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所得政策【しょとくせいさく】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

所得政策
しょとくせいさく
incomes policy
最広義には国連報告書『戦後ヨーロッパにおける所得』で定義されているように「労働および資本報酬の水準と構造に対して,また世帯と企業への国民所得の分配に対して,ある程度の直接的集団的統制を確保しようとする努力」であり,広く税制などによる所得再分配政策をも含む。しかし狭義には物価安定のための手段としての所得政策に限って用いられるものであり,1960年代初めから欧米で導入されるようになった。経済協力開発機構 OECDの経済政策委員会の報告書『物価安定のための諸政策』 (1962) によると,所得政策の目標は物価安定,正確には満足な雇用および経済成長の維持と適切な物価安定との両立を確保することであり,賃金,雇用者所得の抑制を目指すものではなく,所得分配に対する公的直接規制や積極的関与を必ずしも意味しない。また第2次世界大戦後,特に 50年代後半以降先進工業諸国では物価上昇に悩まされ,アメリカ,イギリス,オランダ,フランス,スウェーデンなど多数の国でさまざまの形の所得政策が導入され,ガイド・ポスト政策ガイド・ラインガイディング・ライト政策などと呼ばれたものがこれである。 74年にイギリスで導入された「社会契約」型賃金決定も一種の所得政策といえる。日本でも所得政策の導入をめぐって各種の議論があった。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典 第2版

しょとくせいさく【所得政策 incomes policy】
賃金,利潤等の非賃金所得,あるいは製品価格の形成に,政府が直接的になんらかの影響を与えて価格上昇(インフレーション)を抑制しようとする政策。インフレーションを沈静化するための正統的な政策は財政・金融政策等総需要管理政策である。総需要を管理することにより経済成長を抑え,また資源の遊休化(たとえば失業)を生み出せばインフレーションが減速することはよく知られている。とくに貨幣供給の成長率を減速するといった金融の引締めがインフレーションの抑制に効果があることは多くの経済学者が認めるものである。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

所得政策
しょとくせいさく

政策当局が物価の安定を主たる目的に、諸所得(賃金、利潤、利子、配当など)の形成過程に介入することによって、分配国民所得の成長と実質国民生産の成長との均衡を維持する政策である。

[三富紀敬]

所得政策の諸類型

所得政策は、政策の目的と対象に関連して三つの型に分類される。第一は狭義の所得政策で、その目的が物価の安定に置かれ、対象がもっぱら賃金もしくは価格にのみ設定される場合である。第二は中間的な所得政策で、目的が物価の安定をはじめ国際収支の安定、完全雇用の維持、経済停滞の回避に置かれ、対象が賃金をはじめその他の諸所得(利潤、利子、地代、自営所得、資本利得など)に設定される場合である。第三は広義の所得政策で、中間的な政策の場合に採用される目的および対象のほかに、前者については所得分配の公正化、後者については諸所得を間接的に規制する要因、すなわち労働組合の交渉力の弱化および企業の独占力の排除や積極的労働市場政策の加えられる場合である。

 また、実施の手段や主体にかかわっても三つに類型化される。第一は直接規制方式といわれるもので、この場合には政府・官庁が政策の主体になって強制的、立法的な措置が採用される。第二は誘導・説得方式とよばれるもので、この場合には政府・官庁もしくは労使(資)などの代表の参加する政府の政策機関が主体となって誘導と説得の手段が採用される。ガイド・ラインguide lineやガイド・ポストguide postといわれる目標値の示される場合が、これである。第三は話し合い方式といわれるもので、労使などの当事者中心の自主的な規制機関が主体となって労使による自主規制が行われる。所得政策の実際の展開過程は、目的と対象による三つの型と主体と手段による三つの型がそれぞれ組み合わされる。

[三富紀敬]

イギリスの所得政策

歴史的には1962年にイギリスの『所得白書――所得政策の次の段階』で、賃上げの指標(ガイディング・ライトguiding light)として2.0~2.5%の基準が示されたことに始まる。その後イギリスでは、賃金の引上げを国民生産増加率の枠内に抑える基準が提示された。1963年には国民経済開発審議会が設置され、最大の労働組合中央組織であるイギリス労働組合会議(TUC)の条件付き参加がなされたが、労働者の抵抗が広がり、基準を上回る賃上げが続出した。1964年には経済省が所得政策担当省として新設され、労使政三者代表の署名になる生産性、物価および所得に関する共同宣言が発表された。翌1965年には『物価所得白書』が発表され、物価引上げの抑制をはじめ、予測される生産性の上昇率に見合う所得の上昇率3.0~3.5%が設定された。同時に、政策の実施を監視し、調査・勧告する任を負う全国物価所得委員会が、三者構成のもとに設置され活動を始めた。しかし基準を超える賃上げが続出したため、物価所得法が制定され、所得政策の強制的な実施が図られた。

 その後1966年には、政府の賃上げ実施延期命令に違反するストライキを処罰する項目を加えた新物価所得法も制定されたが、TUCは、職場労働者の抵抗に押され、88%の高率をもって物価所得法の撤廃要求決議を採択した(1967)。1972年に発表された所得政策は、あいまいな価格および利潤規制の一方で、賃金に対する厳しい規制を敷いたために、無期限ストライキを含む労働者の激しい抵抗を呼び起こした。1974年には30%近い大幅な賃上げが行われ、所得政策は崩壊せざるをえなかった。このため政府は、労使関係法(1971)と賃上げの法的規制の廃止をはじめ、物価の統制、社会保障の拡充などを行うことと引き換えに労働組合から賃上げ自制の約束を引き出すという社会契約の道を選んだ。しかし、この契約も賃金の上昇を抑えることができず、社会契約の破綻(はたん)と法的規制による所得政策の再導入が政府によって明らかにされなければならなかった。

[三富紀敬]

日本の所得政策

所得政策は、名目的には複数の所得を規制するとしてはいるが、実質的には賃金を労働生産性の枠内に抑制する国家の政策であり、これが労働者の抵抗を呼び起こす基盤でもあった。日本では、1960年代後半から所得政策に関する議論が活発化し、いくつかの報告書(1968年の『熊谷(くまがい)報告』、1972年の『隅谷(すみや)報告』など)が提出された。所得政策を日本にも導入しようとする報告書の基本的な立場は、全日本労働総同盟(同盟)によっても受け入れられ、その後の春闘における賃上げ額の設定を枠づけることになった。日本の場合、日本経営者団体連盟(現日本経済団体連合会)がガイド・ラインを提示するところに特徴があり、イギリスのように政府が賃上げの法的規制を行うわけではないが、これによって1970年代後半以降における名目賃金額の停滞と実質賃金の低下という事態がつくりだされた。

[三富紀敬]

『G・P・シュルツ、R・Z・アリバー編、金森久雄他監訳『所得政策論争』(1968・東洋経済新報社)』『日本生産性本部編・刊『福祉極大化と物価安定』(1973)』『A・グリン、B・サトクリフ著、平井則之訳『賃上げと資本主義の危機』(1975・ダイヤモンド社)』『奥野博幸著『所得政策の経済分析』(1982・中央経済社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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