Rakuten infoseek

辞書

後奈良天皇【ごならてんのう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

後奈良天皇
ごならてんのう
[生]明応5(1496).12.23. 京都
[没]弘治3(1557).9.5. 京都
第 105代の天皇 (在位 1526~57) 。名は知仁。後柏原天皇の第2皇子。母は豊楽門院藤原藤子 (勧修寺教秀の娘) 。皇室の最も式微した時期で,室町幕府献金践祚し,それから 10年後の天文5 (36) 年,北条今川朝倉大内氏らの献金によって即位式が行えたほどであった。全国的な争乱に加えて,同9年の飢饉疫病に苦しむ庶民を見て,宸筆の『般若心経』を諸国一宮に奉納し災厄を祈禳したことは有名である。学を好み,三条西実隆らに和漢の書の講義を聞き,古典の書写,保存に努めた。『天聴集』が現存している。陵墓は京都市伏見区深草坊町の深草北陵。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

ごなら‐てんのう〔‐テンワウ〕【後奈良天皇】
[1497~1557]第105代天皇。在位、1526~1557。後柏原天皇の第2皇子。名は知仁(ともひと)。皇室の最も微した時代で、践祚(せんそ)の10年後に後北条・今川・大内氏ら諸大名の献金で即位礼を挙げた。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

後奈良天皇 ごならてんのう
1497*-1557 戦国時代,第105代天皇。在位1526-57。
明応5年12月23日生まれ。後柏原(ごかしわばら)天皇の第2皇子。母は藤原藤子(豊楽(ぶらく)門院)。父の死により皇位をつぐ。戦乱がつづいて国はみだれ,皇室財政も逼迫(ひっぱく)していたので,即位式は践祚(せんそ)の10年後におこなわれた。天文(てんぶん)9年悪疫流行の終息をいのって,般若心経を書写して諸国の一宮(いちのみや)に奉納した。在位中にポルトガルによって鉄砲がつたえられ,宣教師ザビエルが渡来した。弘治(こうじ)3年9月5日死去。62歳。墓所は深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)(京都市伏見区)。諱(いみな)は知仁(ともひと)。日記に「天聴集」。
【格言など】しづたまきよろづを棄てぬ古(いにしへ)の道しある世にくりかへしてむ(「後奈良院御製集」)

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

ごならてんのう【後奈良天皇】
1496‐1557(明応5‐弘治3)
第105代に数えられる天皇。在位1526‐57年。後柏原天皇の第2皇子。名は知仁。公家のもっとも衰微したときに践祚し,即位式は大内,今川,後北条氏らの大名からの献金を得て,10年後にようやく挙行した。戦乱や災害で飢饉,疫病に苦しむ庶民のため,諸国一宮に宸筆の〈般若心経〉を奉納した。日記を《天聴集》という。陵所は京都市伏見区深草坊町にある(深草北陵)。【飯倉 晴武】

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

ごならてんのう【後奈良天皇】
1496~1557 第一〇五代天皇(在位1526~1557)。名は知仁ともひと。後柏原天皇の第二皇子。在位中は皇室が最も衰微した時期で、践祚せんその10年後に後北条・今川・朝倉・大内氏らの献金でようやく即位式を行なった。日記「天聴集」がある。名筆として著名。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

後奈良天皇
ごならてんのう
(1496―1557)
第105代天皇(在位1526~57)。名は知仁(ともひと)。後柏原(ごかしわばら)天皇の皇子。母は贈左大臣勧修寺教秀(かじゅうじのりひで)の女(むすめ)豊楽門院(ぶらくもんいん)藤子。父天皇崩御ののち、1526年(大永6)位につき、弘治(こうじ)3年9月5日崩御。京都の深草北陵に葬る。後奈良天皇には『天聴集』と称する宸筆(しんぴつ)日記をはじめ、『御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき)』を自ら記したものも伝わっており、『後奈良院御集』なる歌集も伝存する。また同天皇の事蹟(じせき)で著聞するものに宸筆般若心経(はんにゃしんぎょう)があり、その一は大覚寺心経殿に存するもの、その二は醍醐寺(だいごじ)に存するもの、その三は国々の一宮(いちのみや)に納められたもので、いずれも天文(てんぶん)年間(1532~55)に属し、国民の疫病(えきびょう)、飢饉(ききん)、洪水、兵乱などに苦しむを救わんための志に発するものである。[村田正志]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

367日誕生日大事典

後奈良天皇 (ごならてんのう)
生年月日:1496年12月23日
戦国時代の第105代の天皇
1557年

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
(C) Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

ごなら‐てんのう ‥テンワウ【後奈良天皇】
第一〇五代天皇。後柏原天皇の第二皇子。名は知仁(ともひと)。大永六年(一五二六)践祚(せんそ)。戦乱の世にあって足利幕府も朝廷も衰え、即位式は一〇年後、大内・朝倉氏らの戦国大名の献金によって行なわれた。在位三二年。日記「天聴集」や御製集がある。明応五~弘治三年(一四九六‐一五五七

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社日本史事典 三訂版

後奈良天皇
ごならてんのう
1496〜1557
戦国時代の天皇(在位1526〜57)
後柏原天皇の第2皇子。皇室の経済力が最も衰微した時期のため,即位式は10年後に大内氏・後北条氏らの献金でようやく行われた。飢饉・疫病の流行に際して,『般若心経』を書写して災除の祈願をされたことは有名。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

後奈良天皇」の用語解説はコトバンクが提供しています。

後奈良天皇の関連情報

関連キーワード

日野富子広島電鉄石山本願寺大阪グスタフサントドミンゴ日野富子マロ原城石山本願寺

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.