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島津義久【しまづよしひさ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

島津義久
しまづよしひさ
[生]天文2(1533).2.9. 鹿児島
[没]慶長16(1611).1.21. 大隅,富隈
戦国~安土桃山時代の武将。島津貴久長男。幼名は虎寿丸,通称は又三郎忠良,義辰と称した。永禄9 (1566) 年,薩摩国大隅国日向国の3国の守護となり,天正5 (1577) 年日向伊東氏を討伐して領内を鎮定。北上して相良氏龍造寺氏大友氏らを圧倒し,ほぼ九州全域を統一。同 15年,豊臣秀吉征伐に敗れたが許され,文禄の役 (→文禄・慶長の役 ) に尽力

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デジタル大辞泉

しまづ‐よしひさ【島津義久】
[1533~1611]安土桃山時代武将薩摩(さつま)の人。貴久の子。法号、竜伯。薩摩大隅(おおすみ)日向(ひゅうが)の3国を領し、さらに諸大名を破ってほとんど九州全土を統一支配。豊臣秀吉九州征伐降伏

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

島津義久 しまづ-よしひさ
1533-1611 戦国-織豊時代の武将。
天文(てんぶん)2年生まれ。島津貴久(たかひさ)の長男。島津氏16代。永禄(えいろく)9年(1566)家督をつぐ。弟義弘とともに伊東義祐(よしすけ),竜造寺隆信(たかのぶ),大友義統(よしむね)を破り,ほぼ九州全域を平定。天正(てんしょう)15年豊臣秀吉に敗れたが,薩摩領有はゆるされた。文禄(ぶんろく)の役には義弘を朝鮮に派遣し,自分は太閤(たいこう)検地などへの対応にあたった。慶長16年1月21日死去。79歳。初名は忠良,義辰(よしとき)。通称は又三郎。号は竜伯。

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

しまづよしひさ【島津義久】
1533‐1611(天文2‐慶長16)
戦国時代の武将。戦国大名島津貴久の長男。幼名虎寿丸。三郎左衛門尉,修理大夫。法名貫明,竜伯。1566年(永禄9)家督を受けつぎ戦国大名として領国の拡大に活躍。初陣は1555年(弘治1)大隅帖佐攻め。69年北薩の雄菱刈氏を倒し,72年(元亀3)木崎原合戦で日向伊東氏を破り,74年(天正2)大隅の最大の領主肝付(きもつき)氏を降伏させ,また同年北薩の入来院(いりきいん)氏に所領を返上させ,薩摩,大隅,日向という守護大名以来の根本所領を回復した。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

しまづよしひさ【島津義久】
1533~1611 安土桃山時代の武将。貴久の長男。号、竜伯。父の遺業を継いで九州全土をほぼ統一。1587年豊臣秀吉の九州出兵を受けてこれに降り、薩摩・大隅二国を安堵された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

島津義久
しまづよしひさ
(1533―1611)
戦国時代の武将。天文(てんぶん)2年2月9日生まれ。父は島津貴久(たかひさ)。初め忠良(ただよし)、のち将軍足利義輝(あしかがよしてる)より義の字を得て義辰(よしたつ)、さらに義久と改める。父貴久と薩摩(さつま)、大隅(おおすみ)の領国化を進め、1566年(永禄9)家督を相続した。1572年(元亀3)日向(ひゅうが)木崎原(きざきばる)で伊東(いとう)氏を大破し、1577年(天正5)伊東氏を追い出し薩隅日3か国の本貫地を戦国所領とした。続いて九州を領国にするため1578年高城(たかじょう)合戦で大友氏を討ち、1581年水俣(みなまた)城で相良(さがら)氏を破り、1584年島原合戦で龍造寺(りゅうぞうじ)氏を倒した。1586年岩屋(いわや)城で高橋氏を従わせ、九州をほぼ制圧したが、翌年豊臣(とよとみ)秀吉に降(くだ)り、剃髪(ていはつ)し、薩摩一国を安堵(あんど)された。1599年、家久(いえひさ)に家督を譲ったが引き続き家久を補佐した。戦国大名、豊臣政権下の大名の当主として諸領主を統治し、近世大名化への土台をつくった。慶長(けいちょう)16年1月21日没。79歳。墓は鹿児島市の福昌寺(ふくしょうじ)墓地にある。[三木 靖]
『山本正誼編『島津国史』(1972・鹿児島県地方史学会)』

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精選版 日本国語大辞典

しまづ‐よしひさ【島津義久】
安土桃山・江戸初期の武将。貴久(たかひさ)の長男。号は龍伯。相良、秋月、有馬らの諸氏を倒して九州全域をほとんどその勢力下においたが、のち秀吉に降伏し、以後、薩摩・大隅などを領した。天文二~慶長一六年(一五三三‐一六一一

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旺文社日本史事典 三訂版

島津義久
しまづよしひさ
1533〜1611
安土桃山〜江戸時代初期の武将
島津貴久の長男。南九州の薩摩・大隅・日向で勢力を固め,豊後(大分県)の大友氏,肥前(佐賀・長崎県)の竜造寺氏・有馬氏,肥後(熊本県)の阿蘇氏・相良氏などを降し,1586年までに全九州を平定。翌年豊臣秀吉に降伏した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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