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明智光秀【あけち みつひで】

美術人名辞典

明智光秀
戦国・安土桃山時代武将美濃生。明智光綱の子。名は十兵衛、日向守。織田信長仕え殊遇を得るが、のち謀反を決意し、本能寺信長急襲秀吉との山崎合戦に敗れ、逃走途中小栗栖で歿する。天正10年(1582)歿、56才。

出典:(株)思文閣

朝日新聞掲載「キーワード」

明智光秀
1528?~82年。美濃の土岐氏の支流の生まれともされるが、不詳。越前朝倉義景に仕えた後、織田信長に従う。細川藤孝幽斎)とともに将軍足利義昭と信長の間を取りもち、公家との交渉で力を発揮した。 信長の命で丹波(現在の福知山亀岡、南丹、綾部、京丹波と兵庫県篠山、丹波の各市町)を平定し、福知山城(福知山市)を築城した。亀山城(亀岡市)から出陣し、信長を本能寺(中京区)で討つ。わずか10日余り後、天王山大山崎町)の戦いで豊臣秀吉に敗れてその日に命を落とし、「三日天下」と言われるようになった。
(2018-12-11 朝日新聞 朝刊 京都市内・1地方)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

デジタル大辞泉

あけち‐みつひで【明智光秀】
[1528ころ~1582]安土桃山時代の武将。織田信長に仕え、近江(おうみ)坂本城主。天正10年(1582)京都の本能寺に主君信長を襲って自害させたが、まもなく山崎で羽柴秀吉に敗れ、敗走の途中で農民に殺された。→本能寺の変(へん)
鷲尾雨工による歴史小説。昭和13年(1938)刊行

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

明智光秀 あけち-みつひで
1528-1582 戦国-織豊時代の武将。
享禄(きょうろく)元年生まれ。細川ガラシャの父。美濃(みの)(岐阜県)の土岐氏の一族とされる。故実,典礼に通じた教養ゆたかな武将で,はじめ朝倉義景(よしかげ)につかえ,のち織田信長の家臣となって足利義昭の上洛に尽力。義昭や寺社,公家との交渉役をつとめる。元亀(げんき)2年近江(おうみ)坂本城主となり,惟任日向守(これとうひゅうがのかみ)と称した。丹波攻略などに功をたて,亀山城主となる。天正(てんしょう)10年信長を本能寺に討つが,羽柴(豊臣)秀吉に山崎の戦いで敗れて逃走中の6月13日農民に殺された。55歳。通称は十兵衛。
【格言など】仏の嘘(うそ)をば方便といい,武士の嘘をば武略という。を以て之を見れば,土民百姓は可愛きことなり

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

あけちみつひで【明智光秀】
1528?‐82(享禄1?‐天正10)
安土桃山時代の武将。明智氏は美濃土岐の一族だが,光秀は初め越前の朝倉義景に仕え,そして足利義昭が朝倉氏のもとに流寓したとき出仕し,ついで織田信長の家臣となり義昭の上洛に尽力,義昭と信長に両属して申次(もうしつぎ)を務め,京都の施政にも関与した。室町幕府滅亡後は信長に登用され征服戦に参加,1571年(元亀2)近江坂本城主となり,75年(天正3)惟任(これとう)日向守と称し,丹波の攻略に着手,79年八上城の波多野秀治らを下して平定し,80年亀山城主となり,ついで細川藤孝,筒井順慶,中川・高山諸氏を与力として付属され,京都の東西の要衝掌握,美濃・近江・丹波の諸侍や幕府旧臣を中核とする家臣団を形成した。

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大辞林 第三版

あけちみつひで【明智光秀】
1528~1582 戦国・安土桃山時代の武将。美濃の生まれ。通称、十兵衛。日向守。近江坂本城主。織田信長に重用されたが、1582年6月2日、京都本能寺に信長を襲い自害させた。同13日、山崎の戦いで羽柴(豊臣)秀吉に敗れ、逃走中土民に殺された。 → 本能寺の変

