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嵯峨天皇【さがてんのう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

嵯峨天皇
さがてんのう
[生]延暦5 (786).9.7. 京都
[没]承和9 (842).7.15. 京都
第52代の天皇(在位 809~823)。名は神野。桓武天皇の第2皇子,母は皇后の藤原乙牟漏大同4(809)年4月兄の平城天皇の譲りを受けて即位弘仁1(810)年3月蔵人所を設置。同年9月平城上皇が藤原仲成藤原薬子にそそのかされて復位を企てる,いわゆる薬子の変が起こったが,ただちにこれを鎮圧し,同 2年11月六衛府(→衛府)を改制した。その治世は,律令制の崩壊が進んでいたが,桓武天皇以来の律令政治復活の努力がある程度の成果をみた時期で,宮廷を中心に唐風の文化が栄えた。また賀茂斎院(→斎院)をはじめ白馬節会など儀礼,年中行事が整えられた。同 14年4月16日譲位。天皇は幼時より聡敏で,長じては博学で経史に通じ,詩文をよくし,勅撰漢詩集『凌雲集』『文華秀麗集』に多くの詩を残した。『新撰姓氏録』『弘仁格』『弘仁式』(→弘仁格式)などもこの時期に編纂された。また能書家で僧空海橘逸勢とともに三筆に数えられ,宸翰として伝わるものに唐の詩人李嶠の『詠物百廿詠』(御物,陽明文庫)がある。陵墓は京都府京都市の嵯峨山上陵。

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デジタル大辞泉

さが‐てんのう〔‐テンワウ〕【嵯峨天皇】
[786~842]第52代天皇。在位809~823。桓武天皇の皇子。名は神野(かみの)。「弘仁格式」「新撰姓氏録(しょうじろく)」などを編纂(へんさん)させ、蔵人所(くろうどどころ)検非違使(けびいし)などを設けて律令制補強を行った。また、能筆で知られ、三筆の一人。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

嵯峨天皇 さがてんのう
786-842 平安時代前期,第52代天皇。在位809-823。
延暦(えんりゃく)5年9月7日生まれ。桓武(かんむ)天皇の第2皇子。母は藤原乙牟漏(おとむろ)。同母兄平城(へいぜい)天皇の譲位で即位。薬子(くすこ)の変を収拾し,蔵人(くろうど)所と検非違使(けびいし)をもうけ,律令制を修正・補足した弘仁格式(こうにんきゃくしき)を施行した。詩文や書にすぐれ,空海,橘逸勢(たちばなの-はやなり)とともに三筆にかぞえられる。承和(じょうわ)9年7月15日死去。57歳。墓所は嵯峨山上陵(やまのうえのみささぎ)(京都市右京区)。諱(いみな)は神野(賀美能)。

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世界大百科事典 第2版

さがてんのう【嵯峨天皇】
786‐842(延暦5‐承和9)
第52代に数えられる平安初期の天皇。在位809‐823年。桓武天皇と皇后藤原乙牟漏(おとむろ)との間に生まれ,名を神野(かみの)(賀美能)という。同母兄平城天皇の病気による譲位をうけて即位。平城上皇が寵妃藤原薬子(くすこ)らとともに,多数の官人をひきいて平城旧京に移り,〈二所朝廷〉の観を呈したので,坂上田村麻呂以下のを発して上皇方を征圧した。これを〈薬子の変〉という。以後,弘仁の14年間(810‐824),異母弟淳和天皇の天長の10年間(824‐834),皇后橘嘉智子(かちこ)との間に生まれた仁明天皇の承和9年に没するまでの計30余年は,皇室家父長としての嵯峨天(上)皇の権威のもとに,古代史にまれな政治的安定が出現し,弘仁文化と呼ばれる宮廷中心の文化が開花した。

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大辞林 第三版

さがてんのう【嵯峨天皇】
786~842 第五二代天皇(在位809~823)。名は神野かみの。桓武天皇の皇子。蔵人所くろうどどころ・検非違使けびいしを設置。在位中は唐風文化が栄え「弘仁格式」「日本後紀」が編まれた。詩文にすぐれ「凌雲集」などに漢詩を残す。能筆でも知られ、三筆の一人。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

嵯峨天皇
さがてんのう
(786―842)
第52代とされる天皇(在位809~823)。名は神野(かみの)(賀美能)。桓武(かんむ)天皇の皇子。母は皇后藤原乙牟漏(おとむろ)。延暦(えんりゃく)5年9月7日誕生。806年(大同1)同母兄平城(へいぜい)天皇の皇太弟にたてられ、809年天皇の譲りを受けて即位。翌810年(弘仁1)、上皇が平城還都の議をおこしたことからこれと対立、兵を発して上皇方を制圧した。15年の治世ののち、823年(弘仁14)異母弟の淳和(じゅんな)天皇に譲位、その後も仁明(にんみょう)天皇(嵯峨皇子)の842年(承和9)に没するまで、上皇として家父長的権威をもって朝廷を抑え、古代史上まれな政治的安定期を出現させた。『弘仁格式(こうにんきゃくしき)』『内裏式(だいりしき)』などの法典が編纂(へんさん)され、蔵人所(くろうどどころ)など宮廷の機構が整備され、地方政治も意欲的に行われた。天皇自ら漢詩文、書道をよくし、中国風の文化が栄えた。空海、橘逸勢(たちばなのはやなり)とともに三筆に数えられる。また皇子女の多くに源(みなもと)の姓を与えて臣籍に降下させ、賜姓源氏の例を開いた。御陵は京都市右京区の嵯峨山上陵。[笹山晴生]

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367日誕生日大事典

嵯峨天皇 (さがてんのう)
生年月日:786年9月7日
平安時代前期の第52代の天皇
842年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

さが‐てんのう ‥テンワウ【嵯峨天皇】
第五二代の天皇。桓武天皇の第二皇子。母は藤原乙牟漏。大同四~弘仁一四年(八〇九‐八二三)在位。即位の翌年いわゆる薬子(くすこ)の乱が起こったが、そののちは平穏な治世であり、宮廷を中心に唐風文化が盛んで、「弘仁格式」「新撰姓氏録」「凌雲集」「文華秀麗集」などが編まれた。天皇自身多くの漢詩を残し、また、能筆家としても有名で橘逸勢、空海とともに三筆といわれた。陵墓は京都嵯峨山上陵。延暦五~承和九年(七八六‐八四二

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