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松平定信【まつだいらさだのぶ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

松平定信
まつだいらさだのぶ
[生]宝暦8(1758).12.27. 江戸
[没]文政12(1829).5.13. 江戸
江戸時代後期の大名。幼名は賢丸。号は楽翁,風月翁,花月翁。田安宗武の第3子で,8代将軍徳川吉宗の孫。安永3 (1774) 年白河藩主松平定邦の養子となり,天明3 (1783) 年家督を継ぎ,飢饉により崩壊に瀕した藩財政を建て直し名君と称された。同7年老中首座となり,田沼意次のあとをうけて,幕政の建て直しをはかり,寛政の改革を断行したが,多くの反対にあい,寛政5 (1793) 年老中を辞し,以後は藩政に専念し,著作に従事した。朱子学を好み,老中時代には,柴野栗山らを登用して,「寛政異学の禁」を発した。主著に『花月草紙』や『宇下人言』ならびに『修行録』 (1822) ,『国本論』 (1781) がある。

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デジタル大辞泉

まつだいら‐さだのぶ〔まつだひら‐〕【松平定信】
[1759~1829]江戸後期大名田安宗武の七男。陸奥(むつ)白河藩主松平定邦の養子。号、楽翁天明7年(1787)老中首座となり、寛政の改革を断行。著「花月双紙」「宇下人言(うげのひとこと)」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

松平定信 まつだいら-さだのぶ
1759*-1829 江戸時代中期-後期の大名。
宝暦8年12月27日生まれ。徳川吉宗の孫。田安宗武(むねたけ)の7男。松平定邦(さだくに)の婿養子となり,天明3年陸奥(むつ)白河藩(福島県)藩主松平(久松)家3代。藩の農政,財政に実績をあげ,7年老中首座,翌年将軍補佐に就任。田沼政治を刷新するため旧里帰農奨励令,札差棄捐(きえん)令,風俗匡正(きょうせい)令,物価引下令,人足寄場(よせば)設置令,異学の禁などの「寛政の改革」を断行した。文政12年5月13日死去。72歳。号は花月主人,楽翁など。越中守。著作に「国本論」「集古十種」,随筆「花月草紙」,歌集「三草(みくさ)集」,自伝「宇下人言(うげのひとこと)」など。
【格言など】憂国の心あるべし,憂国の語あるべからず(「花月草紙」)

出典:講談社
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江戸・東京人物辞典

松平定信
1758〜1829(宝暦8〜文政12)【老中】田沼意次の後、寛政の改革を断行したが、わずか6年で失脚。 白河藩主。徳川吉宗の孫。26歳で白河藩主となり、天明の飢饉では的確な藩政で餓死者を出さず、名君と讃えられた。田沼意次を失脚させ、1787年老中となり十一代将軍家斉を補佐した。農村崩壊、財政破綻、外国船の接近など、問題山積の幕政打開のため、寛政の改革を行った。しかし、はじめは期待された改革もうまく機能せず、家斉と対立、老中を解任された。その後は藩内で文教政策を推進した。

出典:財団法人まちみらい千代田
監修:江戸東京博物館 都市歴史研究室長 北原 進
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世界大百科事典 第2版

まつだいらさだのぶ【松平定信】
1758‐1829(宝暦8‐文政12)
江戸後期の幕府老中。寛政改革を推進した中心人物。8代将軍徳川吉宗の孫,父は三卿の田安宗武。幼名を賢丸,号は楽翁,花月翁,風月翁など。儒者大塚孝綽に師事して幼時より学問に励み,わずか12歳で《自教鑑》という修身書を著すなど,俊才の誉れが高かった。1774年(安永3)奥州白河藩主松平定邦の養子となり,83年(天明3)家督を継いで従四位下,越中守に叙任,白河11万石の藩主となった。おりしも天明の大飢饉に際会し,白河藩でも士民の困窮はその極に達した。

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大辞林 第三版

まつだいらさだのぶ【松平定信】
1758~1829) 江戸後期の老中。陸奥むつ白河藩主。田安宗武の子。松平定邦の養子。号は楽翁。藩政に尽力、天明の飢饉ききんに藩内で餓死者を出さなかったという。田沼意次失脚後、老中となり寛政の改革を主導した。著「花月草紙」「宇下人言うげのひとこと」ほか。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

