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平賀源内【ひらが げんない】

美術人名辞典

平賀源内
本草学者。戯作者。名は国倫、字は子彜、号は鳩渓、紙鳶堂、天竺浪人、一世風来山人福内鬼外(浄瑠璃作者としての戯号)一世森羅万象、松籟子、無根叟等。讃岐志度浦の人。長崎に遊び、オランダ語を学び薬物を研究し、本草学者となった。才気縦横、多技多能で種々計画したが成らず不平不満これを戯作の方面で倩さんとした。著書多く江戸浄瑠璃作者の一名手と称せられた。安永8年(1779)歿、54才。一説に57才。

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デジタル大辞泉

ひらが‐げんない【平賀源内】
[1728~1780]江戸中期の本草学者・戯作者。讃岐(さぬき)の人。名は国倫(くにとも)。字(あざな)は子彝(しい)。号、鳩渓。他に福内鬼外(ふくちきがい)・風来山人・森羅万象などと称した。本草学蘭学物産学国学を学び、物産会を開催し、火浣布(かかんぷ)エレキテル寒暖計などを発明。戯作浄瑠璃にも才能を発揮した。殺人のため入獄、病死。著「風流志道軒伝」「根無草」、浄瑠璃「神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」など。
桜田常久の時代小説。昭和15年(1940)発表。同年、第12回芥川賞受賞。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

平賀源内 ひらが-げんない
1728-1780* 江戸時代中期の本草家,戯作(げさく)者。
享保(きょうほう)13年生まれ。讃岐(さぬき)高松藩の蔵番。江戸で田村藍水(らんすい)にまなび,藍水と日本初の物産会をひらく。火浣布(かかんぷ)(石綿耐火布),寒暖計,エレキテル(摩擦起電器)を製作,鉱山を開発する。戯作などでも才能を発揮。人を殺し入牢中,安永8年12月18日病死。52歳。本姓は白石。名は国倫(くにとも)。字(あざな)は士彝(しい)。号は鳩渓(きゅうけい)。筆名は風来山人,福内鬼外(ふくち-きがい)。編著に「物類品隲(ひんしつ)」,著作に滑稽(こっけい)本「風流志道軒伝」,浄瑠璃(じょうるり)「神霊矢口渡」など。
【格言など】功ならず名ばかり遂げて年暮れぬ(晩年の句)

出典:講談社
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江戸・東京人物辞典

平賀源内
1728〜1779(享保13年〜安永8年)【本草学者】その才能、行動、発想、すべてが型破り。不幸な死が惜しまれる。 本草学者。科学者。戯作者。讃岐国出身。25歳で長崎に遊学、大坂で医学・本草学を学んだ後、1756年江戸に出た。中川淳庵、杉田玄白らと親交を持った。翌年から日本初の物産会となる薬品会を催す。源内焼き・火浣布・寒温計・エレキテル(摩擦起電器)を創作。風来山人の名で戯作者としても活躍、浄瑠璃本、また洋画なども手がけ、司馬江漢、太田南畝らに影響を与えた。1779年人を誤って殺傷し、獄死した。浄瑠璃『神電知渡』、談義本『風流志道軒伝』のほか、『物類品隲』が有名。

出典:財団法人まちみらい千代田
監修:江戸東京博物館 都市歴史研究室長 北原 進
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世界大百科事典 第2版

ひらがげんない【平賀源内】
1728‐79(享保13‐安永8)
江戸中期の博物学者,戯作者,浄瑠璃作者。名は国倫(くにとも),号は鳩渓,風来山人,福内鬼外(ふくうちきがい),天竺(てんじく)浪人など。高松藩の足軽の子。薬園掛に取り立てられ,1752年(宝暦2)長崎に留学。56年に江戸に出て田村藍水について本草学を学び,57年の日本最初の物産会をはじめとして師とともに会を5度開き,これを基に《物類品隲(ぶつるいひんしつ)》(1763)を著した。参府の蘭人と交わり,西洋博物学の研究を志してドドネウスの《紅毛本草》などの蘭書を集めたが,蘭語学習の道を開く労をいとい,70年(明和7)長崎に赴いてオランダ通詞に翻訳を依頼した。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

