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木下順庵【きのした じゅんあん】

美術人名辞典

木下順庵
江戸前期の儒者。京都生。名は貞幹、字は直夫、順庵は号、別号に錦里、敏慎斎等。松永尺五に学び、のち幕府の儒官に挙げられた。その門下新井白石室鳩巣雨森芳洲・祗園南海らの大儒が輩出している。元禄11年(1698)歿、78才。

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デジタル大辞泉

きのした‐じゅんあん【木下順庵】
[1621~1699]江戸前期の儒学者。京都の人。名は貞幹(さだまさ)。別号、錦里。松永尺五(まつながせきご)に学び、加賀藩主に仕え、のち将軍綱吉侍講となった。門下に新井白石室鳩巣(むろきゅうそう)雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)祇園南海(ぎおんなんかい)らがいる。詩文集「錦里文集」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

木下順庵 きのした-じゅんあん
1621-1699* 江戸時代前期の儒者。
元和(げんな)7年6月4日生まれ。松永尺五(せきご)にまなび,金沢藩主前田綱紀(つなのり)につかえる。62歳で将軍徳川綱吉(つなよし)の侍講となり,林鳳岡(ほうこう)らと「武徳大成記」を編修。新井白石,室鳩巣(きゅうそう)ら多数の門人をそだてた。元禄(げんろく)11年12月23日死去。78歳。京都出身。名は貞幹。字(あざな)は直夫。別号に錦里。

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

きのしたじゅんあん【木下順庵】
1621‐98(元和7‐元禄11)
江戸前期の儒者。京学派の朱子学者。名は貞幹(さだまさ),字は直夫,通称は平之丞。順庵のほか錦里とも号した。藤原惺窩の門人松永尺五(せきご)に学び,家塾雉塾を開く。加賀藩に出仕ののち,1682年(天和2)幕府儒官,将軍徳川綱吉の侍講となり,《武徳大成記》の編修に当たった。寛容な学風で教育者としてすぐれ,新井白石,室鳩巣,雨森芳洲,祇園南海,榊原篁洲の木門五先生をはじめ,多くの門人がいる。遺稿《錦里文集》。

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大辞林 第三版

きのしたじゅんあん【木下順庵】
1621~1698) 江戸前期の儒学者。号は錦里など。京都の人。松永尺五せきごの弟子。加賀藩に仕え、次いで徳川綱吉の侍講となる。朱子学者で、その門から室鳩巣・新井白石など木門もくもんの十哲といわれる俊秀が輩出。著「錦里文集」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

木下順庵
きのしたじゅんあん
[生]元和7(1621).京都
[没]元禄11(1698).江戸
江戸時代前期の朱子学者。名は貞幹 (さだまさ) ,字は直夫,通称は平之丞,号に順庵,錦里などがあり,没後に門人から恭靖先生と諡 (おくりな) された。幼少時より才気に富み,僧天海が弟子にして法嗣にしようとしたという話もある。藤原惺窩の弟子松永尺五に学び,のち京都東山に塾を開いて多くの門人を育てた。加賀藩主前田綱紀の認めるところとなり禄を受け,さらに天和2 (1682) 年将軍綱吉のとき,江戸幕府の儒官となる。林鳳岡,人見竹洞らと『武徳大成記』を編修。著書には遺稿を集めた『錦里先生文集』があり,その詩文の格調は荻生徂徠によって高く評価されている。新井白石,室鳩巣らすぐれた門人が多い。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

木下順庵
きのしたじゅんあん
(1621―1698)
江戸前期の儒者。元和(げんな)7年6月4日京都に浪人の子として生まれる。名は貞幹(さだもと)、字(あざな)は直夫、別号は錦里(きんり)、薔薇洞(そうびどう)など。諡(おくりな)に恭靖(きょうせい)先生という。幼少より聡明(そうめい)で、僧天海(てんかい)より法嗣(ほうし)に望まれたが受けず、松永尺五(まつながせきご)のもとで漢学を学んだ。安東省庵(あんどうせいあん)、宇都宮遯庵(うつのみやとんあん)とともに松永門の三庵と称された。一時江戸に出たが、帰京して学徒として東山で教授すること20年、40歳のとき、加賀藩主前田綱紀(まえだつなのり)に招かれて仕えた。1682年(天和2)62歳で幕府の儒官となって江戸に下り、ここに木門(ぼくもん)の学派を生じて、林家を凌駕(りょうが)するほどになった。新井白石(あらいはくせき)、室鳩巣(むろきゅうそう)、榊原篁洲(さかきばらこうしゅう)、雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)、祇園南海(ぎおんなんかい)(以上、木門の五先生という)など多くの逸材を育てた。順庵は程朱(ていしゅ)学を尊崇したが、これに局限されず、詩文を愛し、古注釈に通じ、また王陽明(おうようめい)(王守仁(おうしゅじん))も好んだ。その学の自由な該博(がいはく)さと教育家としての徳量とにより、江戸前期の文運に資するところが大きかった。元禄(げんろく)11年12月23日78歳で没した。著書に『錦里文集』19巻(1789)、『班荊(はんけい)集』2巻ほかがある。[黒住 真]
『木下一雄校釈『錦里文集 付木下順庵評伝』(1982・国書刊行会) ▽竹内弘行・上野日出刀著『木下順庵・雨森芳洲』(1991・明徳出版社)』

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367日誕生日大事典

木下順庵 (きのしたじゅんあん)
生年月日:1621年6月4日
江戸時代前期の儒学者
1699年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

きのした‐じゅんあん【木下順庵】
江戸前期の朱子学者。名は貞幹(さだまさ)。字(あざな)は直夫。通称、平之丞。別号、錦里。京都の人。松永尺五(せきご)に師事。加賀藩に仕え、のち五代将軍徳川綱吉の侍講となり、「武徳大成記」を編纂した。博学多才で古注疏を併用し、江戸期に初めて本格的に唐詩を鼓吹し、門弟の教育に努め、新井白石、室鳩巣、祇園南海、雨森芳洲、榊原篁洲ら多くの逸材を出した。著「錦里文集」「班荊集(はんけいしゅう)」など。元和七~元祿一一年(一六二一‐九八

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