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枕草子【まくらのそうし】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

枕草子
まくらのそうし
平安時代中期の随筆清少納言著。長保3 (1001) 年頃にはだいたい完成していたとされる。書名は「枕にこそは侍らめ」といって中宮から用紙を下賜されたという跋文に基づくが,枕頭に置いて備忘録とする意とも,歌枕枕詞の枕の意ともいう。形態の異なる数種の伝本があるが,作者の初稿から出た「三巻本」と作者自身によって加筆補訂された「伝能因所持本」が重視される。類集的章段,日記回想的章段,随想的章段など性格の違う章段約 300から成る。才気縦横の明るい世界は紫式部の暗く沈思する世界と常に比較される。『源氏物語』とともに,王朝文化の頂点を形成し,後世に多大の影響を与えた。

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デジタル大辞泉

まくらのそうし〔まくらのサウシ〕【枕草子】
平安中期の随筆。清少納言作。長保2年(1000)ころの成立とされる。作者が一条天皇の中宮定子(ていし)に仕えていたころの宮仕えの体験などを、日記・類聚(るいじゅう)・随想などの形で記し、人生や自然、外界事物断面を鋭敏な感覚で描く。源氏物語と並ぶ平安女流文学の双璧(そうへき)とされる。

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世界大百科事典 第2版

まくらのそうし【枕草子】
平安中期,996年(長徳2)ころから1008年(寛弘5)ころの間に成立した日本最初の随筆文学。作者は清少納言。一条天皇の中宮定子(藤原定子)に仕えていた清少納言は,996年秋,中宮の一家と対立し容赦ない圧迫の手を加える左大臣藤原道長方に内通しているとのうわさにいたたまれず,中宮のそばを離れて長期の宿下がりに閉じこもった。そして,たまたま中宮から賜った料紙に,木草鳥虫の名や歌枕などを思いつくままに書き続けることによって気を紛らせた。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

まくらのそうし【枕草子】
随筆。三巻。清少納言作。一〇世紀末から一一世紀初頭の成立。一条天皇の中宮(のち皇后)定子に出仕した作者の宮廷生活の回想・見聞、また自然・人生などに関する随想などを約三百の章段に綴ったもの。感覚鋭く、文章軽快で源氏物語とともに王朝女流文学の双璧とされる。清少納言枕草子。清少納言記。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

枕草子
まくらのそうし
平安中期の随筆。清少納言(せいしょうなごん)の作。跋文(ばつぶん)によると、清少納言が仕える一条(いちじょう)天皇の中宮定子(ていし)に、正暦(しょうりゃく)5年、長徳(ちょうとく)元年(994、995)のころに、中宮の兄藤原伊周(これちか)が紙を献上したことがあり、中宮から「これに何を書かまし」と尋ねられたので、「枕にこそは侍(はべ)らめ」と答えたところ、「さば、得てよ」とその紙を下賜されたので書いたという。「枕」は寝具の枕ではなく、「歌枕」(歌語辞典)、「枕頭(ちんとう)書」(座右の備忘録)、「枕中書」(宮仕え必携)などの書物を意味するようだが定説はない。
 ほぼ300段(日本古典文学大系本は319段)からなるが、内容によって、「山は」「木の花は」「鳥は」や「すさまじきもの」「にくきもの」「うつくしきもの」のように、「――は」や「――もの」で始まる類聚(るいじゅう)章段、「春は曙(あけぼの)」「生(お)ひさきなく」「野分(のわき)のまたの日こそ」のように、自然や人事に対して独自の観察や感懐を記す随想章段、「大進生昌(なりまさ)の家に」「上にさぶらふ御猫は」「清涼殿の丑寅(うしとら)のすみの」のように、宮仕え中の見聞を回想する日記章段に分類される。堺(さかい)本・前田家本のように、類聚・随想・日記の章段がそれぞれ一まとまりになっている類纂(るいさん)本もあるが、ジャンルを超えて思い付くままに執筆した雑纂本の形をとる能因(のういん)本・三巻本が本来の形に近いと考えられている。北村季吟(きぎん)の注釈書『枕草子春曙(しゅんしょ)抄』により、近世初頭以来、能因本が流布したが、昭和に入って三巻本の優秀さが主張され流布している。しかし、今日なお能因本の優秀さを主張する研究者も少なくない。
 中宮に執筆を命じられた「枕」は、中宮にかわって書く性質のものであったが、実際に執筆したのは、中宮の父藤原道隆(みちたか)が没して政権が弟の道長(みちなが)に移り、中宮の兄弟伊周・隆家(たかいえ)が大宰権帥(だざいのごんのそち)・出雲権守(いずもごんのかみ)に左遷され、清少納言が道長方に内通しているといった噂(うわさ)をたてられて私邸に籠居(ろうきょ)した996年(長徳2)4月以後のことである。政争に巻き込まれて苦しむ作者が執筆したものは、政治と一線を画し、次元を異にする私的な好尚の記録となったであろうが、こうした初稿本が、作者の私邸に出入りしていた源経房(つねふさ)によって中宮のもとに届けられて賞賛を博し、まもなく再出仕した作者は人々の慫慂(しょうよう)を受けて改稿に着手。改稿本は998年10月23日より1001年(長保3)8月25日の間にいちおうの完成をみ、跋文が添えられるが、その後の加除訂正もあったと考えてよかろう。『枕草子』は、書き続けるうちにしだいに独自の文学を形成した作品であり、作品の完成度は章段ごとに異なるが、読者を強く意識して読者の驚嘆や哄笑(こうしょう)を求める章段や、詩人の眼(め)や心を借り、あるいは逆に、自己の世界に沈潜して自己の観察を記し、新たな美を提示しようとする章段はその到達点を示している。日記章段には改稿時の作も多く、自賛談のようにみえる章段も、草稿本で獲得したものを発展させて、中宮と中宮を取り巻く人々が失意の時代にあっても、天皇の恩寵(おんちょう)を受けて政治とは無縁に美と好尚の世界に生きたことを主張している。『源氏物語』とともに、王朝女流文学を代表する傑作である。[上野 理]
『池田亀鑑他校注『日本古典文学大系19 枕草子 紫式部日記』(1958・岩波書店) ▽『枕草子講座』全4冊(1975~1976・有精堂出版) ▽萩谷朴校注『新潮日本古典集成 枕草子』全2冊(1977・新潮社) ▽松尾聡校注・訳『完訳日本の古典12・13 枕草子』(1984・小学館) ▽田中重太郎校注『校注 枕冊子』(1993・笠間書院) ▽上坂信男他訳注『枕草子』上中下(講談社学術文庫) ▽稲賀敬二他著『枕草子入門』(有斐閣新書) ▽石田穣二訳注『新版枕草子』上下(角川文庫)』

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