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後水尾天皇【ごみずのおてんのう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

後水尾天皇
ごみずのおてんのう
[生]慶長1(1596).6.4. 京都
[没]延宝8(1680).8.19. 京都
第 108代の天皇 (在位 1611~29) 。名は政仁 (ことひと) ,幼称は三宮,法名は円浄という。後陽成天皇の第3皇子。母は中和門院藤原前子 (太政大臣近衛前久の娘) 。慶長 16 (11) 年受禅,即位した。元和6 (20) 年将軍徳川秀忠の娘和子を女御とし,寛永1 (24) 年皇后宣下,中宮とした。しかし朝廷に対する幕府圧迫が激しいため,同6年中宮和子所生のわずか7歳の興子内親王 (明正天皇) に譲位し,以後明正,後光明,後西,霊元天皇の4代にわたって院政を行なった。慶安4 (51) 年剃髪。学問を好み,詩歌にすぐれ,歌集『後水尾院御集』 (原名『鴎巣集』) がある。修学院離宮は天皇の造営にかかるものとして有名である。陵墓は京都市東山区今熊野泉山町の月輪陵

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デジタル大辞泉

ごみずのお‐てんのう〔ゴみづのをテンワウ〕【後水尾天皇】
[1596~1680]第108代天皇。在位、1611~1629。後陽成天皇の第3皇子。名は政仁(ことひと)。禁中並公家諸法度制定などによる幕府の圧迫に対する不満から明正天皇に譲位、その後4代にわたって院政を執った。学問・詩歌を好み、洛北修学院離宮を造営。歌集「鴎巣集」がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

後水尾天皇 ごみずのおてんのう
1596-1680 江戸時代前期,第108代天皇。在位1611-29。
文禄(ぶんろく)5年6月4日生まれ。後陽成(ごようぜい)天皇の第3皇子。母は藤原前子(さきこ)(中和門院)。16歳で即位。徳川幕府の体制確立期で,徳川秀忠の娘和子が入内(じゅだい)。朝廷の権限は禁中並公家諸法度で規制された。紫衣(しえ)事件などを機に譲位し,以後明正(めいしょう)・後光明(ごこうみょう)・後西(ごさい)・霊元(れいげん)天皇の4代にわたって院政をとる。和歌,漢詩,書道,茶道などに長じた。修学院離宮を造営。延宝8年8月19日死去。85歳。墓所は月輪陵(つきのわのみささぎ)(京都市東山区)。諱(いみな)は政仁(ことひと)。法名は円浄。歌集に「鴎巣(おうそう)集」,著作に「当時年中行事」など。
格言など】いかにしてこの身一つをたださまし国を治むる道はなくとも(「後水尾院御集」)

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世界大百科事典 第2版

ごみずのおてんのう【後水尾天皇】
1596‐1680(慶長1‐延宝8)
第108代に数えられる天皇。在位1611‐29年。諱(いみな)は政仁(ことひと)。後陽成天皇の第3皇子。母は中和門院近衛前子。1611年(慶長16)後陽成天皇のあとをうけて即位。20年(元和6)将軍徳川秀忠の女和子(まさこ)を女御とし,24年(寛永1)中宮とした。のちの東福門院がこれで,外戚となった徳川氏は皇居を造営し,1623年には新たに1万石の御料を進める(〈新御料〉)など尊崇の意を表しながらも,禁中並公家諸法度(1615制定)や所司代,付武家などを通して種々の干渉を加えた。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

ごみずのおてんのう【後水尾天皇】
1596~1680 第一〇八代天皇(在位1611~1629)。名は政仁ことひと。後陽成天皇の第三皇子。「禁中並公家諸法度」などで皇室に圧力を加える幕府に抵抗。明正天皇に譲位後、四代51年間院政を行う。学問・芸術を好み、修学院離宮を造営。歌集「鷗巣集」

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日本大百科全書(ニッポニカ)

後水尾天皇
ごみずのおてんのう
(1596―1680)
第108代の天皇(在位1611~29)。名を政仁(ことひと)、幼称を三宮といい、法名を円浄という。母は太政(だいじょう)大臣近衛前久(このえさきひさ)の娘、中和門院藤原前子(さきこ)で、後陽成(ごようぜい)天皇の第3皇子として生まれる。1600年(慶長5)親王宣下、1610年元服、翌年16歳で即位した。1620年(元和6)2代将軍徳川秀忠(ひでただ)の娘和子(かずこ)を女御(にょうご)とし、1624年(寛永1)皇后宣下して中宮(ちゅうぐう)に冊立。武家出身の中宮は、平清盛(きよもり)の娘徳子(建礼門院)以来の異例のできごとであった。こうした幕権を背景とした徳川氏の朝廷抑圧は、「禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)」(禁中并公家中諸法度)の制定や、紫衣(しえ)事件などを通してしだいに激しくなっていった。これを不満として、1629年わずか7歳の興子(おきこ)内親王(明正(めいしょう)天皇)に位を譲り、自らは院政を敷いた。その期間は明正、後光明(ごこうみょう)、後西(ごさい)、霊元(れいげん)の4代51年に及んでいる。また、天皇は学問・芸術にも関心深く、さまざまな文化活動を行った。俳名を玉露といい、詩歌・連歌をよくした。御集に『鴎巣(おうそう)集』がある。このほか、天皇の造営にかかる洛北(らくほく)の修学院(しゅがくいん)離宮は日本屈指の名園。延宝(えんぽう)8年8月19日、85歳で没。陵は京都市東山区今熊野泉山町の月輪陵。[佐々悦久]
『熊倉功夫著『後水尾院』(1982・朝日新聞社)』

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367日誕生日大事典

後水尾天皇 (ごみずのおてんのう)
生年月日:1596年6月4日
江戸時代前期の第108代の天皇
1680年

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

ごみずのお‐てんのう ゴみづのをテンワウ【後水尾天皇】
第一〇八代天皇。後陽成天皇の皇子。母は中和門院前子(さきこ)。幼名三宮、のち政仁(ことひと)。慶長一六年(一六一一)即位。在位一八年。禁中並公家諸法度の制定・紫衣事件など幕府の朝廷に対する圧迫の不満や灸治のため、中宮和子(二代将軍徳川秀忠の娘)所生の明正天皇に譲位し、以後、天皇三代、約二七年間院政を行なう。慶安四年(一六五一)剃髪し、円浄と称した。学を好み、詩歌にすぐれ、歌集に「鴎巣集(おうそうしゅう)」がある。また、修学院離宮を造営した。慶長元~延宝八年(一五九六‐一六八〇

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旺文社日本史事典 三訂版

後水尾天皇
ごみずのおてんのう
1596〜1680
江戸前期の天皇(在位1611〜29)
後陽成天皇の皇子。禁中並公家諸法度・紫衣事件などによる幕府の干渉・圧迫に不満で,1629年中宮和子(将軍徳川秀忠の娘)との間に生まれた皇女明正天皇に譲位,以後51年間院政を行った。晩年に修学院離宮を造営。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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