Rakuten infoseek

辞書

来目皇子【くめのおうじ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

来目皇子
くめのおうじ
[生]?
[没]推古11(603).2.4. 筑紫
用明天皇皇子。母は皇后穴穂部間人皇女聖徳太子の同母弟。推古 10 (602) 年征新羅将軍となり軍衆を率いて筑紫にいたり,遠征の準備を進めたが,病気により,翌年2月筑紫において薨じた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

来目皇子 くめのおうじ
?-603 飛鳥(あすか)時代,用明天皇の第2皇子。
母は穴穂部間人(あなほべのはしひとの)皇女。聖徳太子の弟。「日本書紀」によると,推古天皇10年撃新羅(しらぎ)将軍に任命され,国造(くにのみやつこ),伴造(とものみやつこ)など2万5000の兵をさずけられる。筑紫(つくし)で渡海準備中病にたおれ,遠征をはたさないまま,推古天皇11年2月4日死去。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

防府市歴史用語集

来目皇子
 聖徳太子[しょうとくたいし]の弟で、推古10年(602年)2月に25000人の軍勢を率いて、朝鮮半島の百済[くだら]を助けるために新羅[しらぎ]討伐に向かいました。しかし、翌年の2月、九州にいるときに、病気で亡くなってしまいます。20数歳の若さと推定されます。

出典:ほうふWeb歴史館
Copyright 2002,Hofu Virtual Site Museum,Japan
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

くめのみこ【来目皇子】
?‐603(推古11)
用明天皇の皇子。母は穴穂部間人皇女で,聖徳太子の同母弟。《日本書紀》によれば602年(推古10)2月,撃新羅将軍として諸神部および国造,伴造ら2万5000の軍を授けられ,4月筑紫に至るが,6月病に臥して征討を果たさぬまま,翌年2月に没した。《上宮記》逸文には久米王とあり,敏達天皇王女の由波利王をめとり,男王,星河女王,佐富が生まれたという。また《姓氏録》左京皇別に登美真人の祖とある。【川口 勝康】

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

精選版 日本国語大辞典

くめ‐の‐おうじ ‥ワウジ【来目皇子】
用明天皇の皇子。聖徳太子の同母弟。推古天皇の代に、将軍として新羅(しらぎ)征伐に向かう途中、筑紫で病没。推古一一年(六〇三)没。

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

来目皇子」の用語解説はコトバンクが提供しています。

来目皇子の関連情報

関連キーワード

天声人語達頭可汗ブズルグ・ミフル死刑東京マラソン位階冠位十二階広隆寺位階勲等小田急電鉄[株]

他サービスで検索

「来目皇子」のスポンサー検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.