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楊貴妃【ようきひ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

楊貴妃
ようきひ
Yang gui-fei; Yang kuei-fei
[生]開元7(719)
[没]至徳1(756).馬嵬坡
中国,唐の皇妃。蒲州永楽 (山西省 芮城県) の人。幼名は玉環。初め玄宗皇子寿王ぼうのであったが,のち玄宗に召され,天宝4 (745) 年貴妃に進んだ。玄宗の一身に受け,一族みな高官に上り,権勢をほしいままにしたので恨みを受け,安禄山の乱で玄宗が四川に逃亡する途中,馬嵬坡で一族の楊国忠とともに兵士の強要によって死を賜わった。その艶麗さ,玄宗との交情栄枯の激しさなど,同時代からすでに文学作品の題材となることが多く,白居易の『長恨歌』,陳鴻の『長恨歌伝』をはじめとして,詩歌戯曲,小説,随筆に数えきれないほどの作品が書かれている。

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デジタル大辞泉

よう‐きひ〔ヤウ‐〕【楊貴妃】
[719~756]《「貴妃」は女官の位の名》中国、唐の玄宗の妃。永楽山西省)の人。初め玄宗の子寿王の妃。歌舞音曲に通じ、また聡明であったため、玄宗に召されて貴妃となり、寵を一身に集め、楊一族も登用され権勢を誇った。安禄山の乱で長安を逃れる途中、官兵に殺された。白居易の「長恨歌」をはじめ、多くの文学作品の題材となった。
謡曲。三番目物金春禅竹作。玄宗皇帝の命を受けた方士(ほうし)が、亡き楊貴妃の霊を仙界蓬莱宮(ほうらいきゅう)で尋ねあてると、楊貴妃の霊はかつての玄宗との愛などを語る。

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デジタル大辞泉プラス

楊貴妃
1955年公開の日本映画。監督:溝口健二脚本:陶秦、川口松太郎依田義賢、成澤昌茂、撮影:杉山公平。出演:京マチ子森雅之山村聡小沢栄山形勲、南田洋子ほか。

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

ようきひ【楊貴妃 Yáng guì fēi】
719‐756
中国,玄宗の妃。名は玉環。永楽(山西省芮城県)出身の州司戸楊玄琰(ようげんえん)の末子として蜀に生まれ,父に死別し叔父楊玄(ようげんきよう)の養女となった。735年(開元23),玄宗の第18皇子寿王瑁の妃に迎えられたが,夫の母武恵妃の死後,玄宗の求めで女冠となり太真の号を授かり,4年後正式に後宮に入り翌年貴妃となった。宮中では娘子の愛称で親しまれ玄宗の寵を一身に集めたのは白楽天が《長恨歌》にうたうとおりであり,皇后と同じ扱いを受けた。

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ようきひ【楊貴妃】
能の曲名。三番目物。鬘物(かつらもの)。金春禅竹(こんぱるぜんちく)作ともいう。シテは楊貴妃の霊。唐の玄宗皇帝に仕える方士(ほうじ)(道教呪術師ワキ)は,勅命を受けて今は亡き楊貴妃の霊魂の行方を尋ね,蓬萊宮(ほうらいきゆう)に赴いて,楊貴妃の霊(シテ)と会うことができた。方士は,貴妃後の皇帝の嘆きを伝え,ここに来た証拠に,帝と貴妃が交わした言葉を教えてほしいと頼む。貴妃は,七夕の夜に比翼の鳥,連理の枝となろうと2人で誓いあったという話をする。

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大辞林 第三版

ようきひ【楊貴妃】
○719~756 中国、唐の玄宗の妃。才色すぐれ歌舞をよくし、初め玄宗の皇子の妃となったが、玄宗の寵愛ちようあいをうけて第二夫人の貴妃とされた。楊氏一族もみな高位にのぼった。安禄山の乱を逃れる途上、官兵に縊死させられた。白居易の「長恨歌ちようごんか」をはじめ多くの詩や小説の題材となった。
能の一。三番目物。金春こんばる禅竹作。白居易の「長恨歌」に基づく。
楊貴妃桜に同じ。

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飲み物がわかる辞典

ようきひ【楊貴妃】

カクテルの一種。桂花陳酒(キンモクセイの花を白ワインに漬けたリキュール)、ライチリキュール、グレープフルーツジュースブルーキュラソーをシェークし、カクテルグラスに注ぐ。ショートドリンク。◇名称は、中国の楊貴妃(唐の時代の皇妃)がライチを好んだという逸話にちなむ。

出典:講談社
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動植物名よみかた辞典 普及版

楊貴妃 (ヨウキヒ)
学名:Prunus lannesiana
植物。バラ科の落葉小高木

出典:日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」
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精選版 日本国語大辞典

よう‐きひ ヤウ‥【楊貴妃】
[1]
[一] 中国唐の玄宗皇帝の妃。玄宗の皇子、寿王瑁(まい)の妃であったが、玄宗にみいだされ女道士になり、ついで貴妃となった。舞や音楽にすぐれ、また、聰明であったので玄宗の寵愛を一身に集めた。後、安祿山の乱の際殺された。白居易の「長恨歌(ちょうごんか)」をはじめ、詩や小説に多く描かれている。(七一九‐七五六
[二] 謡曲。三番目物。各流。金春禅竹作といわれる。白居易の「長恨歌」による。馬嵬(ばかい)ケ原で殺された楊貴妃を忘れかねている玄宗皇帝は、方士に楊貴妃の魂魄のありかを探すように命じる。方士は天上から黄泉(よみ)の国まで尋ね歩き、常世(とこよ)の国の蓬莱宮に至って太真殿にいることを知る。楊貴妃は形見として玉の釵(かんざし)を与え、方士の求めで七夕の夜玄宗と交わした比翼連理の契りのことばをうち明け、帰ろうとする方士に霓裳羽衣(げいしょううい)の曲を舞ってみせる。方士が釵を携えて帰ると、貴妃は宮殿の中で悲しみにくれる。
[2] 〘名〙
※多聞院日記‐天正六年(1578)三月朔日「槻坂やうきひと云垣構植之処、開了」
② 梅の一品種。
※俳諧・そらつぶて(1649)春「楊貴妃といふ梅花を見て やうきひの梅にてしりぬわらひかほ」
③ 香木の名。分類は伽羅(きゃら)。香味は甘苦鹹辛。六十一種名香の一つ。〔名香合(1502)〕

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旺文社世界史事典 三訂版

楊貴妃
ようきひ
719〜756
唐の皇帝玄宗の妃
はじめ玄宗の第18子の妃となるが,のち玄宗の宮中に召され,貴妃の称号を授けられる。玄宗の寵愛を一身に集め,一族はみな高位にのぼり,またいとこの楊国忠 (ようこくちゆう) は宰相として権力をふるった。楊国忠にうとまれた安禄山が乱を起こすと,貴妃は帝とともに蜀 (しよく) (四川地方)に逃れようとしたが,途中で軍隊反抗にあい,縊死 (いし) させられた。白居易の『長恨歌 (ちようごんか) 』は,この悲劇の美女をうたったもの。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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