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有智子内親王【ウチコナイシンノウ】

デジタル大辞泉

うちこ‐ないしんのう〔‐ナイシンワウ〕【有智子内親王】
[807~847]平安初期の女流漢詩人嵯峨(さが)天皇皇女初代賀茂斎院となった。そのは「経国集」に採録

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

有智子内親王 うちこないしんのう
807-847 平安時代前期,嵯峨(さが)天皇の皇女。
大同(だいどう)2年生まれ。母は交野(かたのの)女王弘仁(こうにん)元年初代の賀茂斎院となる。漢詩文にすぐれ,14年斎院の花宴のときつくった詩が父天皇に賞賛され,三品(さんぼん),封100戸をさずけられた。承和(じょうわ)14年10月26日死去。41歳。

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

うちこないしんのう【有智子内親王】
807‐847(大同2‐承和14)
嵯峨天皇の皇女で,女流詩人。4歳で賀茂斎院となり,斎院生活の日々を,《史記》や《漢書》の中国古典に親しみ詩作にいそしんだ。その若き日の漢詩作品が《経国集》に8首,《雑言奉和》に1首,《続日本後紀》に1首みえるが,多くは応製奉和の作。823年(弘仁14)17歳の時,斎院花宴行幸があり,春日山荘の七律に〈林に栖(す)む孤鳥も春の(うつくしび)を識(し)り,澗(たに)に隠るる寒花も日の光に見(あらわ)るる〉と詠み,父帝より嘆賞の七絶を賜り三品に叙せられた。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

うちこないしんのう【有智子内親王】
807~847 平安時代の漢詩人。嵯峨さが天皇の皇女。最初の賀茂斎院。詩文をよくし、「本朝女中無双之秀才」といわれた。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

有智子内親王
うちこないしんのう
(807―847)
平安前期の漢詩人。嵯峨(さが)天皇の皇女。広く漢籍に通じ、詩や文章に長じていた。若くして賀茂斎院にたったが、823年(弘仁14)に天皇の行幸があり、斎院で花宴が催された。このおり七言律詩をつくって天皇を感心させ、その功績によって三品(さんぼん)を授けられた。833年(天長10)二品に叙せられ、晩年は嵯峨の地に過ごした。作品は『経国(けいこく)集』や『雑言奉和』に残っているが、表現はむだな修辞を排して直截(ちょくせつ)で、素材の面などに嵯峨天皇の影響がうかがえる。[金原 理]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

うちこ‐ないしんのう ‥ナイシンワウ【有智子内親王】
嵯峨天皇の皇女。弘仁元年(八一〇)最初の賀茂斎院(かものさいいん)となる。天長八年(八三一)退居。漢詩文に堪能で、作品は「続日本後紀」「経国集」に所収。大同二~承和一四年(八〇七‐八四七

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