Rakuten infoseek

辞書

椿海【つばきうみ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

椿海
つばきうみ
千葉県北東部,九十九里平野北部にあった面積約 50km2,水深約 2mの旧潟湖。「つばきのうみ」ともいう。現在の旭市八日市場市にまたがる。近世初期,江戸町人の請負により干拓され,干潟八万石といわれる米作地帯をなす。元禄8 (1695) 年の検地では 18ヵ村の入植を記録している。鬼のすみかであったツバキ巨木を,香取の神が鬼退治のため引き抜いた跡が湖水になったという伝説がある。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

つばきうみ【椿海】

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

日本大百科全書(ニッポニカ)

椿海
つばきうみ
千葉県北東部、九十九里平野北端にあった潟湖(せきこ)。江戸初期、現在の匝瑳(そうさ)市、旭(あさひ)市にまたがる地域は、椿海とよばれた潟湖の湾入で太平洋と続いていた。この地が町人請負新田(うけおいしんでん)として開発され、干潟八万石とよぶ水田地帯が誕生した。江戸の町人杉山三右衛門(すぎやまさんえもん)、白井治郎右衛門(しらいじろうえもん)の干拓申請は幕府によって相次いで不許可となったが、白井は大工頭辻内刑部左衛門(つじうちぎょうぶざえもん)や黄檗(おうばく)僧鉄牛(てつぎゅう)の進言によって1668年(寛文8)干拓の許可を得た。干拓は白井・辻内両人によって進められ、その後資金難にも直面したが、幕府の援助もあって1670年に湖水を太平洋へ流す新川が完成し、以後3400町歩に及ぶ耕地が開かれ、村高2万4000石、18か村の新田村が成立した。用水は溜池(ためいけ)に依存したが不足して干害に悩まされ、また排水不良もあって水害を引き起こしてきたが、1951年(昭和26)に利根(とね)川から引水した大利根用水が完成して水田は安定し、早場米(はやばまい)地帯をなすに至った。[山村順次]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

椿海」の用語解説はコトバンクが提供しています。

椿海の関連情報

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.