Rakuten infoseek

辞書

林鳳岡【はやし ほうこう】

美術人名辞典

林鳳岡
江戸時代前期幕府の儒官。名は信篤、字は直、春常と称する。後に大蔵卿法印に任じられ、弘文院学士の号を賜る。享保17年(1732)歿、89才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

はやし‐ほうこう〔‐ホウカウ〕【林鳳岡】
[1645~1732]江戸中期の儒学者。江戸の人。鵝峰次男。名は信篤。徳川家綱から吉宗までの5代の将軍に仕えた。林家学問所が湯島に移され、官学の学問所となったとき、大学頭(だいがくのかみ)に任ぜられた。以後、大学頭は代々家の世襲となった。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

林鳳岡 はやし-ほうこう
1645*-1732 江戸時代前期-中期の儒者。
寛永21年12月14日生まれ。林鵞峰(がほう)の次男。元禄(げんろく)4年徳川綱吉の命で,上野忍岡(しのぶがおか)の邸内の聖堂(孔子廟(びょう))を湯島昌平坂にうつす。これとともに蓄髪をゆるされ,士分となり,大学頭(だいがくのかみ)に任じられた。享保(きょうほう)17年6月1日死去。89歳。江戸出身。名は戇(とう),信篤。字(あざな)は直民。通称は春常。別号に整宇。著作に「四書講義」,編著に「武徳大成記」など。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

江戸・東京人物辞典

林鳳岡
1644〜1732(正保元年〜享保17年)【儒学者】湯島聖堂の初代学頭。 儒学者の地位を確立した、林家のサラブレッド。江戸中期の儒学者。大学頭。名は信篤。林羅山に始まる林家の三代。1680年将軍となった綱吉により信篤は寵用され、1691年湯島聖堂が竣工すると大学頭の命を受けた。また、このとき蓄髪の命も出されが、これはそれまで僧侶と同様に剃髪を命じられていた林家が、武家の身分階級社会の中で、儒学者として独自の地位を得たことを意味する。

出典:財団法人まちみらい千代田
監修:江戸東京博物館 都市歴史研究室長 北原 進
(C) 財団法人まちみらい千代田
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

はやしほうこう【林鳳岡】

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

はやしほうこう【林鳳岡】
1644~1732 江戸前・中期の儒学者。江戸生まれ。鵞峰の子。名は信篤。僧号、春常。1691年将軍綱吉の命により、聖堂を上野忍ヶ岡より湯島に移し完成。束髪して大学頭となる。家綱から吉宗まで五代の将軍に仕えた。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

林鳳岡
はやしほうこう
[生]正保1(1644).江戸
[没]享保17(1732).6.1. 江戸
江戸幕府の儒官。鵞峰の子。名は信篤。字は春常。幕府儒官林家 (りんけ) を継ぎ,元禄4 (1691) 年林家の家塾が湯島に移って昌平黌となると,その大学頭となった。また儒者が士籍に入ることを主張して,これを成功させた。将軍綱吉,吉宗の信頼が厚く,門下からは幕府および諸藩に仕える者を輩出した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

林鳳岡
はやしほうこう
(1644―1732)
江戸中期の儒者。名は信篤(のぶあつ)、または(とう)。字(あざな)は直民。鳳岡、整宇(せいう)と号す。鵞峰(がほう)の次男。兄春信(1643―1666)が早世したので家を継ぐ。1690年(元禄3)忍ヶ岡(しのぶがおか)の林家の学問所、聖堂を湯島に移す。このとき将軍綱吉(つなよし)の命により蓄髪し、大学頭(だいがくのかみ)に任ず。儒者が僧形(そうぎょう)をやめて一般の武士と同列に交わるようになったのは、ここに始まる。以後、家宣(いえのぶ)、吉宗(よしむね)の代まで湯島を文教の府となして儒教を振興すべく努める。著書に『鳳岡学士集』などがある。[玉懸博之]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

367日誕生日大事典

林鳳岡 (はやしほうこう)
生年月日:1644年12月14日
江戸時代前期;中期の儒学者
1732年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
(C) Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

はやし‐ほうこう【林鳳岡】
江戸前期の儒者。名は春常・信篤。字は直民。別号は整宇。羅山の孫、鵞峰の第二子。元祿三年(一六九〇)、将軍綱吉の命により書を殿中の諸士に講じ、翌年、忍岡の学問所および聖堂を湯島に移し、僧侶の風から束髪改服することを決め、大学頭に任ぜられた。家綱から吉宗までの将軍五代に仕えた。「武徳大成記」を編し、服忌令を定めた。正保元~享保一七年(一六四四‐一七三二

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

林鳳岡」の用語解説はコトバンクが提供しています。

林鳳岡の関連情報

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.