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後三条天皇【ごさんじょうてんのう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

後三条天皇
ごさんじょうてんのう
[生]長元7 (1034).7.18. 京都
[没]延久5 (1073).5.7. 京都
第71代天皇(在位 1068~72)。名は尊仁(たかひと)。後朱雀天皇の第2皇子。母は三条天皇の皇女禎子内親王 (陽明門院) 。治暦4(1068) 年践祚し,次いで即位した。学を好み,才能卓抜,資性剛健で,母が藤原氏の出でなかったため摂家にはばかるところがなく,また藤原氏の内紛に乗じて摂関の専権を抑えて万機親政した。記録所を設けて荘園整理を断行し,成功 (じょうごう。売官) ,重任(ちょうにん)の悪弊を厳禁し,禁中の調度供御を簡約にし,標準枡として宣旨枡延久宣旨枡)を定めた。また敬神崇祖の念あつく,日吉社をはじめ諸社に行幸し,みずから円宗寺を造立して法華会と最勝会を勅修した。陵墓は京都市右京区の円宗寺陵(えんしゅうじのみささぎ)。

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デジタル大辞泉

ごさんじょう‐てんのう〔ゴサンデウテンワウ〕【後三条天皇】
[1034~1073]第71代天皇。在位1068~1073。後朱雀(ごすざく)天皇の第2皇子。名は尊仁(たかひと)。外戚藤原摂関家がないため、天皇親政実現に努力。荘園整理令発布記録荘園券契所の設置、標準桝(ます)の制定など、新政策を推進した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

後三条天皇 ごさんじょうてんのう
1034-1073 平安時代中期,第71代天皇。在位1068-73*。
長元7年7月18日生まれ。後朱雀(ごすざく)天皇の第2皇子。母は禎子(ていし)内親王(陽明門院)。後冷泉(ごれいぜい)天皇の死により35歳で即位。藤原教通(のりみち)を関白としたが,荘園整理令をだし,公定枡(ます)を制定(延久の宣旨枡)するなど,すすんで親政をおこなった。延久5年5月7日死去。40歳。墓所は円宗寺陵(えんそうじのみささぎ)(京都市右京区)。諱(いみな)は尊仁(たかひと)。法名は金剛行。

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

ごさんじょうてんのう【後三条天皇】
1034‐73(長元7‐延久5)
第71代に数えられる天皇。在位1068‐72年。後朱雀天皇第2皇子,母は太皇太后禎子内親王(陽明門院)。諱(いみな)は尊仁。1045年(寛徳2)異母兄親仁親王(後冷泉天皇)即位に際し東宮となる。摂関家は直接外戚関係のない尊仁の立太子を喜ばず,関白頼通は女寛子を,彼の同母弟教通は女歓子を後冷泉天皇に入れたが子どもに恵まれず,尊仁は彼らの圧迫をうけながらもその地位を保ち,68年(治暦4)後冷泉天皇が没すると35歳で即位。

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大辞林 第三版

ごさんじょうてんのう【後三条天皇】
1034~1073) 第七一代天皇(在位1068~1072)。名は尊仁たかひと。後朱雀天皇の第二皇子。藤原氏の専権を抑え、荘園整理令発布や記録荘園券契所の設置などを行い、政治の刷新に努めた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

後三条天皇
ごさんじょうてんのう
(1034―1073)
平安後期の天皇(在位1068~72)。名は尊仁(たかひと)。長元(ちょうげん)7年7月18日生まれ。後朱雀(ごすざく)天皇の第2皇子。母は三条天皇皇女陽明門院(ようめいもんいん)禎子内親王。このころまでの天皇は藤原摂関(せっかん)家を外戚(がいせき)としていたから、皇族を母としたのはまれな存在であったが、父の遺言により皇位につくことができた。おもな施策としては以下のとおり。延久(えんきゅう)の荘園(しょうえん)整理令の発布(1069)と、これを実施するための記録荘園券契所(きろくしょうえんけんけいじょ)(記録所)の設置。新たな公定枡(ます)として延久の宣旨(せんじ)枡の指定と、これに基づき荘園・公領を問わず全国的に行う一国平均役の徴収。国衙(こくが)によって作成され、中世における土地の基本台帳となった大田文(おおたぶみ)の作成、全般的にみて藤原氏一族でも反摂関家的立場にあった中流貴族や、受領(ずりょう)層・皇族出身者の登用、成功(じょうごう)や重任(ちょうにん)を抑制しようとする政策などを行った。このような新政策は院政に継承され、中世的な国家体制への出発点ともなった。ただし、即位5年で譲位したことによる院政政治への意図については不明の点が多い。延久5年5月7日死去。御陵は京都市右京区竜安寺朱山(りょうあんじしゅやま)の円宗寺(えんしゅうじ)陵。[川島茂裕]

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367日誕生日大事典

後三条天皇 (ごさんじょうてんのう)
生年月日:1034年7月18日
平安時代中期;後期の第71代の天皇
1073年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

ごさんじょう‐てんのう ゴサンデウテンワウ【後三条天皇】
第七一代天皇。後朱雀天皇の皇子。母は陽明門院禎子内親王。名は尊仁。治暦四年(一〇六八)即位。在位五年。母が藤原氏でなかったことから藤原氏の専横をさけて親政を行ない、記録荘園券契所を設置して荘園を整理するなど、政治の刷新に努めた。長元七~延久五年(一〇三四‐七三

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