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感情【かんじょう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

感情
かんじょう
feeling
日常用語としてもさまざまの意味で用いられるが,心理学的な定義も必ずしも明確ではない。普通,広義には,精神の働きを知,情,意と3分したときの情的過程全般をさし,情動,気分,情操,興味などが含まれる。また,えん根,嫉妬などの複合感情もある。狭義には,これらの情的過程に共通して認められる要素的感情としての快・不快をさす。 feelingという言葉の起源は「触れて知る」ことであり,やがて感覚器官を通さずに知覚することを意味するようになった。しかし,感情と感覚との関係については議論が多く,感情は感覚とは独立の過程であるとすると,感情は感覚 (特に皮膚感覚内臓感覚) に帰着するとする説とに分れている。

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デジタル大辞泉

かん‐じょう〔‐ジヤウ〕【感情】
物事に感じて起こる気持ち。外界の刺激の感覚や観念によって引き起こされる、ある対象に対する態度や価値づけ。快・不快、好き・嫌い、恐怖、怒りなど。「感情をむきだしにする」「感情に訴える」「感情を抑える」「国民感情を刺激する」

出典:小学館
監修:松村明
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世界大百科事典 第2版

かんじょう【感情】
〈気持〉〈心持〉のような,人間の心理状態の受動的で主観的な側面をいう。感情には,〈明るい気分〉〈けだるい気分〉〈気分が良い・悪い〉と言われる場合の気分のように,身体の生理的状態の意識への反映と思われる微弱だが持続的なものから,漠然とした快・不快感,激しい欲情や嫌悪感,〈躍り上がって喜ぶ〉とか〈涙を流して悲しむ〉といった身体的表出をともなう激しい情動,ある種の欲望に似た強く持続的な情熱,さらに宗教的感情のようなある種の価値への畏敬の感情にいたるまで実に多様な心的状態が含まれる。

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大辞林 第三版

かんじょう【感情】
喜んだり悲しんだりする、心の動き。気持ち。気分。 「 -に訴える」 「 -を顔に出す」 「 -を害する」 「 -に走る」 「 -を込めて歌う」
〘心〙 ある状態や対象に対する主観的な価値づけ。「美しい」「感じが悪い」など対象に関するものと、「快い」「不満だ」など主体自身に関するものがある。また、一時的なものを情動、持続的なものを気分と呼び分ける場合もある。 → かんせい(感情)
[句項目] 感情を害する

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かんせい【感情】
〔「せい」は漢音〕
物事に感じて起こる心のはたらき。特に、しみじみとした感情。かんじょう。 〔色葉字類抄〕 〔明治以降は一般に「かんじょう」とよまれた〕

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精選版 日本国語大辞典

かん‐じょう ‥ジャウ【感情】
〘名〙
② 物事に感じて起こる心持。気分。喜怒哀楽などの気持。特に心理学では、意識の主観的側面、感覚や観念に伴って起こる快、不快や情緒、情操の状態をいう。
※文明本節用集(室町中)「感情 カンジャウ」
※浮雲(1887‐89)〈二葉亭四迷〉二「文三の智識で考へて、文三の感情で感じて」
③ 理性を失ってある気持にとらわれること。
洒落本・魂胆惣勘定(1754)中「是は馴染程(なじむほど)感情(カンジャウ)になりたるものなり」

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かん‐せい【感情】
〘名〙 (「せい」は「情」の漢音) 物事に感じて起こる心のはたらき。特に、深く心にしみて感嘆する趣、しみじみとした感動の気持などをいう。心の高まり。感興。かんじょう。
※万葉(8C後)一六・三八五七・左注「感情馳結、係恋実深」
※古今著聞集(1254)六「我朝に比類なき笛なり。〈略〉宮感情にたへず『双調の君なりけり』とのたまはせける」
※評判記・満散利久佐(1656)野関「床の内、えもいはぬ感情(カンセイ)有」
[補注]漢字表記の用例は、「かんせい」か「かんじょう」か不明であるが、古辞書やわずかなかな書き例などから推して、一応「かんせい」とみてこの項に収めた。意味も現今の「かんじょう」とはいささか異なり、「感動する気持」ととれるものが多い。

