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島津氏【しまづうじ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

島津氏
しまづうじ
鎌倉時代以来の南九州の武家。惟宗忠久が近衛家領島津荘下司職に補任されたのに始る。忠久の出自は諸説あって不明。鎌倉幕府の成立で,御家人となり,島津荘地頭職ならびに薩摩,大隅,日向の南九州3ヵ国の守護職に補任されたが,まもなく,大隅,日向の所領,守護職を没収された。薩摩では,従来の在地領主 (小地頭) と争って次第に支配権を強化。その間,北陸に越前島津氏,若狭島津氏,国内には山田氏,伊作氏,伊集院氏など有力庶家が生れ,次第にそれぞれ独立していく。南北朝時代,貞久,師久,氏久の代に,肝付氏など在地の反武家勢力の強い抵抗にあい,また畠山直顕,今川了俊など諸権力と国人支配,守護職をめぐる争奪戦を演じるが,南九州一円で着実に大名化の道をたどる。南北朝合一後,元久のとき南九州3ヵ国守護職を回復。その後,各地で領主化した有力一族との激しい相克の末,貴久は大隅,薩摩両国を統一して戦国大名の地歩を固めていった。ヨーロッパ人の来航,鉄砲,キリスト教の伝来もこのときである。その子義久は,北進して大友氏龍造寺氏を圧迫し,九州随一の大名となった。天正 15 (1587) 年,豊臣秀吉の進攻に降伏したが,3ヵ国の旧領は安堵された。関ヶ原の戦いには豊臣方に属したが許され,77万石という外様大名屈指の雄藩となった。藩内には,一門家 (加治木家,垂水家など) と称される有力な支族があった。また,幕末には討幕運動の志士を家臣から出し,結局,藩も長州藩とともに討幕の中心勢力となった。明治維新後,本家は公爵となり,明治,大正には政財界に重きをなした。

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世界大百科事典 第2版

しまづうじ【島津氏】
鎌倉時代から江戸時代まで南九州を領有した有力な大名。惟宗姓。のち藤原姓から源姓を名のるに至る。系図では初代忠久を源頼朝庶子,惟宗広言養子とするが,近衛家家司惟宗氏の出で京都から鎌倉に移り頼朝より厚遇をうけたものであろう。1185年(文治1)島津荘下司となり,翌年地頭に補任され,97年(建久8)には薩摩・大隅両国の家人奉行人(守護)に任命された。日向国についても同様であったらしい。1203年(建仁3)比企氏の乱で三国の守護・地頭職を失ったが,薩摩分のみはまもなく回復した。

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