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志賀島【しかのしま】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

志賀島
しかのしま
福岡県北西部,博多湾口にあり,海ノ中道によって陸繋島化した島。福岡市東区に属する。周囲 11km。花崗閃緑岩から成り,最高点は弥五郎山 (176m) 。岸は急斜面西岸緩斜面である。漁業,果樹・野菜栽培が行われる。古くから大陸との交通上重要な役割を果し,倭奴国王印出土 (天明4〈1784〉) の地として有名。玄海国定公園に属し,志賀海 (しかうみ) 神社,蒙古塚などのほか,国民休暇村,水族館,釣宿などのレクリエーション設備もある。志賀海神社社宝の朝鮮鐘は重要文化財。面積 5.78km2人口 2601 (1996) 。

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デジタル大辞泉

しか‐の‐しま【志賀島】
福岡県北西部、海ノ中道にある陸繋島(りくけいとう)古来、大陸交通の要地。天明4年(1784)に「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」の金印を出土。→漢倭奴国王印
岡松和夫短編小説。昭和50年(1975)発表。同年、第74回芥川賞受賞

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世界大百科事典 第2版

しかのしま【志賀島】
福岡県北西部,玄界灘から博多湾を分ける海ノ中道(うみのなかみち)の先端にある陸繫(りくけい)島。海図では〈しかしま〉と読む。周囲約11km,面積約5km2。もと粕屋郡志賀町の西半を占めていたが,1971年福岡市に編入された。海ノ中道は東西約12km,幅は最大2km,最狭部0.5km,松原の多い砂丘をなし,東に雁ノ巣(がんのす)の砂嘴,西に西戸崎さいとざき)があり,後者は国鉄香椎線の終点。中道の先端は満潮時に一部水没するので満切(道切)(みちきれ)とよぶが,1931年の架橋で完全に志賀島と陸路連絡された。

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しかしま【志賀島】

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大辞林 第三版

しかのしま【志賀島】
福岡市北部、博多湾上にある陸繫島。海中道で本土と連絡する。古来、大陸との交通の要地。志賀海神社など史跡が多く1784年には金印「漢委奴国王かんのわのなのこくおう」を出土。しかしま。歌枕 みよや人-へと急げどもかのこまだらに波で立つめる/重之集

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日本大百科全書(ニッポニカ)

志賀島
しかのしま
福岡県北西部、玄界灘(げんかいなだ)から博多(はかた)湾を限る海ノ中道(うみのなかみち)先端の陸繋島(りくけいとう)で、福岡市東区に属する。周囲約11キロメートル、面積5.72平方キロメートルで、やや南北に長い楕円(だえん)形をなす。最高標高169メートル。おもに花崗閃緑(かこうせんりょく)岩からなる山地状の島で、東側は急崖(きゅうがい)が発達している。海ノ中道先端の砂嘴(さし)は満潮時には水没するため、志賀島橋で結ばれている。架橋付近に漁業集落の志賀、北部に農業集落の勝馬(かつま)、西岸に半農半漁集落の弘(ひろ)などの集落がある。産業は、北西緩斜面において対馬(つしま)暖流による温暖な気候を利用してビワ、ミカン、イチゴ、野菜の促成栽培が行われ、玄界灘の一本釣り、小型底引網などの漁業も盛んである。玄海国定公園に属し、1784年(天明4)農民が発見した金印「漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん)」(国宝)の出土地である金印公園や、元寇(げんこう)古戦場跡の蒙古(もうこ)塚、海の守護神として知られる志賀海神社(しかのうみじんじゃ)などの史跡に富む景勝地。島内には休暇村をはじめ国民宿舎、展望台、海水浴場などの施設も整備され、夏は海水浴客、春・秋はハイキング客でにぎわう。古くは『和名抄(わみょうしょう)』に糟屋(かすや)郡志珂郷(しかごう)と記載され、『万葉集』以降歌枕(うたまくら)としても広く知られ、島内には万葉歌碑が多く建っている。JR香椎(かしい)線終点西戸崎(さいとざき)駅からバスが、博多港から市営渡船が通じている。人口2316(2000)。[石黒正紀]
『筑紫豊著『金印のふるさと志賀島物語』(1980・文献出版)』

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事典・日本の観光資源

志賀島
(福岡県福岡市東区)
福岡県文化百選 歴史散歩編指定の観光名所。

出典:日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」
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精選版 日本国語大辞典

しか‐の‐しま【志賀島】
(「筑前風土記」によれば「近島(ちかしま)」の変化したもの) 福岡市北部、博多湾口の島。現在は海ノ中道と陸続きとなる。古来、大陸との交通の要地にあたり、天明四年(一七八四)に「漢委奴(かんのわのなの)国王」の金印が出土した。蒙古首切塚、志賀海神社など史跡が多い。景勝地。しがしま。

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旺文社日本史事典 三訂版

志賀島
しかのしま
福岡市東区志賀島,博多湾の東側突端にある島
万葉集』にもよまれた景勝地。1784年百姓甚兵衛によって島の海辺に近い田の中から「漢委奴国王」の金印が発掘された。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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