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村田珠光【むらた じゅこう】

美術人名辞典

村田珠光
室町中期の人。奈良御門の村田杢市検校の子といわれる。幼名は茂吉、別号は香楽庵・珠光庵・南星・独炉庵。茶の湯目利いで、侘茶道と称される。文亀2年(1502)歿、80才。

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デジタル大辞泉

むらた‐じゅこう〔‐ジユクワウ〕【村田珠光】
[1423~1502]室町中期の茶人。大和の人。幼名は茂吉。一休宗純参禅禅院での茶の湯に点茶の本意会得したといわれ、侘び茶創始して茶道の開祖となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

村田珠光 むらた-じゅこう
1423-1502 室町-戦国時代の茶人。
応永30年生まれ。もと奈良の僧で,京都にすむ。大徳寺の一休宗純に参禅し,また能阿弥(のうあみ)に立花と唐物目利きの法をまなんだ。書院の茶と庶民の茶を統合し,四畳半草庵のわび茶を創始。茶道の開山(かいさん)とされる。文亀(ぶんき)2年5月15日死去。80歳。通称は茂吉。号は独盧軒。
【格言など】月も雲間のなきは,いやにて候(「禅鳳雑談」)

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

むらたじゅこう【村田珠光】
1423‐1502(応永30‐文亀2)
わび茶の開祖。南都の杢市検校の子として生まれたとされる。幼名茂吉。11歳で称名寺に入り出家となったが,長ずるに及んで出家を厭い,寺役を怠ったため寺から追放される。また両親からも勘当をうけて漂泊の身となり,連歌師として,あるいは闘茶の判者などをして諸国を流浪した。のちに能阿弥を知り,立花の法を学ぶとともに器物鑑定にも長じた。また一休禅師に禅して〈仏法も茶湯の中にあり〉の語を得てからは,茶禅一味の境地に達し,これを貫いた。

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大辞林 第三版

むらたじゅこう【村田珠光】
1423~1502 室町時代の茶人。奈良の人。一休宗純に参禅し、禅旨を茶に加味し新茶法を工夫したという。侘び茶の創始者といわれ、後世茶の湯の開山と称された。

出典:三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

村田珠光
むらたしゅこう
[生]応永30(1423).奈良
[没]文亀2(1502).5.15. 奈良
室町時代前期の茶人。通称を茂吉,号は香楽庵南星,独盧軒。休心法師ともいう。奈良称名寺の僧で諸国放浪ののち大徳寺の一休和尚に参禅,かたわら茶事にも精進し「茶禅一味」の境地を会得。また能阿弥に師事して立花や唐物目利 (からものめきき) の法を習い,能阿弥の推薦で足利義政の茶道師範となった。貴族向きの書院茶に対し庶民向きの数寄茶を創案。茶の湯から博奕 (ばくち) と酒盛りを除去し,亭主と客との精神的交流を主とする一座の設定に主眼をおいた。これがやがて千利休によって佗茶として大成された。茶器類の鑑定にもすぐれ,「珠光名物」と呼ばれる名物道具十数種を所持していた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

村田珠光
むらたじゅこう
(1423―1502)
室町時代の茶人。独盧(どくろ)軒と号す。奈良に生まれる。少年のとき浄土宗称名(しょうみょう)寺に入ったが、やがて寺を出て京都に上り、茶人となったといい、京都では六条左女牛(さめうし)(下京(しもぎょう)区)に住んだと伝える。一休に参禅し、印可の証として圜悟克勤(えんごこくごん)の墨蹟(ぼくせき)を与えられたが、これを初めて茶掛に用いたことから墨蹟開山と称せられる。一休との関係については、1493年(明応2)大徳寺真珠庵(しんじゅあん)の「一休和尚(おしょう)十三回忌奉加帳(ほうがちょう)」に一貫文を寄付したことがみえる。室町将軍足利義政(あしかがよしまさ)の同朋衆(どうぼうしゅう)、能阿弥(のうあみ)の推挙で義政に参仕したと伝えるが、事実とは考えがたい。ただし能阿弥から『君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)』の相伝を受けており、書院茶の世界と無縁ではなかった。連歌(れんが)師の宗長(そうちょう)や香の志野宗信(しのそうしん)らとも親交した。一の弟子であった大和(やまと)の土豪、古市澄胤(ふるいちちょういん)に与えた「心の文」には、「和漢の境を紛らかすこと」の必要を説き、当時唐物(からもの)にかわる和物数奇(わものすき)が高揚し始めていたことを示す文献として貴重。「月も雲間のなきは嫌(いや)にて候」(『禅鳳雑談(ぜんぽうぞうたん)』)の語も珠光の美意識を示すものとして有名である。弟子の宗珠(そうしゅ)を後嗣(こうし)とした。[村井康彦]

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精選版 日本国語大辞典

むらた‐じゅこう【村田珠光】
室町中期の僧。茶道の祖。「しゅこう」とも。俗名茂吉。奈良称名寺に住し、大徳寺の一休禅師の門にはいり、禅味を加えた点茶法を始める。応永三〇~文亀二年(一四二三‐一五〇二

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旺文社日本史事典 三訂版

村田珠光
むらたじゅこう
1423〜1502
室町中期の茶人
奈良の称名寺ので,禅の精神を茶の湯に加味し,精神的深みのある四畳半の茶室作法(侘 (わ) び茶)を創始。8代将軍足利義政の茶道師範をしたと伝えられる。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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