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山鹿素行【やまがそこう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

山鹿素行
やまがそこう
[生]元和8(1622).8.16. 会津若松
[没]貞享2(1685).9.26. 江戸
江戸時代初期の古学派の儒学者,兵学者。名は義以,高興,高祐,字は子敬,通称は甚五左衛門,素行は号,別号は穏山。父は貞以。幼時から漢籍を学び,6歳のとき江戸に出て,9歳のとき林羅山の門に入って朱子学を学んだ。 15歳のとき小幡景憲,北条氏長について甲州流軍学を学び,神道,歌学,老荘にも詳しく,博学をもって鳴り,31歳のとき播州赤穂藩主浅野長直に仕えた。辞任後,44歳のとき『聖教要録』をわし,古学の立場を明らかにし,朱子学を批判したため,翌年保科正之らの策動により赤穂幽閉を命じられ,以後9年間幽居の身となった。この間『中朝事実』 (1681) を著わし,日本主義を提唱。晩年許されて江戸に帰り,兵学を講じた。主著『武教全書』 (56) ,『山鹿語類』『配所残筆』。『山鹿素行集』 (8巻,1936) がある。

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デジタル大辞泉

やまが‐そこう〔‐ソカウ〕【山鹿素行】
[1622~1685]江戸前期の儒学者・兵学者。会津の人。江戸に出て儒学・兵学・神道・仏教・歌学などを修め、古学を提唱した。官学朱子学を批判して「聖教要録」を著し、播磨(はりま)の赤穂に流されたが、許されて江戸に帰った。著「配所残筆」「中朝事実」「武教全書」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

山鹿素行 やまが-そこう
1622-1685 江戸時代前期の兵法家,儒者。
元和(げんな)8年8月16日生まれ。林羅山に朱子学を,小幡景憲(おばた-かげのり),北条氏長に武芸,兵学をまなぶ。「武教全書」などをあらわし山鹿流兵学を完成。寛文5年「聖教要録」で朱子学を批判し,播磨(はりま)(兵庫県)赤穂(あこう)藩浅野家預けとなる。10年後にゆるされ,江戸積徳堂でおしえた。貞享(じょうきょう)2年9月26日死去。64歳。陸奥(むつ)会津(福島県)出身。名は高興。字(あざな)は子敬。通称は甚五左衛門。著作に「配所残筆」「武家事紀」など。
【格言など】その言行己れより賢(まさ)れる者は,以て師とすべし(「聖教要録」)

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

やまがそこう【山鹿素行】
1622‐85(元和8‐貞享2)
江戸前期の兵学者,儒者。江戸時代には山鹿流兵法の名とともに兵学者として最も名高く,後世では朱子学を批判した儒者として知られる。名は高興,高祐など,通称は甚五左衛門,素行と号し積徳堂ともいった。浪人の子として会津若松に生まれ6歳で江戸に移り,林羅山に入門し,ついで小幡景憲,北条氏長について兵学を修めた。幼時から学問にすぐれたが,しだいに兵学者として名を知られるようになり,諸大名から招かれたが仕官せず,幕府に仕えることを願った。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

やまがそこう【山鹿素行】
1622~1685 江戸前期の儒学者・兵学者。会津の人。江戸に出て朱子学・甲州流軍学・歌学・神道などを学ぶ。武教的儒学によって諸大名らに支持されたが、朱子学を排斥し古代の道への復帰を説いた「聖教要録」の筆禍で赤穂に配流。配所で「中朝事実」を著した。他に著「武家事紀」「山鹿語類」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

