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板倉勝重【いたくらかつしげ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

板倉勝重
いたくらかつしげ
[生]天文14(1545).三河額田
[没]寛永1(1624).4.29. 京都
江戸時代初頭の幕臣。伊賀守。幼少の頃は僧であったが,肉親の戦死のため還俗して家を継いだ。天正 14 (1586) 年,徳川家康が駿府に入ってから駿府町奉行を命じられ,治績を認められて関東入部に際しては江戸町奉行になり,関東代官を兼ねた。また慶長6 (1601) 年には京都町奉行,さらに京都所司代に起用され,約 20年間その職をつとめた。裁判におけるその裁量にはみるべきものがあり,京都の人心を徳川氏にひきつけるのに役立った。その間,金地院崇伝とともに寺社関係の仕事も行い,家康の信頼は非常に高かった。同8年伊賀守,元和6 (20) 年辞職。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

いたくら‐かつしげ【板倉勝重】

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

板倉勝重 いたくら-かつしげ
1545-1624 織豊-江戸時代前期の武将。
天文(てんぶん)14年生まれ。禅僧であったが,父好重と弟(兄とも)定重の戦死により還俗(げんぞく)して家督をつぎ,徳川家康につかえる。駿府(すんぷ)・江戸の町奉行をへて,慶長8年京都所司代となる。以心崇伝とともに公家・寺社の統制をはかり,朝廷や西国への徳川政権の勢力浸透につとめる。近江(おうみ)・山城などに1万6000石余を領した。寛永元年4月29日死去。80歳。三河(愛知県)出身。
【格言など】国を治むるには,方(かく)なる器に味噌を入れ,丸き杓子にて取る様に行ひ給ふことよし(池田光政への助言)

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

いたくらかつしげ【板倉勝重】
1545‐1624(天文14‐寛永1)
江戸初期の譜代大名。京都所司代。三河国額田郡に生まれ,幼年出家し香誉宗哲と称したが,父と戦死したため1581年(天正9)還俗し家を継いだ。86年,徳川家康が駿府に居を移したとき,駿府町奉行となり,90年家康の関東転封に際しては,駿府での業績を買われ江戸町奉行となり,関東代官を兼ねた。ついで1601年(慶長6)京都所司代となり,03年に家康が征夷大将軍に就任すると同時に,従五位下伊賀守に叙任された。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

板倉勝重
いたくらかつしげ
(1545―1624)

江戸幕府の初代京都所司代。伊賀守(いがのかみ)。三河(みかわ)、山城(やましろ)、近江(おうみ)のうち1万6000余石を領す。三河国(愛知県)額田(ぬかだ)郡小美(おみ)村に好重(よししげ)の二男として生まれる。幼くして出家し、香誉宗哲(こうよそうてつ)と号して中島村の永安寺に住したが、父および兄弟が相次いで戦死したため、徳川家康の命により還俗(げんぞく)して板倉家を継いだ。甚平のち四郎左衛門と通称する。家康に重用され、駿府(すんぷ)町奉行(ぶぎょう)や、関東移封後は江戸の町奉行などを歴任。関ヶ原の戦い以降は京都関係の政務を担当、1603年(慶長8)の江戸開幕に伴い名実ともに所司代となって政治的手腕を発揮した。対朝廷対策や畿内(きない)近国の民政にも細部にわたって関与したが、反徳川勢力の制圧や西国大名の統制など軍事的性格の強い施策が基調であった。

[鎌田道隆]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

いたくら‐かつしげ【板倉勝重】
江戸初期の徳川氏の家臣。もと僧であったが、家康の命で還俗(げんぞく)。駿府奉行、関東代官を経て慶長六年(一六〇一)京都所司代となる。天文一四~寛永元年(一五四五‐一六二四

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

板倉勝重
いたくらかつしげ
1545〜1624
江戸初期の譜代大名。初代の京都所司代
徳川家康の信任をうけ1601(慶長6)年京都所司代となり,18年間市政に尽力。『板倉政要』は彼と子重宗の京都市政の記録。また『板倉氏新式目』1巻を制定した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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