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最新 心理学事典

かんじょう
感情
affect
感情という用語は,情動emotionという用語と微妙な関係にある。

【感情と情動の定義】 情動はラテン語でemotusと表記されるが,これはexとmovēreを合成した語で,英語に翻訳するとto move away(追い出す),もしくはdisturb(不安にする)と翻訳される。ここから原義が外に追い出すという英語のemotionが派生する。これにはいくつかの意味があるが,第一義は意識の感情面であり,これがfeeling(情緒)である。ジェームズJames,W.(1891)はemotionを,「身体的変化は刺激を與ふる事実の直後に来る。そしてその身体的変化が起つて居る時,之に対する感じが即ち情緒である」(今田恵訳)と定義したが,これはラテン語のemovēreに近い。

 一方,感情はafficereと表記されるが,これは同じくad(向かって)とfacere(生じさせる)の合成語で,「影響を与える」あるいは「働きかける」が原義である。e-motus(外に追い出す)がemotionであることに比べて,ad-facereには認知が含まれていることがわかる。また,感じや気持ち,気分といった心の状態を表わす概念はすべてラテン語のaffectusに含まれており,非常に多様な意味をもつ。したがってaffectがより包括的概念になるので,本項目では感情にこの語を当てる。

 そのほかにも,感情にfeelingを,情動にemotionを当てることも多かった。feelingに当たるドイツ語はGefühlであり,両者には「触れる」という共通の語義がある。連合主義の用語では,単純感情はほとんど感覚sensationの同義語だったが,それはこの原義に由来する。feelingは,このように経験のもたらす感触という評価的側面を意味するから,感情に当てられるのは自然といえる。一方,emotionは前述の身体的・生理的表出を伴う興奮状態を指しているが,現象学派のようにその主観的側面を強調すれば,当然感情と大きく重なり合い,喜怒哀楽などの激烈で一過性の感情といった解釈が生まれる。

 一方,フランス語でfeelingに対応するのは多くsentimentであるが,この語は英語では情操と訳され,高い文化的価値への希求の感情を意味する。このようにヨーロッパ諸語の間ですら,厳密な対応関係はみられない。「喜怒哀楽を面に表わさず」を良しとした日本文化においては,emotionに当たる用語がないのは当然であり,一時期は情緒が当てられたこともあったが,「下町情緒」のようにそれはむしろ抑制された審美的感情を意味し,誤訳に近い。こうして情緒は,しだいに情動という新しい造語に置き替わっていった経緯があるが,なお情緒不適応といった用語として一部には残されている。この他,さらに激しいemotionを意味するpassion(熱情),持続的感情状態を指すmood(気分)などのことばも常用され,感情関係の用語は多彩である。今後,この分野の進展には,用語体系の洗練とその対応関係の明確化が不可欠であろう。心理学用語としては,比較的定義が明快な情動が,時に感情との相互混用を免れないながらも,主役の位置を占めている。

 そこで,本書の「感情」分野においては,各項目執筆者の立場を尊重するが,原則として感情は「文化に関連した人間の意識構造」を説明する場合,情動は「生理的動因に関連する心理的プロセス」を説明する場合の用語として使用する。なお,感情と情動は,意識の中でスペクトラム構造をなしており,厳密に区分できない場合には,「感情・情動」と併記する。【感情研究の歴史】 古代から現代に至るまで,感情や情動は,さまざまな強度の快または不快を伴った体験であって,身体の諸活動とりわけ心臓血管系の活動を伴う現象として認識されてきた。また,それぞれの感情や情動を生じさせる刺激や状況には普遍性が認められること,これらの情態が生じた場合には止めることが困難であること,合理的な思考が失われやすいことも認識されてきた。

【ギリシア・ローマ時代】 古代ギリシアの哲学者たちは,善と悪,快pleasureと苦painについて論じる中で,個々の感情に言及した。個々の感情は善と快を求め,悪と苦を避けようとする行動とともに論じられた。プラトンPlatonは,感情を快を求める働きであるとし,知的なもの,怒り的なもの,欲望的なものに3分した。アリストテレスAristotelesは自然科学的なものの見方の始祖ともいうべき人物である。彼の『ニコマコス倫理学Nicomachean Ethics』によると,快と苦を伴う心の状態を感情pathyとよび,肉体的欲求や怒り,恐怖など11の感情名を列挙している。また,彼は『形而上学Metaphysics』において,人は驚異wonderによってものを考え始めると述べた。つまり,すべての思考にはきっかけとなる何かが必要であるが,それは新しい認識成立の契機,すなわち驚異を感じることで人間の思考が開始されると考えたのである。しかしデカルトDescartes,R.以後には,驚異すなわち広義の意味での驚きは感情の一つであると考えられるようになった。古代ギリシアにおいては,身体の変化,とりわけ内臓や血液の変化と感情の因果関係が論じられたが,この関係はしばしば双方向性であるとされた。

