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戒賢【カイゲン】

デジタル大辞泉

かいげん【戒賢】
《〈Śīlabhadra》6世紀末のインド、マガダナーランダー寺の玄奘(げんじょう)の師。

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

かいけん【戒賢】

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

かいげん【戒賢】
Ś īlabhadra 古代インド、マガダ国那爛陀ナランダ寺の僧。サマタンタ国の王族出身。玄奘げんじようの師。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

戒賢
かいけん
(529―645)

インドの仏教学者、唯識(ゆいしき)の学匠。サンスクリット名をシーラバドラŚīlabhadraという。若くして護法(ごほう)の弟子となり、護法示寂ののち、ナーランダー学園の最高指導者として、長く学園を統率した。著書は伝わらないが、学風は護法の正系を継いだとみられ、伝説的に、法相(ほっそう)大乗を最高とする三時教判をたてて、無相(むそう)大乗を最高とする中観(ちゅうがん)派の智光(ちこう)と論争したといわれる。なお、玄奘(げんじょう)はインドに渡って戒賢と出会い(当時、戒賢は106歳であったという)、唯識、因明(いんみょう)などを親しく学び、帰国後、これを中国に伝えて法相宗を開いた。

[竹村牧男 2016年11月18日]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

かいげん【戒賢】
インドの学僧。サマタンタ国の王族。パトナ近くのナーランダー僧院で約五年間、玄奘(げんじょう)を教え、これが玄奘のインド修学の中心となった。生没年不詳。

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