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建部賢弘【たけべかたひろ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

建部賢弘
たけべかたひろ
[生]寛文4(1664)
[没]元文4(1739).7.20.
江戸時代中期和算家幕府の右筆職建部直恒の3男。通称彦次郎,号は不休関孝和に数学,天文暦学を学び,徳川吉宗に仕え,その命により日本地図を作成した。円弧の長さを計算する無限級数を見出した。これが西洋数学の積分学に相当する「円理」の始めであった。著書に『円理綴術』『大成算経』などがある。長兄賢之 (1654~1723) ,次兄賢明 (1660~1716) とも,孝和の門にあって数学を修めた。

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デジタル大辞泉

たけべ‐かたひろ【建部賢弘】
[1664~1739]江戸中期の数学者。江戸の人。通称、彦次郎。号、不休。兄賢明とともに関孝和の門に入り、演段術を発展させた。円理(円弧の長さの計算法)を帰納法によって確立。天文暦理にも長じた。著「円理綴術」「不休綴術」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

建部賢弘 たけべ-かたひろ
1664-1739 江戸時代前期-中期の和算家。
寛文4年6月生まれ。建部賢明の弟。幕臣。関孝和にまなび,関と兄との3人で宝永7年和算の集大成「大成算経」20巻を完成させた。また8代将軍徳川吉宗の命で日本総図を製作。元文4年7月20日死去。76歳。江戸出身。通称は彦次郎。号は不休。著作に「発微算法演段諺解」「綴術算経」など。

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

たけべかたひろ【建部賢弘】
1664‐1739(寛文4‐元文4)
江戸中期の数学者。関孝和の弟子で,関の研究を助け,多くの優れた研究を残した。世界最初の(arcsinx)2のべき級数展開を示したことで名高い。幼名を源右衛門といい,後に彦次郎という。不休と号した。建部家は徳川家の右筆の家で,賢弘は建部直恒の三男である。長兄賢雄,次兄賢明に従って関孝和に数学を教わる。数え20歳で《数学乗除往来》(1674)の遺題49問の解答書《研幾算法》(1683)を刊行した。賢弘の著書で出版されたのは,関孝和の《発微算法》を解説した《発微算法演段諺解》(1685),中国の《算学啓蒙》(1299)を解説した《算学啓蒙諺解大成》(1690)である。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

たけべかたひろ【建部賢弘】
1664~1739 江戸中期の数学者。江戸の生まれ。関孝和の弟子として、その解説書を多数著す。円理・累約術に優れた業績を残し、一一桁の三角関数表を作成。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

建部賢弘
たけべかたひろ
(1664―1739)
江戸中期の和算家。不休と号した。寛文(かんぶん)4年6月江戸に生まれる。父直恒(なおつね)に四男あり、賢弘はその三男である。幼くして算数に興味をもち、13歳のとき兄とともに関孝和(せきたかかず)の門に入った。20歳のとき『研幾算法』を著す。天元(てんげん)術の書物である。22歳のとき、関孝和の著作『発微算法(はつびさんぽう)』(1674)を批判する学者がいるのに対し、『発微算法演段諺解(えんだんげんかい)』を著した。これは点竄(てんざん)術の書物である。これによって点竄術は一般に知られるようになった。続いて27歳のとき、中国の朱世傑(しゅせいけつ)の『算学啓蒙(けいもう)』(1299)を和訳して『算学啓蒙諺解大成』(1690)を著した。「諺解」は、漢文で書かれた本を和文で解釈したという意味である。賢弘の著作のうち刊本となった主要なものは以上のとおりすべて注釈書であるが、写本で残されたものには重要なものがある。その主要なものには『綴術算経(てつじゅつさんけい)』(1722)がある。これは将軍に献上した書物で、一般に普及した書物には『不休先生綴術』あるいは略して『不休綴術』とよばれている。これは『綴術算経』と内容に少異があるが、いずれも和算の方法論を書いたほとんど唯一の書物として世に知られている。なお彼の重要な仕事には『大成算経』20巻がある。これは関孝和、建部賢弘、その兄建部賢明(かたあき)の3人が合議して関流の数学を集大成しようと始めたものであり、初めは賢弘が中心となったが、中ごろ孝和は病気がちとなり、賢弘は公務に忙しくなったため、のちには賢明が取りまとめ、宝永(ほうえい)(1704~11)の末に完成したものである。
 賢弘は初め7代将軍家継(いえつぐ)に仕えたが、その没するや8代将軍吉宗(よしむね)に仕え重視され、日本総図製作を命ぜられ、1723年(享保8)完成した。元文(げんぶん)4年7月20日死亡。俸禄(ほうろく)300俵、関孝和と同じであった。[大矢真一]

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精選版 日本国語大辞典

たけべ‐かたひろ【建部賢弘】
江戸中期の数学者。江戸の人。通称彦次郎、号は不休。関孝和の弟子。孝和、兄の賢明と共に当時の数学を集大成して「大成算経」にまとめ、また、将軍吉宗に召されて日本総図の作成に当たった。著「算学啓蒙諺解」「綴術算経」。寛文四~元文四年(一六六四‐一七三九

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