Rakuten infoseek

辞書

岸信介【きし のぶすけ】

美術人名辞典

岸信介
政治家。衆議院議員内閣総理大臣山口県生。佐藤信政の養子佐藤栄作。東大法学部卒。昭和62年(1987)歿、91才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

きし‐のぶすけ【岸信介】
[1896~1987]政治家。山口の生まれ。佐藤栄作実兄東条内閣の商工相。第二次大戦後A級戦犯容疑者となるが不起訴。昭和32年(1957)首相となり、日米安保条約改定を強行し、辞職。→池田勇人

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

岸信介 きし-のぶすけ
1896-1987 昭和時代の官僚,政治家。
明治29年11月13日生まれ。佐藤栄作の兄。昭和11年満州国実業部次長,16年東条内閣の商工相となり,戦時経済体制を推進。17年衆議院議員(当選10回)。20年A級戦犯容疑で拘留され,23年釈放。日本民主党,自民党の各幹事長をへて,32年首相。35年反対運動のなかで日米安保条約改定を強行して総辞職。その後も保守長老として隠然たる勢力をもちつづけた。昭和62年8月7日死去。90歳。山口県出身。東京帝大卒。旧姓は佐藤。
格言など】本当の幸福を実現するためには,政治の力こそ最大である

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

きしのぶすけ【岸信介】
1896‐1987(明治29‐昭和62)
政治家。山口県出身。佐藤家の出で父方実家を継ぐ。佐藤栄作は実弟。東京帝大法学部卒。農商務省に入り,臨時産業合理局をへて,1935年工務局長。翌年,満州国実業部次長となり,37年より満州産業開発五ヵ年計画を推進。当時,東条英機星野直樹松岡洋右鮎川義介とともに,満州国を動かす〈2キ3スケ〉といわれた。39年帰国,商工次官。同年5月,8万5000人の朝鮮人労働者を日本に強制連行強制労働させる計画を,厚生次官と連名公表

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

きしのぶすけ【岸信介】
1896~1987 政治家。山口県生まれ。東大卒。佐藤栄作の兄。東条内閣の商工相となり戦時経済体制を推進。戦後 A 級戦犯として逮捕。追放解除後、衆議院議員。1957年(昭和32)首相就任。60年国民的反対運動の中で新日米安保条約批准を強行。直後に総辞職。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

岸信介
きしのぶすけ
[生]1896.11.13. 山口
[没]1987.8.7. 東京
政治家。 1920年東京帝国大学法学部を卒業後,農商務省に入る。 1936年満州国実業部次長に転出。 1940年商工次官,1941年東条内閣の商工大臣に就任。 1942年衆議院議員。 1945年A級戦犯として逮捕されたが,1948年に釈放。その後親米派,保守党内タカ派として日本再建連盟を結成,政界に復帰する。 1953年自由党に入り衆議院議員に復帰。 1954年日本民主党幹事長として鳩山内閣を実現。保守合同では自由民主党幹事長。 1956年の自民党総裁選挙で石橋湛山に敗れたが,外務大臣に就任。 1957年石橋首相の病気退任後,岸内閣を組織。 1958年の警察官職務執行法,1960年の日米安全保障条約改定が国民の強い反対にあい,特に安保闘争 (→安保改定問題 ) は第2次世界大戦後最大の反政府運動となり,内閣総辞職。 1979年 10月の総選挙には立候補せず,第一線を退いたものの,後継者福田赳夫などを通じ,自民党右派の象徴的存在として影響力を行使し続けた。晩年は自主憲法やスパイ防止法の成立を目指した。 1979年国連平和賞受賞。佐藤栄作は実弟。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

岸信介
きしのぶすけ
(1896―1987)
政治家。山口県生まれ。佐藤栄作は実弟。旧制一高を経て1920年(大正9)東京帝国大学法学部を卒業し、農商務省に入省。1931年(昭和6)商工省で重要産業統制法の立案・実施にあたり、以降革新官僚の頭目として軍部(統制派)との連携を強めた。1936年、工務局長を辞し「満州国」実業部次長として渡満、満州産業開発五か年計画を実施し、実際上の責任者として「満州国」の経済軍事化を推進した。帰国後、1940年商工次官。1941年東条英機(とうじょうひでき)内閣の商工大臣となり、太平洋戦争開戦の詔書に連署した。1942年翼賛選挙で当選し、政治基盤を獲得。1943年国務大臣兼軍需次官として戦時経済体制の実質的な最高指導者となった。敗戦後、A級戦犯容疑者として逮捕されたが、1948年(昭和23)末釈放。1952年公職追放を解除され、日本再建連盟を結成。1953年3月自由党に入り、翌月の総選挙に当選し(山口2区)政界復帰。党内の憲法調査会長として憲法改正・再軍備を唱道した。1954年鳩山一郎(はとやまいちろう)らとともに自由党を除名され日本民主党結成に参加、幹事長となった。1955年保守合同後、自由民主党の幹事長。翌年総裁選で石橋湛山(いしばしたんざん)に敗れ、石橋内閣の外相に就任。1957年2月石橋首相の病気退陣により自民党総裁に選ばれ内閣を組織した。日米安全保障条約の改定を国民的な反対運動のなかで強行したため、1960年7月総辞職した。以後1979年まで衆議院議員。首相経験者として自民党最高顧問を務めた。状況変化に俊敏に対応し、変わり身が早く、情勢判断力・政治力にたけた典型的な官僚政治家とみなされている。[荒 敬]
『吉本重義著『岸信介伝』(1957・東洋書館) ▽岸信介他著『岸信介の回想』(1981・文芸春秋) ▽岸信介著『我が青春』(1983・広済堂出版) ▽『岸信介回顧録』(1983・広済堂出版) ▽高橋正則著『昭和の巨魁 岸信介と日米関係通史』(2000・三笠書房) ▽岩見隆夫著『岸信介 昭和の革命家』(学陽書房・人物文庫) ▽原彬久著『岸信介――権勢の政治家』(岩波新書)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

きし‐のぶすけ【岸信介】
政治家。山口県出身。佐藤栄作の実兄。満州国に深くかかわり、昭和一六年(一九四一)東条内閣の商工相。第二次世界大戦後は昭和三二年(一九五七)から首相。日米安全保障条約改定に反対する安保闘争により辞職。明治二九~昭和六二年(一八九六‐一九八七

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

岸信介」の用語解説はコトバンクが提供しています。

岸信介の関連情報

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.