 ストア学派の哲学者たちは,感情は魂をかき乱し,理性を損なうことから,感情をもたないapathyことこそが人間の理想であると考えた。セネカSeneca,L.A.は,「怒りはとりわけ強い感情であり有害であるから,抑制することが必要である」と述べた。ストア哲学では,基本的感情は欲望,恐れ,喜び,悲しみの四つである。欲望とは未来において善が存在することであり,恐れとは未来において悪が存在することである。喜びと悲しみは,それぞれ現前する善と悪に対して生じるものとされた。

【中世・近世】 キリスト教神学の一部であるスコラ哲学は,古代ギリシアの哲学とストア哲学の上に立てられている。アウグスティヌスAugustinus,A.はストアの哲学者と同様に,欲望,恐れ,喜び,悲しみが基本的感情であると述べた。スコラ哲学の完成者であるアクイナスAquinas,T.は,プラトンにならって欲望的感情と怒り的感情とを心の能動的な作用の根幹に据えた。アリストテレスが述べているように,動物の欲望の対象は食と性という快である。その快が妨げられて苦が生じる場合には,まず苦を取り除かねばならない。この苦を取り除く力は,欲望ではありえない。苦を取り除こうとする力から怒りが生じ,闘争が起こる。勝利すれば喜びが生じ,敗北すれば悲しみが生じる。怒り的感情とは,希望をもって問題解決に努力するという能動的な心の作用である。欲望的感情として「愛と憎しみ」「欲望と忌避」「喜びと悲しみ」の六つの感情が考えられた。また怒り的感情については,「希望と絶望」「怒り」「恐れと大胆」の五つがあるとされた(『神学大全Summa Theologiae』)。快に向かい苦から離れようとする傾向が欲望だけで説明されるという考えは,デカルトに受け継がれた。スコラ哲学においては,快-不快pleasure-unpleasureの判断がなければ欲求は生じないことから,感情に先立ってまず対象の快-不快を評価する判断作用があると考えられた。身体と感情の関連については,ギリシア・ローマ時代以上に新しい知見が加えられることはなかった。

 デカルトは『情念論Les Passions de l'âme』(1649)において,対象の出現による驚愕admiration,対象の快-不快によって生じる愛loveと憎しみhatred,次いでそれらから生じる欲求desire,欲求を実現しようとする行動の結果として生じる喜びjoyと悲しみsadnessの六つの感情passionが基本的感情であるとした。デカルトの感情理論は感情の出現に順序がある点,またとりわけ感情出現の原点として,それ自体では快でも苦でもない,生理的な覚醒に近い驚愕が認識のきっかけになると考えた点に特徴がある。怒りは基本的感情とはされていない。怒りは強力な感情ではあるが,快の対象を得ることができなかった,あるいは不快な対象から逃れることができなかったことによって結果的に生じるから,悲しみの一種であるとされた。スピノザSpinoza,B.はデカルトの感情理論を批判した。まず驚きは認知的であるとして感情から除外し,さらに好き・嫌いは対象の快苦の性質によって生じる感覚つまり対象の性質であるとして,感情から排除した。スピノザによれば基本的感情は,欲望・喜び・悲しみの三つしかない。

 身体と感情の関連については,デカルトは「身体が精神に影響を与えるのであって,その逆ではない」と述べる一方で,「脳における観念の印象が血流を変え,それが熱を生じて再び脳に戻り,脳内の印象を強める」とも述べている。スピノザは「感情とは身体の変化もしくはその変化の観念である」と述べているが,具体的な身体の変化については記述していない。

【近代】 イギリス経験論の哲学者ヒュームHume,D.の感情論は,自己評価感情である自尊感情prideと自卑感情humilityから始まる。これは一見すると奇異に思えるが,「自分自身と無関係なものによって感情が生じることはなく,われわれはすべての物事を自分自身との関係において考える」からである。ヒュームの特徴は,思弁の範囲にとどまるものの,経験と観察による実験によって主張を裏づけようとする試みを採用したこと,また「人間の心の機能は動物にも同様に存在する」と明言した点にある。ヒュームが個人の心の作用に焦点を当てたのに対して,スミスSmith,A.は,『道徳感情論The Theory of Moral Sentiments』(1759)において同感sympathyについて論じた。同感とは,他者が経験している感情と同一の感情を体験することではない。われわれが観察者として,「他者の感情についていけるかどうか」が考察された。スミスの感情論は社会心理学的な感情論であり,今日的にいえば心のモデルに関する議論であるといえる。感情が「公共性」の基盤となるという考え方は,同時代人のルソーRousseau,J.J.においても見られる。ヒュームもスミスも,感情体験と身体の関連性については,表出行動を除いては言及していない。

