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推古天皇【すいこてんのう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

推古天皇
すいこてんのう
[生]欽明15(554).大和
[没]推古36(628).3.7. 大和
第 33代の天皇,女帝 (在位 592~628) 。欽明天皇の第3皇女,母は蘇我稲目の娘,皇太夫人堅塩媛 (きたしひめ) 。用明天皇と同母の妹で,名は幼少時は額田部,のち豊御食炊屋姫尊 (とよみけかしきやひめのみこと) 。敏達5 (576) 年敏達天皇皇后となったが,同 14年天皇を失い,さらに蘇我馬子のために崇峻天皇が殺されたのち,擁立されて崇峻5 (592) 年 12月豊浦宮で即位し,のち大和小墾田に移り,小墾田宮に都した。甥の聖徳太子を立てて皇太子摂政とし,治世中,太子を中心として冠位十二階の設定,『十七条憲法』の制定,暦の使用,『天皇記』『国記』などの編纂,遣隋使の派遣などが行われた。推古 20 (612) 年,女帝の母である堅塩媛命の檜隈陵への改葬が行われている。女帝は厚葬することを禁じる旨遺詔して没した。陵墓は大阪府南河内郡太子町の磯長 (しなが) 山田陵。

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デジタル大辞泉

すいこ‐てんのう〔‐テンワウ〕【推古天皇】
[554~628]第33代天皇。在位593~628。欽明天皇の第3皇女。名は豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)。敏達天皇の皇后となり、崇峻天皇蘇我馬子(そがのうまこ)に殺されたのちに即位。聖徳太子摂政として国政を行った。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

推古天皇 すいこてんのう
554-628 飛鳥(あすか)時代,第33代天皇。在位593*-628。
欽明(きんめい)天皇15年生まれ。欽明天皇の第2皇女。母は蘇我堅塩媛(そがの-きたしひめ)。用明天皇の同母妹。敏達(びだつ)天皇の皇后。わが国初の女帝。聖徳太子を皇太子,摂政とする。仏教興隆はかり,「天皇記」や「国記」をつくらせた。冠位十二階や十七条憲法を制定し,小野妹子(いもこ)を隋(ずい)(中国)に派遣した。推古天皇36年3月7日死去。75歳。墓所は磯長山田陵(しながのやまだのみささぎ)(大阪府太子町)。別名は額田部(ぬかたべの)皇女,豊御食炊屋姫天皇(とよみけかしきやひめのすめらみこと)。

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

すいこてんのう【推古天皇】
554‐628
6世紀末~7世紀初の天皇。第33代に数えられる日本最初の女帝。在位592‐628年。幼名を額田部(ぬかたべ)皇女といい,和風諡号(しごう)は豊御食炊屋姫(とよみけかしぎやひめ)天皇。小治田(おはりだ)大宮治天下天皇などともいう。欽明天皇の皇女で母は大臣(おおおみ)蘇我稲目の女の堅塩媛(きたしひめ)。《日本書紀》によれば576年(敏達5)敏達天皇の皇后となり,菟道貝鮹(うじのかいだこ)皇女,竹田皇子など2男5女を生んだ。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

すいこてんのう【推古天皇】
554~628 記紀で第三三代天皇(在位592~628)の漢風諡号しごう。名は額田部ぬかたべ。豊御食炊屋姫とよみけかしきやひめとも。欽明天皇第三皇女。敏達天皇の皇后。崇峻天皇が蘇我馬子に殺されると、推されて即位。聖徳太子を皇太子・摂政として政治を行い、飛鳥文化を現出。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

推古天皇
すいこてんのう
(554―628)
女帝。第33代とされる天皇(在位592~628)。名は額田部(ぬかたべ)。和風諡号(しごう)は豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)天皇。わが国で最初の女帝。欽明(きんめい)天皇の第3皇女。母は蘇我堅塩姫(そがのきたしひめ)。18歳で敏達(びだつ)天皇の妃となり、皇后広姫が死んだあと、皇后にたったという。敏達天皇のあと推古の同母兄の用明(ようめい)天皇がたったが、治政は2年で終わり、ついでたった崇峻(すしゅん)天皇は大臣蘇我馬子(うまこ)の命を受けた東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)に殺された。このあと諸臣に推されて、豊浦宮(とゆらのみや)で即位したという。ときに39歳であった。以後、推古女帝は、厩戸(うまやど)皇子(聖徳太子)を摂政(せっしょう)として、治政は36年間に及んだという。大臣は蘇我馬子、その死後は蘇我毛人(えみし)(蝦夷)であった。
 しかし、こうした通説に対して、当時の天皇(大王)は厩戸皇子で、推古女帝は厩戸皇子の没後の622~623年ごろに即位したのではないかとの説もある。その論拠は、日本からの遣隋使(けんずいし)がその大王を男帝といったこと、当時女帝の際にはなかった伊勢斎王(いせさいおう)に622年まで酢香手姫(すかてひめ)皇女が在任したことなどである。推古女帝は死の病床で、次の天皇(大王)位をめぐって、田村(たむら)(後の舒明(じょめい)天皇)、山背(やましろ)(聖徳太子の子)両皇子に行動を自重するように遺言したといわれる。陵墓は大阪府南河内(みなみかわち)郡の磯長(しなが)山田陵。[門脇二]

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精選版 日本国語大辞典

すいこ‐てんのう ‥テンワウ【推古天皇】
第三三代と伝えられる天皇(在位五九二‐六二八)。女帝。欽明天皇の第三皇女。母は蘇我稲目の娘堅塩媛(きたしひめ)。名は額田部、豊御食炊屋姫命(とよみけかしきやひめのみこと)。敏達天皇の皇后となり、崇峻天皇が蘇我馬子に殺されてから即位。聖徳太子を皇太子・摂政として政治を行なった。冠位十二階、十七条憲法、国史の編纂、法隆寺の建立などを行ない、百済僧・高句麗僧や遣隋使によって、制度文物を積極的に摂取した。推古三六年(六二八)没。→飛鳥時代

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