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徳川家斉【とくがわ いえなり】

美術人名辞典

徳川家斉
江戸幕府十一代将軍。一橋治済の長男。幼名は豊千代、院号は文恭院。田沼意次を排して松平定信老中とし、寛政の改革を断行させた。定信失脚後、右大臣左大臣太政大臣となり、隠居後も大御所と称して政治の実権を握った。天保12年(1841)歿、69才。

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デジタル大辞泉

とくがわ‐いえなり〔トクがはいへなり〕【徳川家斉】
[1773~1841]江戸幕府第11代将軍。在職1787~1837。一橋治済(ひとつばしはるさだ)の長男。松平定信を老中に登用し、寛政の改革を行った。定信の失脚後はみずから政治を執り、ぜいたくな生活を好み、文化・文政の奢侈(しゃし)時代をもたらした。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

徳川家斉 とくがわ-いえなり
1773-1841 江戸幕府11代将軍。在職1787-1837。
安永2年10月5日生まれ。三卿(さんきょう)の一橋治済(はるさだ)の長男。母はお富の方(慈徳院)。徳川家治(いえはる)の養子となり,天明7年将軍職をつぐ。松平定信(さだのぶ)を老中首座とし寛政の改革を断行,のち親政をおこなう。隠退後も実権をにぎり,大御所時代といわれる。文化・文政時代には町人文化が成熟した。天保(てんぽう)12年閏(うるう)1月7日死去(発喪は閏1月30日)。69歳。幼名は豊千代。法号は文恭院。

出典:講談社
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江戸・東京人物辞典

徳川家斉
1773〜1841(安永2〜天保12)【十一代将軍】自身が実権を握った大御所時代には最も華麗な化政文化を生んだ。 十一代将軍(在職1787〜1837)。寛政改革を断行した老中松平定信の退陣後、ゆるやかな文治政策のもとで、役人の賄賂の横行、治安の悪化など、社会問題が続出した。将軍引退後も、家斉は大御所として権勢をふるったが、彼自身、側室40人に子供を55人生ませるなど、政治の弛みは続いた。しかし、寛政以後停滞していた江戸文化は一気に爛熟化し、享楽的で退廃的な化政文化を生んだ。

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監修:江戸東京博物館 都市歴史研究室長 北原 進
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世界大百科事典 第2版

とくがわいえなり【徳川家斉】
1773‐1841(安永2‐天保12)
江戸幕府11代将軍。三卿の一橋治済(はるさだ)の長男。幼名豊千代。母は岩本氏。1781年(天明1)10代将軍家治の養子に迎えられ,86年将軍職を継いだ。将軍家治は俊才の名が高かった三卿田安家の定信に嘱望したが,田沼意次は自己の権勢を維持するため定信を田安家から白河藩松平氏の養子へ追い出し,豊千代を家治の養子にすえた。豊千代が11代将軍家斉となると松平定信はその後見を命ぜられ,その深い学殖や白河藩主としての体験を生かして補導した。

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大辞林 第三版

とくがわいえなり【徳川家斉】
1773~1841) 江戸幕府第一一代将軍(1787~1837)。一橋治斉の長男。家治の養子。幼名豊千代。田沼意次を排して、松平定信を老中主座とし、学問を奨励、寛政の改革を行わせた。定信退任後家斉親政になると、幕政はゆるみ、爛熟した化政文化が現出。隠居後も大御所と称して実権を握った。側室四〇人、子女五五人を数えた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

徳川家斉
とくがわいえなり
[生]安永2(1773).10.5. 江戸
[没]天保12(1841).閏1.30. 江戸
江戸幕府 11代将軍 (在職 1787~1837) 。一橋治斉の長男。母は岩本正利の娘。幼名は豊千代。院号は文恭院。天明1 (1781) 年 10代将軍家治の養子となり,同7年4月 15日将軍宣下。将軍になってからは前代からの権臣田沼意次を排して,白河城主松平定信を老中首座に抜擢し,寛政の改革を行なった。定信の引退後は親政し,いわゆる文化文政時代 (→化政文化 ) を現出。側室 40人,子女 55人を数え,大奥の豪奢は最高潮に達した。賄賂が横行し,幕政は腐敗し,財政は窮乏化した。文政 10 (1827) 年3月 18日在職 40年に及んだ機会に太政大臣に昇進。奢侈な風潮は一向にやまず,幕府の財政はますます窮乏化した。天保年間 (30~44) に諸国に大飢饉が起ったが,幕府は有効な救済策を講じず,天保8 (37) 年には大塩平八郎の乱が起るにいたった。同年4月2日家慶に将軍職を譲ったが,大御所として政治の実権を握っていた。 (→大御所時代 )

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日本大百科全書(ニッポニカ)

徳川家斉
とくがわいえなり
(1773―1841)
江戸幕府第11代将軍。御三卿(ごさんきょう)の一つ一橋(ひとつばし)家の2代治済(はるさだ)の四男。母は岩本氏で於富之方(おふくのかた)という。安永(あんえい)2年10月5日誕生。幼名は豊千代。1781年(天明1)10代将軍家治(いえはる)の養子となって西の丸に移り、家斉と命名。翌1782年従二位(じゅにい)大納言(だいなごん)。1787年、前年の家治の死去に伴い、わずか15歳で将軍となる。前代からの権臣田沼意次(たぬまおきつぐ)を排して側用人(そばようにん)政治を否定し、白河藩主松平定信(まつだいらさだのぶ)を老中首座として、本百姓経営の再建、農村復興を中心とした寛政(かんせい)の改革を断行した。しかし、風俗、出版、思想に対する厳しい統制と相まって、幕府内部に不満が充満し、尊号(そんごう)事件と大御所事件を契機に定信は退陣した。かわって田沼派の側用人が台頭し、いわゆる大御所時代が出現した。大奥の華美驕奢(きょうしゃ)な生活は文化・文政(ぶんかぶんせい)期(1804~30)の文化を生んだが、ふたたび賄賂(わいろ)が横行し、権力は腐敗、幕府財政はいっそう窮乏した。無宿者や博徒(ばくと)が横行し、農村分離は進行したが、天保(てんぽう)年間(1830~44)の大飢饉(だいききん)に有効な対策を打てず、百姓一揆(ひゃくしょういっき)、打毀(うちこわし)が激発、1837年(天保8)には大塩平八郎の乱が起こった。同年家斉は将軍職を二男家慶(いえよし)に譲ったが、なお大御所として政治の実権を握った。天保12年閏(うるう)正月晦日(みそか)没。69歳。東叡山(とうえいざん)に葬る。法号は文恭院(ぶんきょういん)。正室は近衛(このえ)前右大臣経煕(つねひろ)の養女、実は島津重豪(しげひで)の女(むすめ)(寔子(たたこ))。勢真院以下多数の側室をもち、55人の子女を生ませたことで知られる。[藤野 保]

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367日誕生日大事典

徳川家斉 (とくがわいえなり)
生年月日:1773年10月5日
江戸時代後期の江戸幕府第11代の将軍
1841年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

とくがわ‐いえなり【徳川家斉】
江戸幕府第一一代将軍。一橋治済(はるさだ)の長男。幼名豊千代。家治の養子。天明七年(一七八七)将軍となる。田沼意次を排して松平定信を老中首座に起用し、寛政の改革を行なった。定信失脚後、家斉の親政となって幕政はゆるみ、文化文政期(一八〇四‐三〇)の江戸町人文化の全盛をむかえた。安永二~天保一二年(一七七三‐一八四一

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