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征夷大将軍【せいいたいしょうぐん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

征夷大将軍
せいいたいしょうぐん
蝦夷 (えぞ) 征伐のため臨時に編成された征討軍の総大将。後世では,蝦夷征伐とは関係なく,兵権を握って天下の政務を執行する武人出身者にこの称号が与えられた。略して将軍ともいう。延暦 13 (794) 年大伴弟麻呂が任命されたのが最初で,その後坂上田村麻呂文室綿麻呂が就任,弘仁4 (813) 年に綿麻呂が再任されたが,以後中絶した。寿永3 (1184) 年木曾義仲が補任されてからは武士で政権を掌握するものの称となり,建久3 (92) 年源頼朝が任命されて鎌倉に幕府を開設した。足利氏徳川氏も任命されてこの職を世襲した。

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デジタル大辞泉

せいい‐たいしょうぐん〔‐タイシヤウグン〕【征×夷大将軍】
古代、蝦夷(えぞ)鎮撫(ちんぶ)のための遠征軍の指揮官。延暦13年(794)大伴弟麻呂が任ぜられたのに始まる。征夷将軍
鎌倉時代以降、幕府の主宰者職名鎌倉幕府を開いた源頼朝以後、室町幕府足利(あしかが)氏、江戸幕府の徳川氏まで引き継がれた。将軍。

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防府市歴史用語集

征夷大将軍
 奈良時代末に東北地方の蝦夷[えみし]を攻めるためにおくられた軍隊の総司令官のことです。鎌倉時代時代以降は、武士による政権のトップの称号になり、朝廷[ちょうてい]から征夷大将軍に任命されました。一般的には「将軍」というように省略しています

出典:ほうふWeb歴史館
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世界大百科事典 第2版

せいいたいしょうぐん【征夷大将軍】
元来は陸奥における蝦夷征討のため,朝廷から任命された総指揮官。蝦夷征討のための臨時の職に征夷使があり,大将軍の下に副将軍,軍監,軍曹を置いた。征夷使を征東使と呼んだ時期もあり,大将軍,副将軍は大使,副使とも呼ばれたから,征夷大使,征東大使は実質的には征夷大将軍と同じであり,奈良時代に藤原宇合(うまかい),藤原麻呂,藤原継縄藤原小黒麻呂,大伴家持,紀古佐美らがこれに任命された。しかし彼らは征夷大将軍とは呼ばれておらず,征夷(大)将軍の称の初見は,720年(養老4)に任命された多治比県守(たじひのあがたもり)である。

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大辞林 第三版

せいいたいしょうぐん【征夷大将軍】
平安初期、蝦夷えみし征討のため臨時に派遣された遠征軍の指揮官。大伴弟麻呂・坂上田村麻呂・文屋綿麻呂などが任ぜられたが、以後中絶。
鎌倉時代以後、幕府政権の長たる者の称。征夷将軍。将軍。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

征夷大将軍
せいいたいしょうぐん
一般的には源頼朝(よりとも)に始まる武家政権(幕府)の首長をさすが、本来は蝦夷(えぞ)征討のため朝廷から臨時に任ぜられた総指揮官のことをいった。律令(りつりょう)政府は、蝦夷征討軍をしばしば派遣したが、721年(養老5)に多治比県守(たじひのあがたもり)を責任者に任命し「征夷将軍」と称した。しかし、その後、奈良時代には蝦夷征討軍の主将を征夷将軍の名でよぶことはなかった。ところが、794年(延暦13)に大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)を征夷大将軍に任じたのを最初とし、以後、9世紀初頭までに数回の征夷大将軍の任命がなされた。そのなかでも坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が有名で武名をはせたが、813年(弘仁4)に文屋綿麻呂(ふんやのわたまろ)が任命されたのを最後に廃絶した。その理由は、このころには蝦夷鎮圧がいちおう完了したためとみられている。
 ところが、12世紀末に武家政権が成立するとともに、この征夷大将軍の職名が復活し、新しい政治的意義を帯びるに至った。まず1184年(元暦1)に平家を破って入京した源(木曽(きそ))義仲(よしなか)が征夷大将軍に任命された。しかし、この征夷大将軍はもはや蝦夷征討とは無関係で、義仲が自らの覇権を権威づけるために武門の棟梁(とうりょう)にふさわしい官名としてこれを望んだためであった。ついで源頼朝もこの地位に任ぜられることを熱望したが、後白河(ごしらかわ)法皇の反対にあい、法皇の死後1192年(建久3)に至ってようやく実現した。頼朝のあと鎌倉幕府の歴代の首長がこの地位についたので、征夷大将軍の名号は天下の武力をつかさどる武家政治の首長の地位を意味するようになった。足利尊氏(あしかがたかうじ)も室町幕府の成立にあたってこの職につき、室町幕府の歴代の首長もこの地位に任ぜられた。それは江戸幕府にも継承され、1603年(慶長8)に徳川家康が任命されてのち代々世襲して、1867年(慶応3)に王政復古で廃止されるまで続いた。なお、武家政権を幕府と称するのは、将軍の邸宅を中国風に幕府とよんだことに由来する。[田中文英]

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精選版 日本国語大辞典

せいい‐たいしょうぐん ‥タイシャウグン【征夷大将軍】
〘名〙
① 奈良・平安時代、蝦夷(えみし)を鎮撫するために派遣される遠征軍の指揮官。令外の官。征夷将軍。せいえみししょうぐん。
※日本紀略‐延暦一三年(794)正月一日「賜征夷大将軍大伴弟麿節刀
② 鎌倉時代以後、幕府の首長、武家政権の最高権力者。慶応三年(一八六七)の王政復古によって廃止されるまで続いた。征夷将軍。
※百練抄‐元暦元年(1184)正月一一日「以伊予守義仲朝臣征夷大将軍之由被宣旨

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