 18世紀末から始まった産業革命は,自然科学研究を著しく発展させた。意識的体験としての感情の考察は哲学の世界には残ったが,観察と実験による経験主義が科学の主流となり,医学・生理学,あるいは博物学が自然科学としての心理学を形成し,感情もまたヒトの神経系の活動としてとらえられるようになった。

 ダーウィンDarwin,C.は,生物は自然界のさまざまな刺激に対して本能的に特定の身体反応を生じると考えた。また,生存に有用な形態や反応は次世代に伝えられると考えた。顔の表情は,逃げたり戦ったりする場合には役に立たないが,コミュニケーションには役立つ。ダーウィンは特定の刺激に対して生じる一連の有用な運動を,意識の有無とは無関係にエモーションemotionとよんだ。ジェームズもまた感情は本能的な身体の運動反応であると考えたが,心理学者として意識について説明する必要があった。ジェームズの時代には脳の機能局在についてはまだよく知られていなかったから,彼は感情の意識的体験は身体の活動の知覚によって生じると説明した。この理論は,感情が本能的行動に伴う脳神経系の活動にほかならないとする一方で,多様な本能的行動に随伴する多様な意識がすべて感情体験という一つのグループにまとめられることを説明する。フロイトFreud,S.も本能の観点から感情を考察したが,彼の考察の中心は快苦と不安であり,不安の源泉として善悪を重視した。

【現代】 現代における実証主義的な感情研究は多岐にわたるが,あえて区分するとすれば,ダーウィンを受け継いで外部から観察可能な筋活動に焦点を当てる行動学的研究(たとえばEkman,P.),行動主義以来の学習理論に基づく心理学的研究(たとえばSeligman,M.E.P.),実験心理学の伝統を受け継ぐ認知科学的方法論による心理学的研究(たとえばZajonc,R.B.),そして中枢神経系における活動部位を同定し,その活動を促進しまた抑制する条件を明らかにしようとする神経学的研究(たとえばLeDoux,J.E.)に大別される。また,ごく近年のことであるが,ポジティブ心理学positive psychologyにおいてポジティブな感情を維持することの利益について,また行動経済学においては非合理的行動と感情との関連について,それぞれ積極的な研究が行なわれ始めている。総合的に見れば,現代は,神経系における情報処理という観点から感情研究が行なわれる時代であるといえるだろう。【感情・情動の理論】 プルチックPlutchik,R.とケラーマンKellerman,H.(1980)は,「進化論的文脈」,「心理生理学的文脈」,「力動的文脈」の分類で感情理論を整理している。濱治世(1981)は,「進化論的流れ」,「生理心理学的研究」,「神経学的研究」,「力学説」の分類を提示している。コーネリアスCornelius,R.R.(1996)は,「ダーウィン説」,「ジェームズ説」,「認知説」,「社会構成主義説」の分類を採用している。以下では古典的な理論を紹介し,その展開という観点で感情・情動の理論を述べる。

1.古典的感情理論 ジェームズとランゲLange,C.G.が唱えたジェームズ-ランゲ説James-Lange theory(末梢起源説peripheralist theory)は,本格的な感情研究の出発点となった。「泣くから悲しいのであり,殴るから頭にくるのである」というジェームズ(1884)のことばに象徴されるように,身体変化が感情経験を生み出すことが主張されている。つまり,環境変化に即して身体に変化が生じ,その変化がフィードバックされて感情経験が生じるとする。この考え方は一見逆説的であるが,感情というしくみが目前の事態に対する迅速な適応のために獲得された機能・機構とみなす進化論的な見地に立てば,身体変化が感情経験よりも先行して獲得され,現在の感情機構がこの過程を反映していると仮定することは不自然ではない。しかし,身体変化を感情経験の要件とする点が後の批判の対象になった。なお,ランゲが心臓血管系の反応を重視していたのに対して,ジェームズは表情や姿勢を含む広範な身体変化のフィードバックを想定していた。

