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朱熹【シュキ】

デジタル大辞泉

しゅ‐き【朱熹】
[1130~1200]中国、南宋の思想家。婺源(ぶげん)(江西省)の人。字(あざな)は元晦(げんかい)・仲晦。号は紫陽・晦庵(かいあん)など。諡(おくりな)は文公。北宋の周敦頤(しゅうとんい)らの思想を継承・発展させ、倫理学・政治学・宇宙論にまで及ぶ体系的な哲学を完成し、後世に大きな影響を与えた。著「四書集注(しっちゅう)」「近思録」「周易本義」「晦庵先生朱文公文集」など。→朱子学(しゅしがく)

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世界大百科事典 第2版

しゅき【朱熹 Zhū Xī】
1130‐1200
中国,南宋時代の思想家。いわゆる朱子学の大成者。朱子はその尊称。字は元晦(げんかい)(のちに仲晦),号は晦庵,晦遯翁(とんおう)その他。建炎4年(1130),福建省南剣州尤渓(ゆうけい)に生まれる。父は朱松,母は祝氏。これよりのち,生涯の大部分をこの(びん)(福建省の古称)の地で送ることになる。建炎4年といえば,建炎元年に即位した南宋初代の天子,高宗が金軍に追われて諸方を転々としていたころであって,臨安(浙江省杭州,南宋の首都)にたどり着いたのは翌々年のことである。

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大辞林 第三版

しゅき【朱熹】
1130~1200 中国、南宋の儒学者。字あざなは元晦げんかい・仲晦。号は晦庵・晦翁。朱子・朱文公と尊称される。北宋の周敦頤しゆうとんい・程顥ていこう・程頤ていいらの学説を総合して朱子学を大成した。死後、朱子学が儒学の正統とされ、元代以降官学として採用されたため、四書尊重の風など後世に大きな影響を及ぼした。主著「朱文公文集」「四書集注」「資治通鑑綱目」「近思録」など。 → 朱子学宋学

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日本大百科全書(ニッポニカ)

朱熹
しゅき
(1130―1200)
中国、南宋(なんそう)の思想家。いわゆる朱子学を築いた人。字(あざな)は元晦(げんかい)、または仲晦(ちゅうかい)。号は晦庵(かいあん)その他。文公と諡(おくりな)され、朱子はその尊称である。[大島 晃]

生い立ち

本貫は徽州(きしゅう)(ぶげん)(江西省)の人(なお、徽州は新安の改称であることから、自らは多く新安の人と名のった)。福建省山間部の尤渓(ゆうけい)で生まれ、その生涯のほとんどを、建甌(けんおう)、建陽、崇安(すうあん)といった(びん)(福建省)北の地で送った。中原(ちゅうげん)の文化からは遠く隔てられた僻遠(へきえん)の地ともいえる片田舎(かたいなか)で生まれ育ったことになる。
 14歳のときに、中級官吏であった父朱松(しゅしょう)(1097―1143)は病死したが、その後、崇安の胡籍渓(こせきけい)、劉白水(りゅうはくすい)、劉屏山(りゅうへいざん)(子(しき)、1101―1147)(建安の三先生とよばれる)に師事し、母を奉じて勉学に励んだ。初年は儒教的教養を受けつつも老荘仏教に興味を寄せた。19歳、科挙に及第し、24歳で任官して福建省の同安県主簿(しゅぼ)(帳簿処理官)を4年間務めた。おりしも、程頤(ていい)(伊川(いせん))の学統を継ぐ李(りとう)(延平、1093―1163)と出会いこれに師事し、しだいに儒教に傾斜していき、新儒学の精髄を開示された。[大島 晃]

