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山路愛山【やまじ あいざん】

美術人名辞典

山路愛山
史論家・評論家。東京生。名は弥吉。『国民新聞』の記者となり、のち民友社史論・文学論を発表。その後も『信濃毎日新聞』の主筆となる等して発表を続けた。大正6年(1917)歿、54才。

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デジタル大辞泉

やまじ‐あいざん〔やまぢ‐〕【山路愛山】
[1865~1917]評論家。江戸の生まれ。本名、弥吉。「国民新聞」の記者、「信濃毎日新聞」の主筆を経て雑誌「独立評論」を創刊。独自の国家社会主義を主張した。足利尊氏」「社会主義管見」「現代金権史」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

山路愛山 やまじ-あいざん
1865*-1917 明治-大正時代の史論家,評論家。
元治(げんじ)元年12月26日生まれ。幕臣の子。クリスチャン。「国民之友」などに史論を発表,北村透谷と文学論争をする。明治32年「信濃毎日新聞」主筆となり,36年「独立評論」を創刊。38年斯波(しば)貞吉らと国家社会党を結成,社会運動にもかかわった。大正6年3月15日死去。54歳。本名は弥吉。著作に「社会主義管見」「現代金権史」など。
【格言など】人品を拝まずして衣裳を拝むは人類の通弊なり(「明治文学史」)

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

やまじあいざん【山路愛山】
1864‐1917(元治1‐大正6)
評論家。本名は弥吉,愛山は号。幕臣の子として江戸に生まれ,明治維新後静岡に移り,生の転換を求めて1886年キリスト教に入信し,東洋英和学校に学ぶ。91年メソディスト三教派の機関紙《護教》を創刊し,その主筆(1891‐97)になる。92年民友社に入り,《国民之友》《国民新聞》に執筆し,99年《信濃毎日新聞》の主筆をし,1903‐16年に月刊独立評論》を刊行。そのころ海老名弾正の自由主義に一時共鳴。1905年斯波貞吉,中村太八郎らと国家社会党(‐1910)を結成し,家族国家論を基礎とした社会改良を唱え,06年普選運動や東京市電車賃値上げ反対運動を推進した。

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大辞林 第三版

やまじあいざん【山路愛山】
1864~1917 評論家。江戸の生まれ。本名は弥吉。「国民新聞」の記者となり、雑誌「国民之友」などに史論・文学論を発表。「信濃毎日新聞」主筆。著「足利尊氏」「現代金権史」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

山路愛山
やまじあいざん
[生]元治1(1864).12.26. 江戸
[没]1917.3.15. 東京
明治の史論家,ジャーナリスト。幼名は左衛門,維新後弥吉。愛山は号。旗本の子として生れ,幕府滅亡後静岡に移り,のち上京して,東洋英和学校を卒業。キリスト教の伝道に従ったが,1892年徳富蘇峰の民友社に入り,『国民之友』に史論,文学論,政治評論を寄稿し,高山樗牛や北村透谷らと論争した。 99年『信濃毎日新聞』主筆,1903年『独立評論』を創刊し,儒教唯物史観の独自の融合のうえに立って,国家社会主義を主張した。 05年斯波貞吉らと国家社会党を結成し,資本家の横暴の抑制と,国家の強化,領土の拡大を唱えた。主著『社会主義管見』 (1906) ,『現代金権史』 (08) ,『足利尊氏』 (09) ,『愛山史論』 (13) ,『現代富豪論』 (14) 。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

山路愛山
やまじあいざん
(1864―1917)
明治時代の史論家、政論家。本名は弥吉。微禄(びろく)の幕臣の子として、元治(げんじ)元年12月26日江戸に生まれる。幕府滅亡後静岡に移り、静岡英語学校、東洋英和学校に学ぶ。一時牧師を務めたが、1892年(明治25)には『国民新聞』記者となり、同紙や雑誌『国民之友』に史論、評論を発表し、また北村透谷(とうこく)や高山樗牛(ちょぎゅう)と論争した。99年『信濃(しなの)毎日新聞』主筆、1903年(明治36)には『独立評論』を創刊。05年には斯波貞吉(しばていきち)、中村太八郎(たはちろう)らと国家社会党を結成し、のち普通選挙期成同盟会評議員となるなど、社会運動にもかかわった。反骨精神をもち在野の人として通したが、その思想は儒教とキリスト教に発し、ナショナリズムに移り、社会主義にも理解を示し、独自の国家社会主義思想に到達した。『社会主義管見』『現代金権史』『足利尊氏(あしかがたかうじ)』『現代日本教会史論』などの著作のほか多数の論説がある。大正6年3月15日没。[松永昌三]

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精選版 日本国語大辞典

やまじ‐あいざん【山路愛山】
評論家、ジャーナリスト。江戸の生まれ。名は彌吉。徳富蘇峰と交わり民友社に入社、「国民之友」「国民新聞」に史論・文学論を発表。のち「信濃毎日新聞」「信濃日日新聞」の主筆となる。雑誌「独立評論」「国民雑誌」など創刊。著「荻生徂徠」「新井白石」「足利尊氏」「社会主義管見」「現代金権史」「支那論」など。元治元~大正六年(一八六四‐一九一七

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旺文社日本史事典 三訂版

山路愛山
やまじあいざん
1864〜1917
明治・大正時代の評論家・歴史家
幕臣の家に生まれる。初めキリスト教伝道に従事,1892年民友社に入り『国民之友』『国民新聞』に史論・評論を発表し健筆をふるった。1903年『独立評論』を刊行し,国家社会主義を主張した。著書に『現代金権史』『徳川家康』『足利尊氏』など。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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