 この説に対し,キャノンCannon,W.B.と彼に師事したバードBard,P.が唱えたキャノン-バード説Cannon-Bard theory(中枢起源説centralist theory,視床起源説thalamic theory)では,感情経験が身体変化のフィードバックを必要としないことを主張する。感覚受容器からの信号は視床(視床下部を含む間脳の広範な領域を指していた)に入力されたのち,大脳皮質に伝達されて感情経験となり,末梢に伝達されて身体変化を生じる。そして刺激強度が一定レベルを超えると,大脳皮質による視床の抑制が解除されて視床の興奮が高まる。キャノン-バード説において,身体反応は感情経験と並列的に生じる視床興奮の結果の一方にすぎず,視床が基点となって生じる一連の過程が感情であった。この説は,ジェームズ-ランゲ説の「身体変化が感情経験に先行する」という順序の問題に対するアンチテーゼとしてとらえられることが多いが,むしろ身体反応を感情経験の必須要件であるとする点に異議の中心があった。なお,キャノンは闘争か逃走かfight or flightを迫られるような状況では,交感神経-副腎髄質系sympathetic adrenomedullary systemが賦活して危急反応emergency reactionが生じることを見いだしており,これに関する豊富な実験・研究がキャノン-バード説を支えている。しかし,これらの知見では,交感神経-副腎髄質系の反応は興奮と鎮静で記述される,あたかも水位の上下のような単純な反応であって,豊富な感情経験を生ずるバリエーションを説明することは難しい。

2.進化論的観点 前述の二つの古典的感情理論の間では盛んに論争が繰り広げられたものの,いずれも感情の環境適応の側面を重視する進化論的な基盤を共有する。ジェームズ-ランゲ説から約1世紀後,フライダFrijda,N.H.(1986)は適応的機能・生態学的意味の観点から感情・情動をとらえた。重要な出来事に対して身体は適切な準備状態(レディネスreadiness)を整える。レディネスとは,恐れに対する心拍の高進や嫌悪に伴う表情の変化など幅広いものである。そして,怒りにおける攻撃,恐れにおける逃避のように,適応行動のレパートリーの中から最も適した活動が促進され,他の選択肢は抑制される。すなわち,感情ごとに固有の特異活動傾向specific action tendencyによって速やかな環境対応をもたらす。たとえば恐怖の感情は回避という活動傾向への収斂であり,防御としての適応的機能を有する。そして,殴りたいとか逃げ出したいとかいった活動傾向の自覚が感情経験として感情を特徴づける。戸田正直(1992)のアージシステム理論urge system theoryも,感情を迅速な環境適応のための機構であるとみなす。そして,感情が獲得された野生環境においては適応的な野生合理性を有していたが,現代の文明環境にふさわしい文明合理性はないことを指摘している。

 怒りや恐れなどの負の感情については,環境への迅速な適応という観点からの説明が可能であるが,喜びや満足などの正の感情については難しい。フレドリクソンFredrickson,B.L.(1998)は,拡大-建設理論broaden-and-build theoryを唱え,正の感情の進化論的位置づけを負の感情と区別した。正の感情では活動が制限されるのではなく,逆に注意や思考,活動などのレパートリーが拡大され,身体的スキルや知識などの個人資源の建設に役立つものである。そしてこの個人資源が将来にわたる適応を有利にする。負の感情が活動を制限する特異性,目の前の環境変化への速やかな適応という即時性に特徴を有するとするならば,正の感情は活動レパートリーの拡大という非特異性,個人資源の増強という長期性・将来性に特徴がある。

3.感情経験をもたらすフィードバック情報の観点 キャノン-バード説によるジェームズ-ランゲ説批判の焦点は,豊かな感情経験と単調な内臓活動が対応しないことにあった(Cannon,1914)。その後,感情経験の基盤になるフィードバック情報を,内臓反応以外に探索する試みが展開された。シャクターSchachter,S.とシンガーSinger,J.E.(1962)は,環境変化によって生じた生理的覚醒と状況が照合されて生ずる認知的解釈が感情経験のバリエーションを生じさせるとする二要因説two-factor theory(シャクター説Schachter theory)を唱えた。ジェームズ-ランゲ説の弱点であった身体反応のバリエーションの乏しさを,状況解釈のバリエーションに置き換えて解決しようとしたのである。

