京・内幸町の東京府庁構内の官舎で生まれる。本名なつ。夏子とも書いている。父則義(のりよし)、母たきはともに甲斐国(かいのくに)(山梨県)出身の農民であったが、幕末に江戸へ出、士分となって同心となったものの、明治維新に際会、則義は東京府庁に勤める役人となっていた。同時に金融、不動産業にも従事、一葉の幼年時代には経済的にも余裕があった。一葉は学歴としては青海学校(せいかいがっこう)小学高等科4級(現在では小学校5年にあたる)修了にとどまっているが、これは、女に学校教育は不要という母の意見による。[岡 保生]

萩の舎時代

その後、彼女は旧派の歌人和田重雄に和歌の指導を受け、さらに進んで1886年(明治19)中島歌子の萩の舎(はぎのや)に入門した。歌子も旧派の歌人で、その指導も旧派の伝統を受け継いでいた。したがって一葉の作歌もほとんど題詠による古今調の作品といってよいが、彼女は1890年一時萩の舎の内弟子となったこともあり、その和歌での学習はのちの小説創作にも影響がみられる。歌作数も4000首を超える。田辺龍子(たつこ)(三宅花圃(みやけかほ))は同門。1887年に長兄泉太郎、1889年には父則義が死亡し、一時母子は次兄虎之助(とらのすけ)のところに身を寄せたりしたが、結局1890年から、たき、一葉、くに(妹)の女3人で世帯をもつこととなり、本郷(現文京区)菊坂に移った。[岡 保生]

桃水の女弟子

1891年4月、東京朝日新聞の小説記者半井桃水(なからいとうすい)に入門、小説家として立とうと志した。翌1892年『武蔵野(むさしの)』に発表した『闇桜(やみざくら)』は、桃水の指導を受けた文壇的処女作である。その後、桃水との仲が萩の舎で話題となり、中島歌子から叱責(しっせき)されて絶交せざるをえなかった。しかし、一葉には桃水の親切さが忘れられず、またその後もときどき生活の援助を受けたりしていて、彼女は終生桃水に慕情を寄せていた。[岡 保生]

龍泉寺町時代

1893年から『文学界』同人たち、ことに平田禿木(ひらたとくぼく)、馬場孤蝶(ばばこちょう)、戸川秋骨(とがわしゅうこつ)、上田敏(うえだびん)らとの親交が開けた。彼ら同人はいずれも西欧文学に明るく、ロマン的で若々しい情熱をもち、一葉に新文学の刺激を与えた。一方、1893年7月から翌年4月まで下谷(したや)龍泉寺町(りゅうせんじまち)(現台東(たいとう)区竜泉)で荒物・駄菓子屋を開業、日々の商業に生活を賭(か)ける苦しさを体験し、町の子供たちの動きなどもつぶさに眺め、わがものとした。ここでの体験が、のち、名作『たけくらべ』を生んだ。[岡 保生]

奇蹟の1年

1894年5月、本郷丸山福山町(現文京区西片(にしかた))に転居。同年12月『大つごもり』を『文学界』に、翌1895年1月から『たけくらべ』を同誌に連載し始めて、小説家一葉の開花時代を迎えた。この時分から没年の1896年1月までは「奇蹟(きせき)の一年」などといわれる。この間に『たけくらべ』を完成し(1896.1)、去るものは日に疎いといわれる人情の不如意を描いた『ゆく雲』(1895.5)、淪落(りんらく)の女の激しい生きざまが読者の胸を打つ『にごりえ』(1895.9)や、当時の家庭における男尊女卑の慣習に抗議する『十三夜』(1895.12)、女が一人生き抜くために閉ざされた人生の打開を求めようとする『わかれ道』(1896.1)などを発表しているからで、これらはいずれも、この時代に生きる女性の悲しみを切実に訴え、いまなお読者の胸を打つ名作である。しかし、1896年に入ってから彼女の健康は急速に衰え、『うらむらさき』(1896.2、未完)、『われから』(1896.5)などの作があるが、粟粒結核(ぞくりゅうけっかく)のため11月23日に没した。築地本願寺の樋口家の墓に葬られる(現在は杉並区和泉(いずみ)の本願寺)。一葉の生前に公刊されたのは、博文館「日用百科全書」中の一編『通俗書簡文』(1896.5)だけであり、小説を執筆したのはわずか5年間、作品数も約20編でしかないが、晩年の数編は、今日からすれば古風な文体ながら、それゆえにまた比類なき美しさをたたえ、長く読者に愛惜されて現代に及んでいる。また1887年以降没年までの膨大な日記は私小説風できわめて価値が高い。台東区竜泉に一葉記念館がある。[岡 保生]
『『一葉全集』全7巻(1953~56・筑摩書房) ▽『樋口一葉全集』4巻・別巻1(1974~・筑摩書房) ▽『全集 樋口一葉』全4巻(1979・小学館) ▽塩田良平著『樋口一葉研究』(1956・中央公論社) ▽和田芳恵著『樋口一葉伝』(新潮文庫) ▽和田芳恵著『一葉の日記』(福武文庫)』

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精選版 日本国語大辞典

ひぐち‐いちよう【樋口一葉】
小説家。東京出身。本名奈津。一五歳の時、中島歌子の歌塾にはいる。一八歳の時、父が死没し、生活のために筆をとることを決心して半井桃水に師事。また、「文学界」同人の知己を得、同誌の投稿者となる。同誌に連載された「たけくらべ」が、明治二九年(一八九六)「文芸倶楽部」に一括再掲載されるに及んで、鴎外、露伴らに絶賛され、その地位は不動のものとなった。他に「にごりえ」「十三夜」「一葉日記」など。明治五~二九年(一八七二‐九六

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