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平将門【たいらのまさかど】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

平将門
たいらのまさかど
[生]?
[没]天慶3(940).2.14. 下総,北山
平安時代中期の武将。鎮守府将軍良将の子。上京して藤原忠平に仕えたが,官途を得ず下総に帰った。前常陸大掾源護と争い,これに味方した叔父国香を殺し,国香の子貞盛に攻められたが,これを打ち破った。のち常陸国府を焼打ちし,下野,上野の国府を攻略して,新皇と号し,下総に王城を営み,文武百官を任命した。朝廷では,征東大将軍藤原忠文に討伐させたが,その軍の到着以前に,下野押領使藤原秀郷の助けを得た貞盛に殺された。死後,その霊は神田明神の将門社 (東京都千代田区) に祀られた。 (→承平・天慶の乱 )  

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デジタル大辞泉

たいら‐の‐まさかど〔たひら‐〕【平将門】
[?~940]平安中期の武将。高望(たかもち)の孫。下総(しもうさ)本拠として土着豪族の伝統的勢力を継承、伯父国香を殺し、関東の最強豪族となった。下総猿島(さしま)に王城を営み、文武百官を置いて新皇と称したが、平貞盛藤原秀郷(ふじわらのひでさと)に攻められて敗死。
海音寺潮五郎の長編歴史小説。昭和29年(1954)から経済産業新聞に連載されたものが初出。単行本は、第一部「帰去来の巻」が昭和30年(1955)、第二部「乱離の巻」が昭和32年(1957)刊行。戦前・戦中の皇国史観により、逆臣として不当に評価されてきた平将門の歴史的位置づけを正そうとした作品。
真山青果戯曲。大正14年(1925)、雑誌「中央公論」1月号に掲載。昭和2年(1927)2月、井上正夫らが本郷座にて初演。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

平将門 たいらの-まさかど
?-940 平安時代中期の武将。
平高望(たかもち)の孫。平良将(よしまさ)(良持とも)の子。下総(しもうさ)北部を本拠地として父の遺領争いなどから一族と抗争をくりかえしていたが,伯父の平国香(くにか)を殺害して抗争は内乱へと拡大。天慶(てんぎょう)2年常陸(ひたち),下野(しもつけ),上野(こうずけ)の国府を制圧し,みずから新皇と称し関東の独立をはかったが,藤原秀郷(ひでさと)と平貞盛に攻められ,3年2月14日敗死した。
【格言など】八国より始めて,兼ねて王城を虜領せむと欲す(「将門記」)

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

江戸・東京人物辞典

平将門
?〜940(??〜??)【武将】新皇と称し、関東の独立を目指した武将。 平安中期の武将。下総国の人。相馬小二郎とも。上洛して藤原忠平に仕えたが、希望が叶えられず憤慨して関東に戻った。同族内の領地争いから伯父の国香を殺し、武蔵国や常陸国の紛争に介入するなど、関東に勢力を拡げた。自ら新皇と称し文武百官を置いて、関東独立を図ったが、朝廷の追討軍との争いに破れた。一説に京都で処刑され、首が飛び帰って葬られたのが、大手町将門首塚とされる。神田明神などに祀られている。

出典:財団法人まちみらい千代田
監修:江戸東京博物館 都市歴史研究室長 北原 進
(C) 財団法人まちみらい千代田
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デジタル大辞泉プラス

平将門
海音寺潮五郎の長編歴史小説。1955年刊行。「海と風と虹と」(1967)と合わせ、加藤剛主演のNHK大河ドラマ風と雲と虹と」(1976)の原作となる。

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

たいらのまさかど【平将門】
?‐940(天慶3)
平安中期の武将。桓武平氏上総介平高望の孫。父は鎮守府将軍,良持あるいは良将と伝える。《尊卑分脈脱漏》によると,母は犬養春枝の娘。その行動は《将門記》に詳しい。若いころ上洛し藤原忠平に仕えたが,931年(承平1)〈女論〉により伯父の下総介良兼と争う。この〈女論〉には諸説あるが,良兼の娘は将門の妻として将門と同居しているので,この婚姻にかかわるものと推察される。将門は下総北部鬼怒川水系沼沢地帯の豊田,猿島(さしま)地方を地盤としていたが,935年,常陸西部の筑波山麓地帯に勢力をはる常陸大掾源護と平真樹との争いにまきこまれ,護の女婿であった平国香,良正,良兼らおじたちと戦うことになる。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

たいらのまさかど【平将門】
?~940) 平安中期の武将。通称、相馬小二郎。父は良持とも良将とも。935年、所領争いなどから叔父国香を殺し、一族との抗争を招く。また、土豪間の紛争に巻き込まれて、しばしば兵を動かす。常陸・上野・下野の国府を占領するに至って東国に独立国家を作る野望を抱き、下総猿島郡石井いわいに王城を営んで百官を置き、新皇を称したが、平貞盛らに討たれた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

