Rakuten infoseek

辞書

新陰流【しんかげりゅう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

新陰流
しんかげりゅう
一刀流,神道流と並ぶ剣道三大流派の一つ。神陰流,新影流とも書く。室町時代末期上伊勢守秀綱が創案し,始祖となる。愛洲日向守移香斎 (あいすひゅうがのかみいこうさい) の陰流の流れをひき,自己の心影にの心影を即座に映し相手を制することを主眼とする。のち柳生石舟斎宗厳の柳生新陰流山田平左衛門光徳直心影流がこの流派から出た。殺伐な実践剣法をとらず,むしろ心にをおく流派。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

しん‐かげりゅう〔‐かげリウ〕【新陰流】
近世の剣術の一派。永禄年間(1558~1570)に上泉伊勢守秀綱(かみいずみいせのかみひでつな)創始愛洲陰流(あいすかげりゅう)から、または鹿島(かしま)神流から学んだという。門人柳生宗厳(やぎゅうむねよし)らがいる。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉プラス

新陰流
剣術の流派のひとつ。永禄年間に、上野国出身の上泉(かみいずみ)伊勢守信綱(秀綱)が創始。攻守いずれにも応じられる“無形の位”を極意とする。柳生新陰流など多くの分派がある。

出典:小学館
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

しんかげりゅう【新陰流】
上泉秀綱(生没年不詳)の創始した剣術流派。戦国時代,愛洲移香(1452‐1538)によって創始された陰流に,鹿島・香取の神道流剣術をも加え,総合して上泉が組み立てた。日本の剣術の中心的流派として,後に柳生新陰流(柳生流),タイ捨流,疋田陰流など多くの有力流派を生んだ。新陰流剣術の技法は,柳生宗厳(むねよし)(石舟斎)(1527‐1606)に伝えられ,その体系が目録として柳生家に伝えられている。【中林 信二】

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

しんかげりゅう【新陰流】
初め新影流と書いた
剣術の一派。近世初期に上泉かみいずみ伊勢守秀綱が陰流を愛洲あいす小七郎に学んで創始。この流派から疋田ひきだ陰流・神陰流・柳生新陰流・タイ捨しや流など多くの支流を生じた。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

新陰流
しんかげりゅう
近世剣術の一主流で永禄(えいろく)年間(1558~70)上泉伊勢守秀綱(かみいずみいせのかみひでつな)(のち武蔵守(むさしのかみ)信綱(のぶつな))の創始。秀綱は上州の大胡(おおこ)城主上泉秀継(ひでつぐ)の子で、幼少より刀槍(とうそう)の術を好み、青年時代には小笠原宮内大輔氏隆(おがさわらくないたいふうじたか)に源家古流の軍法軍敗(ぐんぱい)の術を学び、さらに禅・書・画などの教養を積んだという。なかでも剣術では念(ねん)流、新当(しんとう)流、愛洲陰(あいすかげ)流などの奥儀を究め、日々摩利支天の秘法を勧修して、自ら工夫鍛練を重ね、とくに陰(かげ)の流に奇妙のあるところを抽出して、新陰流と称した。1563年(永禄6)上方(かみがた)への廻国(かいこく)修業の旅に出立し、三河(みかわ)で奥山休賀斎公重を、伊勢(いせ)で国司北畠具教(きたばたけとものり)を訪ね、さらに奈良で宝蔵院胤栄(いんえい)、柳生石舟斎宗厳(やぎゅうせきしゅうさいむねよし)らに教授した。やがて京都に入り、愛宕山(あたごやま)・誓願寺・清水(きよみず)の3か所に、新陰流兵法根本天下一の高札を打った。
 その後1569年ころから、権大納言(ごんだいなごん)山科言継(やましなときつぐ)と親交を結び、公卿(くぎょう)たちに兵法の講義などをしていたが、71年(元亀2)突如として帰国を決意し、言継に兵法家としての常備薬である愛洲薬、香(こうじゅさん)などの処方と、下総国(しもうさのくに)結城(ゆうき)氏あての紹介状を懇請し、これらを入手すると、帰国の途についたとみられるが、その後の動静は明らかではない。
 上泉が、柳生ら高弟に授与した伝書には、近世の流派として先駆的な役割を果たしたと認められるものとして次の諸点をあげられる。まず剣法相伝の方式を確立したこと、すなわち、(1)源流である陰流、新当流から伝承したもの(猿飛・七太刀)、(2)秀綱自身が工夫考案したもの(参学円太刀)、(3)他流の秘伝の太刀を分析し選び出したもの(九筒・天狗抄)の三つに分け、かつ参学円太刀をもってすべての技法の大前提としたこと。次に従来の隠語や符牒にすぎなかった太刀名や用語に、『碧巌録(へきがんろく)』などから選んだ禅語などを用いて、その性格や特質を示し、「絵目録」をもって援用したこと。さらに、これまでの介者(かいしゃ)(甲冑(かっちゅう))剣術が臂力(ひりょく)や構えに重点を置いたのに対し、日常の稽古(けいこ)を「懸待表裏の行」と定め、眼意身手足の五つ、すなわち人体自然の動きによって「円転(まろばし)」することが、すなわち活人剣の極意とした。そして、稽古の安全性を確保するために「ふくろしない」を考案し、これを普及させたことなどがあげられる。なお、新陰の門流としては、柳生石舟斎宗厳の子宗矩(むねのり)が、徳川将軍秀忠(ひでただ)・家光(いえみつ)の兵法師範となって、近世剣術の主流的役割を担ったほか、疋田(ひきた)陰流(疋田豊五郎(ぶんごろう))、神後流(神後伊豆守)、松田派(松田織部助)、狭川(さがわ)派(狭川甲斐守(かいのかみ))、タイ捨流(丸目蔵人佐(くらんどのすけ))、神陰流(奥山休賀斎)、心陰流、心抜流、真真陰流などが全国に分布した。[渡邉一郎]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

しんかげ‐りゅう ‥リウ【新陰流】
〘名〙 剣道の一流派。室町末に上泉伊勢守秀綱が愛洲陰流(あいすかげりゅう)を学び、さらに松本備前守政元から鹿島神流を学んでみずから一派をたてたものをいう。また、この系譜に属する流派に、柳生新陰流、心陰流、神影流、疋田陰流、真陰流(しんかげりゅう・まかげりゅう)などがある。新陰。
※随筆・常山紀談(1739)二三「上野の上泉伊勢守といふ剣術者あり。上泉は新蔭流の妙手也」

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

新陰流」の用語解説はコトバンクが提供しています。

新陰流の関連情報

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.