松平定信
まつだいらさだのぶ
(1758―1829)
江戸後期の大名。寛政(かんせい)の改革を断行した老中。宝暦(ほうれき)8年12月27日江戸で生まれる。田安宗武(たやすむねたけ)の七男で、8代将軍吉宗(よしむね)の孫にあたる。幼名は賢丸(まさまる)、隠居後は楽翁と号した。1774年(安永3)奥州白河藩主松平定邦(さだくに)の養子となり、翌年従(じゅ)五位下上総介(かずさのすけ)に叙任。83年(天明3)養父定邦の後を継いで白河11万石の藩主となり、従四位下越中守(えっちゅうのかみ)に昇進した。おりしも天明(てんめい)の大飢饉(ききん)に際会、白河領内の士庶の困窮もその極に達したが、定信自ら率先して倹約を重んじ、食糧の緊急輸送、備荒貯蓄や人口の増加、あるいは殖産興業を促すなど、藩財政の立て直しや領民生活の安定化を図り、みごとにこの難局を切り抜けた。やがて彼の藩政は、諸大名の間にその名声を高め、老中田沼意次(おきつぐ)失脚ののちの87年6月、御三家(ごさんけ)および一橋治済(ひとつばしはるさだ)の推挙により老中首座(筆頭)となり、侍従に任じ、いわゆる寛政の改革に着手。翌年3月には将軍補佐の大役をも与えられた。松平信明(のぶあきら)、本多忠籌(ただかず)、戸田氏教(うじのり)、松平乗完(のりさだ)、太田資愛(すけよし)ら同志の譜代(ふだい)大名を幕閣の中枢に登用し、彼らと合議しつつ幕政の振起に努めた。財政の緊縮政策をはじめ、札差棄捐令(きえんれい)、旧里帰農奨励令、七分積金令、人足寄場(にんそくよせば)設置令、出版統制令、風俗匡正(きょうせい)令、物価引下令、異学の禁、江戸湾防備計画等々は、いずれも定信が断行した寛政の改革の有数の政策である。幕府財政再建のために農本主義を基調としているが、都市政策や思想統制にもみるべきものが多い。93年(寛政5)7月老中ならびに将軍補佐役を辞職したが、左近衛権少将(さこのえごんのしょうしょう)に昇任、家格も溜間詰(たまりのまづめ)に昇格、ふたたび白河藩政に意を用いることとなった。彼の辞職の理由は、光格(こうかく)天皇が実父典仁(すけひと)親王に太上(だいじょう)天皇の称号を贈ろうとして定信に反対された尊号一件、および将軍家斉(いえなり)が実父一橋治済を大御所に迎えようとして定信に反対された大御所一件などが絡んでいるといわれる。しかし、その背景として、「それみたか、余り倹約なすゆえに、おもいがけなき、不時の退役」「白河の、清きに魚もすみかねて、元のにごりの、田沼こいしき」などの当時の落首にもみられるように、彼の極度の緊縮政策に対する士庶の批判も考えねばならない。こののち白河藩主として、藩校立教館の拡充や、1810年(文化7)には会津藩とともに江戸湾防備の幕命を受け、房総沿岸に台場を築造したりしたが、12年嫡子定永(さだなが)に封地を譲り、晩年は江戸築地(つきじ)の下屋敷浴恩園に住んで風雅な生活を送った。文政(ぶんせい)12年5月13日没。72歳。江戸深川の霊岸寺に葬り、のち伊勢(いせ)(三重県)桑名の照源寺に分骨した。
 定信は、歌人・国学者として著名な父田安宗武の影響もあって、幼少より大塚孝綽(たかすえ)に師事して学問に励み、12歳のとき自分の信条を記した『自教鑑(じきょうかがみ)』を著したのをはじめ、一生のうちに200部近くもの著作を残した。著述の内容は、老中退職以前は『国本論』『物価論』など政治関係のものが多く、退職後は『花月草紙』『楽亭筆記』など文芸に関するものが多い。とくに歌集『三草集』は有名である。このほか古書画、古器物を収集して編纂(へんさん)した『集古十種』『古画図考』や、自叙伝の『宇下人言(うげのひとこと)』『修行録』も有名である。また武芸にも励み、とくに起倒流柔術の師鈴木邦教(くにたか)から伝授された「神武(しんぶ)の道」は、彼の世界観に大きな影響を与えた。[竹内 誠]
『松平定光校訂『宇下人言・修行録』(岩波文庫) ▽渋沢栄一著『楽翁公伝』(1937/復刻版・1983・岩波書店) ▽竹内誠著『寛政改革』(『第三期岩波講座 日本歴史12』所収・1976・岩波書店)』

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367日誕生日大事典

松平定信 (まつだいらさだのぶ)
生年月日:1758年12月27日
江戸時代中期;後期の大名;老中
1829年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

まつだいら‐さだのぶ【松平定信】
江戸中期の白河藩主。田安宗武の子。吉宗の孫。白河藩主定邦の養子となる。号は、白河楽翁。田沼意次の弊政のあと老中となって、財政の整理、風俗の匡正、文武の奨励、士気の鼓舞、倹約を実施して寛政の改革を実行した。寛政五年(一七九三)老中を免ぜられ以後藩政に力をそそぐ。著書一三〇余。「花月草紙」「宇下人言」は著名。宝暦八~文政一二年(一七五八‐一八二九

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