平将門
たいらのまさかど
(?―940)
平安中期の関東の武将。桓武(かんむ)平氏高望(たかもち)の孫。父は鎮守府将軍良持(よしもち)または良将(よしまさ)とも伝え、母を犬養春枝(いぬかいのはるえだ)の娘とするものもある。その行動は『将門記(しょうもんき)』に詳しい。下総(しもうさ)北部の豊田(とよだ)・猿島(さしま)(茨城県結城(ゆうき)・猿島郡地方)を地盤としていたが、若いころに上洛(じょうらく)して藤原忠平(ただひら)に仕えた。931年(承平1)、「女論」によって伯父の下総介良兼(しもうさのすけよしかね)と争った。この「女論」には諸説あるが、良兼の娘は将門の妻としてその家に同居しており、この婚姻にかかわるものであろう。935年以後、常陸(ひたち)(茨城県)西部の豪族常陸大掾(だいじょう)源護(まもる)と平直樹との争いに巻き込まれ、護の女婿であった国香(くにか)、良正、良兼らのおじと争う。翌年10月、源護の訴訟により京都に召喚されて禁獄。朱雀(すざく)天皇元服の大赦によって帰郷するが、良兼らに攻められて一族紛争は激化する。939年(天慶2)、武蔵(むさし)国の権守興世王(ごんのかみおきよのおう)・介(すけ)源経基(つねもと)と足立郡司判官代(あだちぐんじはんがんだい)武蔵武芝(たけしば)との紛争の調停に乗り出すが失敗、経基に謀反として訴えられる。この問題が未解決のうちに同年11月、常陸国府(茨城県石岡市)に出兵してこれを焼き払い、将門の行動は国家に対する反乱となる。将門は関東を制圧して受領(ずりょう)を追放、新皇と称して弟や同盟者を国司に任じ、関東自立の姿勢を示す。しかし940年2月、下野(しもつけ)の豪族藤原秀郷(ひでさと)と国香の子貞盛らの軍勢により、猿島の北山(嶋広山ともいう。茨城県坂東(ばんどう)市)で討たれた。
 将門は侠気(きょうき)に富む人物で、武芸によって身をたてる「兵(つわもの)」であったが、その領主としての性格や武力編成には多くの説がある。彼を私営田領主とし、その率いる「伴類(ばんるい)」を律令(りつりょう)公民の線上でとらえ、「同党」「従兵」などの領主間結合を重視する見解が強いが、伴類を農奴または農奴主としてその封建的性格を強調する説もある。また彼を鬼怒(きぬ)川氾濫(はんらん)原の開発農場主とみる見解がある一方、その根拠地の石井(いわい)(坂東市)、鎌輪(かまわ)(下妻(しもつま)市鎌庭(かまにわ))がともに兵部省の官牧を背後にもっていた事実を重視し、官牧の牧司としてとらえ直そうとする説も提出されている。
 新皇将門の関東支配はわずか数か月にすぎなかったが、中央派遣の受領を放逐したその行動はとくに東国の民衆の共感をよび、将門を英雄として仰ぐ気風は時代とともに強まる。10世紀末には将門の死後霊験譚(れいげんたん)が形成され、12世紀にはその子孫説話もつくられる。『今昔(こんじゃく)物語』には地蔵(じぞう)信仰と絡んだ蔵念・如蔵尼説話がみえ、中世になると千葉氏やその一族では、妙見(みょうけん)信仰と絡んで将門の後継者と自称する説も育てられていく。東京の神田神社、坂東市岩井の国王(こくおう)神社(将門の二女如蔵尼の創建と伝える)をはじめ、将門を祀(まつ)る社寺は関東に多い。[福田豊彦]
『福田豊彦著『平将門の乱』(岩波新書) ▽北山茂夫著『平将門』(1975・朝日新聞社) ▽林陸朗著『史実・平将門』(1975・新人物往来社) ▽梶原正昭・矢代和夫著『将門伝説』(1975・新読書社) ▽赤城宗徳著『平将門』(1970・角川書店)』

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精選版 日本国語大辞典

たいら‐の‐まさかど【平将門】
平安中期の武将。鎮守府将軍良将の子。下総を本拠として勢力をふるい、父の遺領問題などから承平五年(九三五)伯父国香らを殺し、天慶二年(九三九)「平将門の乱」を起こす。関八州の支配を企て、常陸・上野・下野の国府を攻略して、下総猿島(さしま)郡石井(いわい)郷(茨城県坂東市岩井)に王城を営み、新皇を自称。朝廷を模して文武百官を任命したが、平貞盛、藤原秀郷らに攻められ、翌三年猿島で敗死した。

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たいらのまさかど たひらのまさかど【平将門】
戯曲。四幕五場。真山青果作。大正一四年(一九二五)発表。昭和二年(一九二七)東京本郷座初演。伯父国香、従弟貞盛らを殺したことによる平将門の苦悶(くもん)と、平家一門の策略、復讐(ふくしゅう)などを描く。

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