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

明智光秀
あけちみつひで
[生]享禄1(1528).美濃
[没]天正10(1582).6.13. 京都
安土桃山時代の武将。通称十兵衛。天正3 (1575) 年九州の旧族惟任の称号を与えられ日向守。父は光綱。その前身は判然としないが,美濃の土岐氏の支流といわれ,また美濃明智荘に居住し明智と称したという。初め斎藤氏に仕え,流浪ののち永禄9 (1566) 年織田信長に仕えた。翌年,滝川一益に従い北国征伐に参加し,信長上洛に際しては村井貞勝らとともに京都の政務にあたり,信長の信任を受けた。元亀2 (1571) 年,若狭平定の軍功により,近江坂本城主となり,滋賀郡を領した。のち朝倉氏が滅亡し,越前が平定されると,柴田勝家らと同国の経営を行ない,天正5年には信長の命で丹波に進撃して,丹波経略に尽力した。その後も荒木村重,松永久秀の反乱や紀伊雑賀の一向一揆,また武田勝頼征伐などの諸戦に従軍。同 10年信長より徳川家康の功をねぎらうための接待役を命じられたが,その準備なかばで,さらに羽柴秀吉への援軍を命じられ,憤激して帰国し,丹波亀山城から兵を整え上洛し,6月2日信長を本能寺で討つにいたった (→本能寺の変 ) 。しかしその後の収拾策は遅滞し,光秀謀反に中国路より転進して上洛する羽柴秀吉に対して,味方と頼んだ蒲生秀賢,細川忠興,筒井順慶らはいずれも参陣せず,京畿地方の人心の収攬も成功しないまま,13日山崎の戦いで秀吉に大敗,近江坂本に帰る途中,小栗栖 (おぐるす) で殺害された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

明智光秀
あけちみつひで
(?―1582)
安土(あづち)桃山時代の武将。光綱の子、通称十兵衛。美濃(みの)国(岐阜県)の人。守護土岐(とき)氏の支族と伝えるが明らかでない。越前(えちぜん)の朝倉義景(あさくらよしかげ)に仕え、のち織田信長に従う。将軍足利義昭(あしかがよしあき)の臣細川藤孝(ふじたか)(幽斎(ゆうさい))とともに、つねに義昭と信長の間を取り持ち、公家(くげ)たちとの交渉にも鮮やかな手腕を発揮した。1571年(元亀2)近江(おうみ)坂本に築城し、各地の戦いに参加するとともに、京都の民政をつかさどった。そのなかでも武人としてとくに力を尽くしたのは、丹波(たんば)、丹後(たんご)地方の経略である。1575年(天正3)6月信長の命により丹波の経略に着手。当初は国人(こくじん)も多く味方し、11月には氷上(ひがみ)郡中部の黒井城まで進むことができた。ところが翌1576年正月八上(やがみ)城の波多野秀治(はたのひではる)の叛(はん)により、丹波一円の抵抗が強まった。その後丹波以外にも適時動員されたが、鋭意丹波の攻略を続け、4年後の1579年にはもっとも強く抵抗した八上城を陥れた。その後細川藤孝を助けて丹後地方も平定した。1582年5月、毛利討伐のため中国出兵を命ぜられたときには、西江州(ごうしゅう)、丹波を直轄領とし、丹後の細川藤孝、大和(やまと)の筒井順慶(つついじゅんけい)、摂津の高山、中川、池田の諸将を組下とし、近畿を統率する地位に上っていた。ところが同年6月2日、本能寺に泊っている信長の警護の手薄なのに乗じて突然これを襲い自刃させ、ついでその長男信忠(のぶただ)を二条城で倒した。しかし羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ))秀吉があまりにも早く毛利氏と和して東上したために計画が狂い、山崎で秀吉らの連合軍と戦い、13日夜敗死した。享年55歳とも57歳ともいう。世にいう「明智の三日天下」である。山崎の戦いの際の光秀の本陣跡は京都府大山崎町下植野の共同墓地付近と考えられ、その拠(よ)ったと思われる土塁と周濠(しゅうごう)の跡も、サントリー工場内で発掘調査により確かめられた。[中山修一]
『高柳光寿著『明智光秀』(1958・吉川弘文館) ▽桑田忠親著『明智光秀』(1973・新人物往来社)』

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精選版 日本国語大辞典

あけち‐みつひで【明智光秀】
安土桃山時代の武将。日向守。通称十兵衛。のち惟任(これとう)と改名。織田信長に仕え、戦功により近江坂本城主となる。天正一〇年(一五八二)信長を本能寺に襲い自害させたが、一一日後、山城山崎で羽柴秀吉と戦って敗れ、小栗栖(おぐるす)で土民に殺された。享祿元~天正一〇年(一五二八‐八二

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