ひらがげんない【平賀源内】
1728~1779) 江戸中期の本草学者・戯作者。本名国倫くにとも、字あざなは子彝しい、号は鳩渓。筆名、風来山人。浄瑠璃作者名、福内鬼外ふくうちきがい。讃岐の人。長崎・江戸で本草学・物産学・国学・蘭学を学び、物産会の開催、火浣布かかんぷの考案、エレキテルの実験、鉱山の開発など自然科学・殖産事業に活躍。また、戯作・浄瑠璃にも手を染めるなど鬼才ぶりを発揮。門弟を斬り、捕らわれて獄死。著「風流志道軒伝」「根無草」「風来六部集」、浄瑠璃「神霊矢口渡」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

平賀源内
ひらがげんない
[生]享保13(1728)頃.讃岐,志度浦
[没]安永8(1779).12.18. 江戸
江戸時代中期の科学者,文人,戯作者,画家。字は子彝。源内は通称。名は国倫 (くにとも) 。号は鳩溪,紙鳶堂。戯作者として風来山人。浄瑠璃作者として福内鬼外と称する。高松藩の足軽の子で,早くから医学を学び,長崎,江戸でオランダ語,本草学などを修めた。才気煥発,多技多能で,あらゆる科学に関心をもち,日本で最初の物産会を催し,ヨーロッパの諸機械の運用,石綿の製造,製陶,鉱山採掘,摩擦電気の活用,毛織物製造などを行なったが,上から用いられず,その不満を戯作にぶつけた。『風流志道軒伝』 (1763) ,『根南志具佐 (ねなしぐさ) 』 (1763) ,『風来六部集』 (1780) ,『放屁論』 (1774,1777) などがあり,安永年間 (1772~81) 刊行の洒落本『太平楽巻物』『里鶴風語』,浄瑠璃『神霊矢口渡』 (1770初演) ,『源氏大草紙』 (1770初演) ,『忠臣伊呂波実記』 (1775初演) などもある。晩年誤って人を斬り,投獄され獄死した。本草学関係の著書に『物類品隲』 (6巻,1763) ,『神農本草経図註』などを残した。また,オランダ書物から洋風画法を学び,『西洋婦人図』は彼の作であるとされる。その画風は秋田藩士小田野直武に伝授され,のちの秋田蘭画の基を開いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

