Rakuten infoseek

辞書

徐光啓【じょこうけい】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

徐光啓
じょこうけい
Xu Guang-qi; Hsü Kuang-ch`i
[生]嘉靖41(1562).3.20. 上海
[没]崇禎6(1633).10.7.
中国,明末の政治家,学者で天主教 (キリスト教) 徒。上海の人。字は子先。号は玄扈。万暦 32 (1604) 年の進士。翰林院庶吉士に任じられたが,この頃マテオ・リッチから天主教の教えを受け,また暦学,数学,水利,兵器など西洋の実用科学を学び,同 35年にはリッチ共訳したユークリッド幾何学を『幾何原本』 (6巻) と題して発刊した。またこの頃ラザレ・カッターネオを上海に招いて布教に従事させ,徐家匯 (わい) に天主堂を建てた。崇禎1 (28) 年には礼部左侍郎,次いで尚書に進み,この間王朝末期の政治的混乱を正し,民政の改善に努力した。また満州族の侵略にそなえるため,宣教師たちから洋式の火器製造技術を導入する道を開いた。シャル・フォン・ベルらとともに中国暦の改修に従事し,『崇禎暦書』の編纂に努めたのもこの頃のことである。同5年には東閣大学士,次いで文淵閣大学士となり,国政に直接参与するにいたったが,まもなく病没した。熱心な天主教徒で宣教師の布教を助け,西洋の学術を中国の学問に取入れることに尽力した。その編著農政全書』 (60巻) は有名である。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

じょ‐こうけい〔‐クワウケイ〕【徐光啓】
[1562~1633]中国明の科学者。上海の人。字(あざな)は子先。洗礼名パウロマテオ=リッチから西洋の科学技術を学び、中国に紹介。編著に「農政全書」、編訳に「崇禎(すうてい)暦書」、訳に「幾何学原本」など。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

じょこうけい【徐光啓 Xú Guāng qǐ】
1562‐1633
中国,明末の政治家,科学者。上海徐家匯(じよかわい)の人。字は子先,号は玄扈,諡(おくりな)は文定。万暦32年(1604)の進士。1588年(万暦16)広東へ行き,韶州でイエズス会士カッタネオ(郭居静)に,また1600年南京でリッチ(利瑪竇)に会い,03年ロカ(羅如望)から洗礼を受け(洗礼名パウロ),西洋の天文学地理学,数学,水利学,火器などについて学んだ。リッチが口授し彼が受して07年にユークリッドの《幾何学原本》の前半6巻を出版した。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

じょこうけい【徐光啓】
1562~1633 明末の学者・官僚。字あざなは子先、諡おくりなは文定。マテオ=リッチに学び、「幾何学原本」を漢訳。編著に「農政全書」。天主教徒で、墓所のある上海の徐家匯じよかわいは中国天主教の中心となる。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

徐光啓
じょこうけい
(1562―1633)
中国、明(みん)朝末の学者、政治家。キリスト教および西洋科学技術の普及に貢献した。上海(シャンハイ)の人で、字(あざな)は子先、号は玄扈(げんこ)、諡(おくりな)は文定、キリスト教名は保禄(パウロ)。1596年広東(カントン)省韶州(しょうしゅう)でイエズス会士カッタネオLazarus Cattaneo(1560―1640。中国名は郭居静(かくきょせい))からキリスト教の手ほどきを受け、1597年北京(ペキン)で郷試に首席で合格したが、翌1598年の会試に失敗、帰郷した。そこでマテオ・リッチの著した世界地図を見て感服、1599年南京(ナンキン)で面会した。1601年の北京での会試にも失敗し、南京を訪れたが、リッチは北京に去っており、かわりにダ・ローチャJoo da Rocha(1566―1623。中国名は羅如望)からキリスト教の洗礼を受けた(1603)。1604年会試に合格し翰林院(かんりんいん)庶吉士(しょきつし)(翰林院は天子の詔勅をつかさどる役所。庶吉士は官吏登用試験に優秀な成績で合格した者がなる翰林院の官名)に任ぜられた。1607年に喪に服して帰郷するまで、リッチの居宅近くに住んでその講義を筆受するとともに、『測量法義』『句股義(こうこぎ)』、ユークリッドの『幾何学原本』の前半その他、幾何学・測量学関係書をリッチらと共訳した。1608年カッタネオを上海に迎えて、のちの徐家匯(じょかわい)天主堂の基をつくり、1616年に沈(しんさい)が起こした教難では護教に成功しなかったが、1619年、明軍が満州軍に敗れると、練兵の必要を上申して少(しょうせんじ)(太子官の庶務担当の次官)兼河南道御史(かなんどうぎょし)(御史は監督官)となり、西洋大(たいほう)(砲)鋳造のために、マカオに追放中の宣教師たちを召還させることに成功した。1623年礼部右侍郎(礼部は礼儀・祭祀(さいし)・官吏の試験などをつかさどる役所。侍郎は次官)となり、魏忠賢(ぎちゅうけん)らの弾劾で失職後、礼部左侍郎に復して農業の振興に努め、『農政全書』を撰(せん)した(1639年刊)。1630年礼部尚書(長官)に上り、1632年には内閣の一員たる東閣大学士を兼任、翌1633年太子大保(教育係)・文淵閣(ぶんえんかく)大学士などの職を加えられたが、その年に病没、1641年徐家匯に葬られた。現在、墓の一帯は徐光啓記念公園となっている。それより先、1629年よりアダム・シャールや李之藻(りしそう)らと西洋天文学による改暦に携わり、死後、『崇禎暦書(すうていれきしょ)』として完成、李天経(りてんけい)(1579―1659)により奏進された。この暦による改暦は明代には実現せず、清(しん)朝に至って『時憲暦(じけんれき)』(『西洋新法暦書』)として再編・施行された。[宮島一彦]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

じょ‐こうけい ‥クヮウケイ【徐光啓】
中国、明末の政治家、学者。字(あざな)は子先、号は玄扈(げんこ)、諡(おくりな)は文定。上海の人。近代科学を初めて中国に紹介したイタリア人宣教師マテオ=リッチの影響を受けキリスト教に入信。リッチとの共訳「測量法義」「句股義」などがある。(一五六二‐一六三三

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

徐光啓」の用語解説はコトバンクが提供しています。

徐光啓の関連情報

関連キーワード

ユグノー戦争後藤乗真尼子晴久硫黄山加藤清正北条氏直ユグノー戦争織田信長臥雲日件録

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.