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榊原鍵吉【さかきばら けんきち】

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

榊原鍵吉 さかきばら-けんきち
1830-1894 幕末-明治時代の剣術家。
文政13年11月5日生まれ。榊原友直の長男。男谷(おだに)精一郎に直心影(じきしんかげ)流をまなび,幕府講武所教授方や遊撃隊頭取をつとめる。江戸下谷(したや)に道場をひらき,維新後の明治6年撃剣会を興行する。19年明治天皇の前で兜(かぶと)割りを披露した。明治27年9月11日死去。65歳。江戸出身。名は友善。
【格言など】開いても要(かなめ)しまらぬ扇かな 頑固は国の宝なりけり(木製の扇に彫り込んだことば)

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
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世界大百科事典 第2版

さかきばらけんきち【榊原鍵吉】
1830‐94(天保1‐明治27)
直心影(じきしんかげ)流剣術の達人。江戸麻布の幕臣の家に生まれ,13歳で男谷(おだに)精一郎に入門,直心影流剣術を学ぶ。1856年(安政3)男谷の推挙で講武所剣術教授方となり,のち下谷車坂に道場を開いて剣術指導一筋に動乱期を過ごした。明治維新後,武芸は衰えるが,73年武芸者の同志を集め官許を得て,浅草左衛門河岸で撃剣興行(げつけんこうぎよう)を行い成功した。78年上野公園で行われた天覧試合で総指図役をつとめ,87年伏見宮邸で(かぶと)試斬りを天覧に供した。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

榊原鍵吉
さかきばらけんきち
(1830―1894)
幕末~明治の剣術家。名は友善(ともよし)。小禄(しょうろく)の幕府御家人(ごけにん)の出身。13歳のとき直心影(じきしんかげ)流男谷(おだに)精一郎の門に入り、たちまち頭角を現した。1856年(安政3)講武所剣術教授方となり、60年(万延1)築地(つきじ)から小川町に移転した講武所の開場式の際、模範試合で槍術(そうじゅつ)方の高橋伊勢守(いせのかみ)(後の泥舟(でいしゅう))を打ち込んで名をあげた。61年(文久1)将軍家茂(いえもち)の上洛(じょうらく)を警護して、その信任を受け、64年(元治1)剣術師範役並(なみ)、両御番上席(りょうごばんじょうせき)に進んだ。66年(慶応2)幕府の兵制改革によって遊撃隊頭取(とうどり)に転じたが、まもなく辞任して、下谷車坂(したやくるまざか)の自宅に道場を設け、もっぱら剣術を指南した。明治維新後、廃藩置県・廃刀令などにより剣術が急激に衰微したのを憂え、73年(明治6)撃剣興行を創設した。また78年上野公園の武術天覧には、その総指揮となり、ついで87年伏見(ふしみ)宮邸において兜(かぶと)割りの特技を天覧に供して名声を博した。[渡邉一郎]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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