学問と著述

28歳で職を退き、その後20年余、官職につくことがなく、国家から年金をもらって家居生活を送り、学問著述に専念した。この間、李を失ってのち、張(ちょうしょく)(南軒(なんけん))、呂祖謙(りょそけん)(東莱(とうらい))との交流が始まり、朱熹の思想形成に多大の影響を与えたが、だいたい40歳のころにその思想の大綱が確立したと思われる。46歳のとき、呂祖謙とともに『近思録』を編纂(へんさん)し、北宋(ほくそう)の道学者、周敦頤(しゅうとんい)(濂渓(れんけい))、程(ていこう)(明道)、程頤、張載(横渠(おうきょ))の言論622条を門目別に14巻に分かち、一書にまとめた。朱熹の学問は、この4人を中心に北宋の新しい学風を受けて集大成したものであるが、程朱学と連称されるように、二程とりわけ程頤の学説を継承展開させており、その意味でこの書は朱子学の入門の書ということができる。またこの年、呂祖謙の提唱で、当時の思想界の一方の雄であった陸九淵(りくきゅうえん)(象山(しょうざん))兄弟と「鵝湖(がこ)の会」と称される会見を行った。こののちも陸九淵は彼の好敵手となり、功利学派の陳亮(ちんりょう)(龍川)と並んで、朱熹がもっとも力を込めて論陣を張る相手となり、逆にそれを通じて彼の思想はいっそう純化成熟していった。
 そしてこの20年間に多数の著作に着手した。すなわち『周易(しゅうえき)本義』『詩集伝』『四書集註(ししょしっちゅう)』『四書或問(わくもん)』といった経典解釈、『太極(たいきょく)図説解』『通書解』『西銘解』『謝上蔡語録(しゃじょうさいごろく)』『延平答問』『程氏遺書・外書』など北宋以来の先学の著作の校訂編纂、かかる先学の伝記を集めた『伊洛淵源(いらくえんげん)録』や『名臣言行録』、さらに王朝の正統性を問題にした『資治通鑑(しじつがん)綱目』など、これらの著作の定本や稿本がつくられた。
 このうち、着目すべきは『四書集註』で、死の直前まで『集註』には手を加えたという。朱熹が『大学』『中庸(ちゅうよう)』を表彰し『論語』『孟子(もうし)』とともに「四書」として五経の入門、階梯(かいてい)の書と位置づけたのは、思想的に有機的な関連性を考えてのことである。すなわち、一つは儒教の道の正統なる伝統を認めてそれをふたたび継承せんとする道統論のうえから、一つは「聖人学んで至る可(べ)し」という宋学の根本観念のもと道の把握に向けて学問の目的とその次第が明確に示されているという点からである。それは漢唐の訓詁(くんこ)学的経学(けいがく)とは違って、経書を通じて統一的思想を学び、その真義を体して己の人格の完成を図り、儒学の理想とする修己治人の道を実現しようという新儒学の樹立を意味する。
 49歳江西省の南康軍(なんこうぐん)知事(2年)、ついで浙江(せっこう)省で飢饉(ききん)対策の任にあたり(1年)、61歳福建省(しょうしゅう)知事(1年)、65歳湖南省潭州(たんしゅう)知事兼荊湖(けいこ)南路安撫使(あんぶし)(3か月)を歴任、最後に中央に召され煥章閣(かんしょうかく)待制兼侍講(じこう)(天子の顧問官)となるが、時の宰相の韓(かんたくちゅう)と衝突し、わずか45日で辞任する。その後、韓冑一派が政権を掌握するのに伴い、朱熹は官吏としての資格を剥奪(はくだつ)され、その学は偽学として弾圧を受けたが、屈せず、講学と著述のうちにその生涯を終えた。
 後半期の著作には『易学啓蒙(けいもう)』『孝経刊誤』『小学』『楚辞(そじ)集註』『韓文(かんぶん)考異』『儀礼経伝通解』などがある。また没後、『朱文公文集』『朱子語類』が編纂されたが、『四書集註』と並んで朱熹および朱子学研究の必須(ひっす)の資料である。
 上述のように、官吏として現職にある期間は短く(約10年間)、その大部分は地方官であったが、職務にも精励し、社倉法など優れた治績も残している。その一生はいわば学者と官僚との交錯であるが、社会的には当時の学者に多くの刺激を与えた。[大島 晃]

思想的特徴

朱熹の哲学は理気哲学といわれるが、形而下(けいじか)の気に対して形而上の理をたて、理と気の関係を明確にし、生成論・存在論から心性論・修養論にわたって、理気によって一貫した理論体系を完成した。その学問修養法は、人間が本来有しているものを回復するという形をとり、そのための工夫・努力が「居敬窮理(きょけいきゅうり)」である。両者は相互に補完しあうものだが、「居敬」とは心を情欲に妨害されぬようにし、妄思妄動をなくすこと、「窮理」(格物致知(かくぶつちち))は事事物物についてそれに内在する理を窮めていくことで、その努力を積み重ねてすべての理に通暁(つうぎょう)し、根源の一理の把握を目ざすものである。朱熹の考える事物の範囲はたいへん広く、いわゆる自然学の分野にまで及んでいる。それはあくまで道徳的規範の普遍妥当性の根拠を追究するものであったが、一気・陰陽・五行の生成論的な連関で万物の生成存在を統一的に把握しようとしたことと相まって、天文学をはじめ中国の自然学の展開のなかでも多大の貢献をし影響を与えた。近年その面に関する研究も行われ始めている。[大島 晃]
『荒木見悟編『世界の名著19 朱子・王陽明』(1978・中央公論社) ▽三浦国雄著『人類の知的遺産19 朱子』(1979・講談社) ▽山田慶児著『朱子の自然学』(1978・岩波書店)』

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