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条坊制【じょうぼうせい】

大辞林 第三版

じょうぼうせい【条坊制】
古代の都城の市街区画。日本では唐の長安にならい、朱雀大路をはさむ左右両京を南北に走る大路によって四坊に分け、東西に走る大路によって九条に分ける。平城京・平安京などに見られる。

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世界大百科事典 第2版

じょうぼうせい【条坊制】
日本の都城制において,京域内を縦横に通ずる大路によって碁盤の目のように方格に区分し,東西の列を〈○条〉,南北の列を〈○坊〉とよぶとともに,方格そのものをもまた〈坊〉と称する制度。律令制では,戸令の規定によって,京職の配下として,各坊に坊長1人,各条の4坊ごとに坊令1人が任ぜられ,戸口の検校,姧非の督察,賦徭の催駈に当たった。大宝令によって推定される藤原京は左京・右京ともに12条4坊,各坊は1辺90丈(約270m)の方形をなすが,それはさらに小路で4区画(〈〉という)に等分され,その1辺は道路心々間で45丈となる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

条坊制
じょうぼうせい
古代、律令(りつりょう)期の方格状街路で構成された都城プラン。その源流は中国にあるが、日本では大化改新の詔(みことのり)(646)に「初メテ京師(けいし)ヲ修ム」、「京ハ坊毎(ごと)ニ長一人ヲ置キ、四坊ニ令一人ヲ置ク」として採用されたものである。条坊に基づく都城プランが確認された都城としては、藤原京(694~710)が最初であり、面積約4町の正方形の坊を南北に12、東西に8配列した長方形の京域を有し、中央部北側に宮域が存在した。次の平城京(710年遷都)では、坊の面積が4倍となり、南北9条、東西8坊を基本とし、さらに東側と北側に外京および北辺坊が加わったものであった。各坊や坊内の16の坪には数詞が付されて「左京三条二坊一二坪」というように表示された。北部中央に宮域があり、そこから南へ朱雀(すざく)路が延び、南辺に羅城門があった。平安京(794年遷都)ではやはり南北9条、東西8坊であったが外京はなかった。平城京とは異なって道路幅が別に設定されていたので、坊やその内部の町(平城京の坪にあたる)の面積は完全に均一であり、町内はさらに「四行八門」からなる32区画に区分され、「一戸主(いちへぬし)」とよばれる宅地の基本単位となった。律令期に設定された大宰府(だざいふ)や各国の国府も、都城プランを縮小した形で営まれていたと考えられている。[金田章裕]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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