山鹿素行
やまがそこう
(1622―1685)
江戸前期の儒者、兵学者。名は高興(たかおき)、字(あざな)は子敬(しけい)、通称は甚五左衛門、素行は号。元和(げんな)8年8月16日会津若松に生まれる。江戸に出、1630年(寛永7)林羅山(はやしらざん)に入門、儒学を学び、小幡景憲(おばたかげのり)、北条氏長(ほうじょううじなが)に兵学を学ぶ。若くして『四書諺解(げんかい)』『兵法神武雄備集』(1651)を著し、さらに神道(しんとう)・和学を修めるなど秀才ぶりを発揮し名声をあげた。幕府仕官の内意があったが、将軍家光(いえみつ)の死により実現しなかった。1652年(承応1)より1660年(万治3)まで、門人でもあった播磨(はりま)赤穂(あこう)藩主浅野長直(あさのながなお)(1610―1672)に仕え、この間兵学上の主著『武教全書』(1656)などを著す。林家入門以来朱子学の訓詁(くんこ)に親しんでおり、のち老荘や禅にもひかれ、儒仏老三教一致的な見解を述べたこともあるが、35歳の『修教要録』では朱子学の立場にたつ。
 しかし朱子学の、日常から遊離した観念的な思弁と日常の生活行為と遮断された内面の修養に対する批判は、それ以後しだいに明確となり、門人たちが編纂(へんさん)した『山鹿語類』(1665成立)では、漢(かん)・唐(とう)・宋(そう)・明(みん)の書を媒介とせず直接古代の聖賢の教えにつくべきであるとする古学的立場が表明され、『語類』聖学篇(へん)の要約ともいえる1665年(寛文5)に著された『聖教要録』では、古学転回後の素行学が体系的に展開された。しかし『聖教要録』は「不届成(ふとどきなる)書物」とされ、翌1666年幕府によって播磨赤穂に流され、1675年(延宝3)許されるまで流謫(るたく)の身であった。その間、朱子の『四書集註(ちゅう)』を批判した『四書句読(ししょくとう)大全』、日本を中華とする日本主義の立場から神代・古代について述べた『中朝事実』、武家の百科全書ともいうべき『武家事紀』などを著し、配流から赦免された1675年には自伝的著作として有名な『配所残筆』を著した。その後江戸において主として兵学に関する講学・著述に努め、『原源発揮諺解』などを著したが、貞享(じょうきょう)2年9月26日江戸の私邸積徳堂に没した。享年64歳。その墓は現在、東京新宿区の宗参寺(そうさんじ)にある。
 素行の門人・支持者のうち大名では、浅野長直をはじめ陸奥(むつ)弘前(ひろさき)藩主津軽信政(つがるのぶまさ)(1646―1710)、下野(しもつけ)烏山(からすやま)藩主板倉重矩(いたくらしげのり)(1617―1673)、肥前(ひぜん)大村藩主大村純長(おおむらすみなが)(1636―1706)、同平戸(ひらど)藩主松浦鎮信(まつらしげのぶ)(素行の弟義行(よしゆき)が家老として仕え、のち孫高道が平戸に下り、一族は現在に至っている。平戸には山鹿文庫があり重要文化財の稿本類を伝えている)らが知られている。[佐久間正]
『『山鹿素行全集』全15巻(1940~1942・岩波書店) ▽田原嗣郎・守本順一郎校注『日本思想大系32 山鹿素行』(1970・岩波書店) ▽堀勇雄著『山鹿素行』(1959/新装版・1987・吉川弘文館) ▽佐佐木杜太郎著『山鹿素行』(1978・明徳出版社) ▽山鹿光世著『山鹿素行』(1981・原書房/再刊・1999・錦正社)』

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367日誕生日大事典

山鹿素行 (やまがそこう)
生年月日:1622年8月16日
江戸時代前期の儒学者;兵学者
1685年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

やまが‐そこう【山鹿素行】
江戸前期の儒者、兵学者。古学の開祖。名は高興、字は子敬、通称甚五左衛門。会津若松の人。儒学を林羅山に、兵学を小幡景憲・北条氏長に学び、「兵法神武雄備集」で名声を高め、大名・旗本に兵学の弟子が多かった。赤穂藩江戸屋敷に仕えて朱子学を奉じたが、後、古学を提唱し、朱子学を批判した「聖教要録」によって赤穂に配流された。延宝三年(一六七五)に赦免され、江戸で松浦藩の援助を受けた。山鹿流軍学の始祖。著「武教要録」「武教全書」「中朝事実」「原源発揮」「山鹿語類」など。元和八~貞享二年(一六二二‐八五

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旺文社日本史事典 三訂版

山鹿素行
やまがそこう
1622〜85
江戸前期の古学派の儒学者・兵学者
陸奥(福島県)会津の人。江戸に出て林羅山に朱子学を,小幡景憲に甲州流兵学を学んだ。儒学の実践性と日本的学問体系を主張,『聖教要録』『山鹿語録』『中朝事実』などを著した。『聖教要録』で朱子を通してでなく古代聖賢の教えにかえることを主張し,当時の官学たる朱子学を批判したため播磨(兵庫県)赤穂藩へ流された。赤穂藩士に武士道鼓吹。その後許されて江戸に帰り,私塾を開き軍学山鹿流兵学を講じた。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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