平賀源内
ひらがげんない
(1728―1779)
江戸時代の本草(ほんぞう)学者、戯作(げさく)者。讃岐(さぬき)の志度浦(香川県さぬき市)の生まれ。幼名を四万吉(よもきち)。伝次郎、嘉次郎といい、名は国倫(くにとも)または国棟(くにむね)。源内(または元内)は通称。字(あざな)は子彝(しい)、鳩溪と号した。戯作者としては風来山人、天竺(てんじく)浪人、悟道軒、桑津貧楽(くわづひんらく)など、浄瑠璃(じょうるり)作家としては福内鬼外を用いている。父は高松藩の蔵番白石茂左衛門良房で、兄は夭折(ようせつ)し、父の死で家を継ぎ姓を平賀と改めた。藩主松平頼恭(まつだいらよりたか)(1711―1771)にみいだされ長崎に遊学、藩の薬園の仕事にも携わるようになったが、1754年(宝暦4)、妹婿に家を譲り江戸に出て、本草学者田村藍水(たむららんすい)に師事、また林家に入塾し本格的に本草学を学んだ。
 1757年、田村藍水とともに江戸・本郷(ほんごう)湯島で物産会を開き、以後、6年間に物産会を5回開催、とくに1762年(宝暦12年閏(うるう)4月10日)の物産会には全国30余国から1300余点に上る展示物を集め、盛況であった。源内はこの物産会の出品物のなかから重要なもの360種を選んで分類、解説し『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』(6巻)を翌1763年に出版した。このなかには、藍水の朝鮮人参(にんじん)栽培法や、『天工開物』からとった甘蔗(かんしょ)しぼりの図、また蘭書(らんしょ)から模写したサフランの図などの新しい知識も載せている。これらの活躍により、源内は新進の本草学者、物産学者として評価され、殖産興業、蘭癖の時流にのって多彩な活躍をしている。1764年(明和1)火浣布(かかんぷ)(石綿などでつくった不燃布)を製作、この火浣布について『火浣布説』を書き、1765年には『火浣布略説』を出版している。
 また平線儀(水準儀)、タルモメイトル(温度計)などの理化学的な奇器の製作で人々の目をひき、紀伊(きい)、伊豆(いず)、秩父(ちちぶ)などでの薬物採集や鉱物などの物産調査など、幕府や高松藩の殖産策に尽力した。
 一方、当時、新興の談義本の世界に進み、『風流志道軒伝』(5巻)、『根南志具佐(ねなしぐさ)(前編)』(5巻)などを書いて、よどんだ封建社会を風刺し、新作浄瑠璃『神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)』は1770年に上演され、この面でも好評であった。これらの文中には本草、物産学や医学的な知識、それにオランダ趣味などを入れて新しさを出している。
 やがて田沼意次(たぬまおきつぐ)の知遇を得て二度目の長崎遊学をなし、殖産興業(彼のいう国益)のための陶器や織物の考案、それに鉱山関係の事業と、いっそう活動の場を広めていった。交友も中川淳庵(なかがわじゅんあん)、桂川甫三(かつらがわほさん)(1728―1783)、森島中良(もりしまなから)(万象亭(まんぞうてい))ら蘭学系の学者や、後藤梨春(ごとうりしゅん)(1696―1771)、平秩東作(へつつとうさく)、大田南畝(おおたなんぽ)(蜀山人)らの学者・文人と多方面にわたる。また秋田支藩角館(かくのだて)の小田野直武(おだのなおたけ)に洋画法を教え、秋田蘭画(らんが)誕生のきっかけを与えた。1774年(安永3)、秩父鉱山の経営に失敗し苦境に陥った。1776年、かつて長崎で入手したエレキテル(摩擦起電器)の修理に成功、模造品も製作し評判となった。これを「硝子(ガラス)を以(もっ)て天火を呼び病を治す」医療用具として大名富豪の前で実験したが、期待した後援者は得られず生活もすさみ、『放屁(ほうひ)論』をはじめとする『風流六部集』では「憤激(ヂレ)と自棄(ワザクレ)ないまぜの文章」で世間を揶揄(やゆ)している。
 失意のうちに1779年(安永8)11月、人を殺傷して入牢(じゅろう)、12月18日獄中で世を去った。墓は東京都台東(たいとう)区橋場総泉寺跡にある。[菊池俊彦]
『平賀源内顕彰会編・刊『平賀源内全集』全2巻(1932、1934/1989・名著刊行会) ▽中村幸彦校注『日本古典文学大系55 風来山人集』(1961・岩波書店) ▽城福勇著『平賀源内』(1971/新装版・1986・吉川弘文館) ▽芳賀徹著『平賀源内』(1981・朝日新聞社)』

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精選版 日本国語大辞典

ひらが‐げんない【平賀源内】
江戸中期の本草学者、戯作者、浄瑠璃作者。讚岐国(香川県)の人。本名国倫(くにとも)、字(あざな)は子彜(しい)、号は鳩渓(きゅうけい)、文名は風来山人・天竺浪人。浄瑠璃作者名、福内鬼外。田村藍水に本草学を学び、物産会の開催、火浣布、舶来のエレキテル(摩擦起電機)の模造、陶器源内焼の創始、鉱山の開発など、自然科学、殖産事業の分野で活躍。また風刺と諧謔に満ちた戯文を多く発表。浄瑠璃にも手をそめた。著に「物類品隲(ひんしつ)」「風流志道軒伝」、浄瑠璃「神霊矢口渡」など。享保一三~安永八年(一七二八‐七九

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