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文武王【ぶんぶおう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

文武王
ぶんぶおう
Munmu-wang
[生]真平王48(626)
[没]神文王1(681)
朝鮮,新羅の第 30代の王 (在位 661~681) 。姓名は金法敏。父は太宗武烈王。母は金 庾信 (きんゆしん) の妹文明王后。の永徽1 (650) 年入唐して大府卿を授けられ,武烈王7 (660) 年の百済討滅戦では,新羅軍の最高司令官となり,翌年高句麗討伐中,父武烈王の死にあい,帰国して王位についた。日本の支援を受けた百済の王子豊璋らを滅ぼし,さらに文武王8 (668) 年には唐軍と連合して高句麗を討滅した。同 10年にこれまでの同盟国唐が朝鮮全土を支配しようとしたので,唐と戦い,大同江以南を確保して朝鮮最初の統一王朝を樹立した。この間唐の文化,制度を導入し,中央集権をさらに強化した。

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世界大百科事典 第2版

ぶんぶおう【文武王 Mun‐mu‐wang】
?‐681
朝鮮,新羅の王。在位661‐681年。は金,諱(いみな)は法敏。武烈王太子として660年の百済討滅戦に金庾信(きんゆしん)らとともに参加,翌年王の病死により即位する。唐軍に連合して,百済復興軍を抑え,663年日本の水軍をも白村江(錦江下流)に破り,さらに668年弟の金仁問らをさしむけて高句麗を滅ぼした。この間,唐により鶏林大都督に任命されて,新羅は唐の間接統治領である羈縻(きび)州となったが,高句麗復興軍を助けて唐と戦い,一時唐に新羅王の官爵を剝奪されながらも,唐の勢力を排除して671年百済旧領を,676年高句麗旧領の一部を領有し,半島部における三国統一を達成した。

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