 一方,表情筋活動のバリエーションの豊かさによって解決を試みたのが,トムキンスTomkins,S.S.(1962)の顔面フィードバック仮説facial feedback hypothesisである。顔面フィードバック仮説は,内臓活動の代わりに表情筋の活動を感情のバリエーションの源であるとしている。顔面筋活動で生じる表情facial expressionには,感情に対応する豊富なバリエーションがある。また,感情経験の原因となるには応答が遅いという内臓活動に向けられた批判をはねつけるだけのすばやさもある。しかし,表情が感情経験に与える影響については,一貫した結果が得られていない。

 顔だけでなく姿勢が,感情経験に与える影響も指摘されている。興味深いことに姿勢や行動の影響は,ジェームズが内臓活動以上に強い関心を寄せていたことである。たしかにランゲは血管を中心とした内臓活動を強調したが,ジェームズは内臓活動に限定していない。ジェームズが考慮していたのは表情や姿勢を含む「身体変化bodily changes」であった。ジェームズの考え方は,ランゲよりもむしろ顔面や他の身体情報のフィードバックに基づく仮説に近い。

 表情のもつ働きについていっそう大胆な説を展開したのが,ザイアンスZajonc,R.B.(1985)による情動(感情)導出の血管理論vascular theory of emotional efferenceである。ザイアンスはワインバウムWynbaum,I.の20世紀初頭の著作に注目し,表情が感情・情動にもたらす作用の重要性を主張した。表情は内的変化の結果として表出expressionされるものではなく,顔面の血管に選択的に作用し,ひいては脳内血流や呼吸に固有の変化をもたらして生理変化や感情経験の区別を導出するefference機能を有する。トムキンスの顔面フィードバック仮説に生理学的な基盤を提供すると同時に,顔面表情(表情筋活動)自体の適応的な意味を説明しようとする試みでもある。

 生理学的・脳科学的研究の発展を踏まえて,感情経験に対する身体からのフィードバックについては限定的に考えるべきであるとする意見(たとえばLeDoux,1986)がある一方,ダマシオDamasio,A.R.は,リスクを伴う意思決定において,身体の興奮情報が利用されているというソマティックマーカー仮説somatic marker hypothesisを提唱した。内臓感覚などの身体的な印が自覚的・無自覚的に前頭葉の腹側部・内側部へフィードバックされて意思決定を導くというこの仮説は,ジェームズ-ランゲ説の再考,さらには心理現象における身体性embodiment(Damasio,1994)への注目を促すものである。

4.表情と基本情動(基本感情)の観点 ジェームズ-ランゲ説に先立ち,ダーウィン(1872)は進化論的な視点からの表情研究を行なっている。ネコは,戦いの際に耳を後ろに引いて歯をむき出して背中を高くもち上げる。耳を後ろに引くのは嚙まれないための用心である。この格闘姿勢はいつしか脅威場面すべてにわたって採用されるようになる。つまり,有用な行動は類似した場面において拡大適用され,しだいに本来的な目的と離れていく。人間の表情を例に取ると,食べたものに特別な違和感があったら,顔や舌の筋肉を総動員して必死で吐き出す。有害物質を摂取しないための有益な反応である。このときの顔の動きが,嫌悪の感情経験一般に拡大され,それが今のわれわれの嫌悪の感情表出につながったと解釈する。ダーウィンの説は表情に限定されたものであり,感情の全体像を考察したものではないが,感情の重要な要素である表情を進化の視点からとらえ,その成り立ちを環境適応的に考察したことによって,後の感情研究に大きな影響を与えた。ただし,先の顔面フィードバック仮説などが表情自体の適応的機能を主張しているのに対し,ダーウィンは表情を適応行動の単なる付帯現象ととらえていた。

 エクマンEkman,P.とフリーセンFriesen,W.V.(1971)は,西洋文明とほとんど接触のないニューギニア南東高地のフォア族の人びとと西洋人の間に,表情認識の普遍性が存在し,幸福,悲しみ,怒り,驚き,嫌悪,恐れの六つの基本表情primary facial expressionsが区別されることを明らかにした。表情の表出と識別の人類普遍性はその後の研究でもおおむね実証されているが,文化による差異が認められる。エクマンとフリーセンは,どのような表出をするべきかについての文化に依存した規則,すなわち表示規則display rulesがあることを想定した。また,人類に普遍的な六つの基本表情から,六つの基本情動fundamental emotionsを提唱した。

 イザードIzard,C.E.(1977)はエクマンらの六つの基本情動のうち,怒り,驚き,嫌悪,恐れの四つを踏襲し,残る幸福と悲しみを喜びと苦悩・不安とし,これに興味・興奮,軽蔑,恥,罪悪感の四つを加えた10の基本情動を提唱した(エクマンとフリーセンものちに軽蔑を加えた)。プルチック(1980)はダーウィンの進化論に強く共鳴し,八つの原型的な適応行動パターンに基づく八つの基本情動を提唱した(結果として六つはエクマンらの基本6情動と共通。他は期待と受容)。たとえば,防御の行動パターンは逃避行動であり,恐れと関連する。破壊の行動パターンは攻撃行動であり,怒りを生ずる。そして八つの基本感情は恐れと怒り(防御と破壊)のように対比的な4セットを構成する。また,プルチックはパーソナリティを感情の視点でとらえた。たとえば状態不安state anxietyと特性不安trait anxietyのように,感情を状態,パーソナリティを特性とみなし,ある環境に対して生じやすい感情の傾向の個人差をパーソナリティと考えた。

 基本表情が認められることと,基本情動(基本感情)という概念の間には飛躍がある。また,エクマンらのように基本情動というカテゴリーにはめた類型的な分類ではなく,複数の次元によって連続的な構造として記述するべきであるとする立場もある。古くはブントWundt,W.(1910)による「快Lust-不快Unlust」「興奮Erregung-鎮静Beruhigung」「緊張Spannung-弛緩Lösung」の3次元が知られている。シュロスバーグSchlosberg,H.(1954)は「緊張-睡眠」「快-不快」「注目-拒否」の3次元による円錐形の表情モデルを提唱した。これによれば,怒りは不快・拒否の象限上に,恐れは不快・注目の象限上に配置され,ともに緊張を増すと強度が上がる。ラッセルRussel,J.A.(1980)は円環モデルcircumplex modelによる感情の分類を行ない,「覚醒-眠気」「快-不快」の2次元を採用した。このモデルでは怒りも恐れも覚醒・不快の象限に置かれている。ワトソンWatson,J.B.の行動主義的な感情理論においても,生得的に存在する恐怖・怒り・愛の3次元を基盤として,条件づけによって感情が精緻化・発達するとみなすことから,次元による感情の記述を採用しているといえる。

5.生理機構の観点 キャノン-バード説が注目した,視床と新皮質の連絡,視床(下部)を起点とする自律神経系,とくに交感神経-副腎髄質系を介した末梢の支配については,今もその大筋は継承され,詳細化されている。

 セリエSelye,H.のストレス理論stress theoryは感情を直接説明するものではないが,視床下部-下垂体-副腎皮質の連絡,すなわちHPA系hypothalamus-pituitary-adrenal(cortex)axisが感情の生理に関与することを示した。キャノンが注目した交感神経-副腎髄質系の最終メッセンジャーが,副腎髄質adrenal medullaから分泌されるアドレナリンadrenalineや交感神経終末から分泌されるノルアドレナリンnoradrenalineなどのカテコールアミンcatecholamineであり,心臓活動の促進や末梢血管の収縮をもたらすのに対し,HPA系は副腎皮質adrenal cortexから分泌されるコルチゾールcortisolを最終メッセンジャーとし,血糖の維持や免疫系の抑制を担う。

 中枢に関する研究は,測定技術の開発に伴って発展した。ルドゥーLeDoux,J.E.(1987)によれば,感情の脳内過程の中心は扁桃体を中心とした辺縁系であり,視床に入った信号を新皮質を経由して辺縁系に戻す間接的な経路と,経由しないで直接的に辺縁系に連絡する直接的な経路を仮定している(二経路説dual pathway theory)。通常は間接経路を通じて高次な認知的評価によって感情が調整される。しかし,刺激強度が一定レベルを超えた場合は,直接経路が優勢になって不適切な行動に結びつく。いわゆる感情の暴走をうまく説明することができる。脳科学の発達によるキャノン-バード説の詳細化とみなすことができる。

 グレイGray,J.A.(1990)は,生理システムを三つに整理し,感情と関連するBIS/BAS理論を提唱した。三つのうちの一つは,キャノンの提唱した危急反応の基盤となる闘争/逃走システムfight/flight system(FFS)である。残る二つが,行動抑制システムbehavioral inhibition system(BIS)と行動接近システムbehavioral approach system(BAS)で,後者は行動活性システムbehavioral activation system(BAS)ともいう。BISは罰(刺激)と行動抑制(反応)に,BASは報酬(刺激)と接近(反応)に関与する神経システムである。BISの活動は否定的な,BASの活動は肯定的な感情経験に結びつく。そして行動の個人差はこの二つのシステムのバランスに基づき,BISが優位な個人は内向的,BASが優位な個人は外向的であると説明する。なお,ヒギンスHiggins,E.T.(1997)の制御焦点理論regulatory focus theoryでは,安全・責任に焦点を当てて警戒方略vigilant strategyを取る態度,すなわち予防焦点prevention focusと,達成・成長に焦点を当てて熱望方略eager strategyを取る態度,すなわち促進焦点promotion focusを仮定する。制御焦点理論とBIS/BAS理論は似ているが,BIS/BAS理論が生理システムの基盤を感情・適応行動に結びつけて整理した理論であるのに対し,制御焦点理論はどちらかというと刺激に対する評価・態度の個人差の記述に重点がおかれている。

6.認知的観点 ジェームズ(1884)は「身体変化は興奮的事実の知覚直後に生じる」と述べているが,アーノルドArnold,M.B.は「知覚」についての説明が不十分であることを指摘した。ジェームズが例に取った「クマによって生じる,戦うか,殺すかという圧倒的なidea」は,万人に共通の画一的なものではなく,クマが好きか嫌いかといった遭遇者の経験に基づく評価が影響する。すなわち,身体反応を生じる前の認知過程を考慮する必要がある。アーノルドの認知説cognitive theory of emotionを継承したラザラスLazarus,R.S.は,認知・動機づけ関係説cognitive-motivational relational theoryを提唱した。これは,ある出来事が自分に意味をもつかどうかといった1次評価の後に,どう対処すべきかの2次評価が行なわれるという説である。このように,知覚した環境に対して有害,あるいは有益と評価したことを適切に処理するための覚悟と準備をさせる反応を,ラザラスは感情とみなす。

 ザイアンスは,評価を伴わない無意味な繰り返し接触が刺激への嗜好を上昇させる単純接触効果mere exposure effectの研究成果を論拠として,認知と感情は独立した系であり,感情は認知を必要としないことを主張してラザラスと論を戦わせた。しかし,認知説においても感情生起に要する認知は「直接的で,即時的で,考える余地がなく,知的ではなく,自動的」(Arnold,1960)であるとされている点を考慮する必要がある。

7.現代における感情の適応的機能の観点 現代における感情の環境適応的機能については二つの立場がある。一方は,進化適応の環境environment for the evolutionary adaptedness(EEA)における適応的価値を強調し,現在はその適応的価値を失った,あるいは減じたとする立場である。アージシステム理論における野生合理性・文明不合理性による解釈が代表的である。ここまで扱ってきた理論の多くはこの立場である。いわば,進化の遺物としての感情論である。

 もう一方は,現代における感情の機能を重視する。アーノルドやラザラスなど,認知・評価の重要性を指摘する認知説の影響を受けて発展した社会構成主義social constructionismの研究者は,感情の今日的意義を強調する。アベリルAverill,J.R.(1980)は,「感情はダーウィンが主張したような,過去に役立っていた習慣の残滓ではない。むしろ現在役立っているものである。そして情動(感情)シンドロームemotional syndromeが現在果たしている機能に光を当てることがわたしの理論の課題の一つである」と記している。ここでいう情動(感情)シンドロームとは,怒りにおける生理的な興奮や表情,悲しみにおける涙や泣き顔などの固有の変化を,風邪に伴う症候群(発熱やせきなどの一連の症状)と同様なものととらえたアベリルの感情観である。感情を社会行動の調節装置とみなしていることが重要な点である。だれかが社会規範を破ったとき,わたしに生じた怒りはその相手の行動に影響し,社会規範を遵守するようにしむける。一方,恐れは社会規範から逸脱しようとするわたしの行動を調整し,規範に沿った行動を促す。このとき,規範はきわめて文化的なものである。文化が感情に影響するというよりは,もっと積極的に,文化が感情を決める,すなわち感情は文化の賜物であるとする立場である。

 経済学に行動経済学behavioral economicsという新たな分野が確立した契機は,トベルスキーTversky,A.やカーネマンKahneman,D.のプロスペクト理論prospect theoryである。損失は延期し,利得は速やかに確保しようとする行動傾向を指摘したこの理論は,合理性が最優先されるはずの経済活動においても,最終的な損益ではなく,不快からの逃避と快への接近という感情に基づいた意思決定が優先されていることを明らかにした。 →行動経済学 →情動と進化 →神経系
〔荘厳 舜哉〕・〔宇津木 成介〕

出典:最新 心理学事典
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