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山水画【さんすいが】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

山水画
さんすいが
自然を題材とした東洋絵画の一部門人物画花鳥画とともに東洋画の三大部門で,一般的には風景画の意味に解釈されるが,高い精神性が要求される。大自然を意味する山水は道教思想,陰陽五行説などを背景として画題として取上げられた。 (1) 中国 漢代頃には鏡や人物画の背景などに文様化されたり,象徴的に表現された。六朝時代には主として神仙山水図として独立した画題となり,顧 愷之 (こがいし) による遠近法,宋迪による透視画法が発達した。代になると肥痩のある運筆や皴法などの技法によって写実的,感覚的な表現が行われ,呉道子李思訓など著名な山水画家が現れて山水画の地位が確立した。やがて五代から北宋代には三遠の法,皴法などの標準的な山水画の描法と構図形式が成立し,北方に李成,范寛,南方には董源,巨然らのすぐれた画家が多数輩出した。北宋代末から南宋代にかけては郭煕李唐らが活躍し,南宋代には馬遠夏珪,玉澗らの山水画家が現れて,特色ある画風を立てた。元代末にはこの院体山水画は定形化し,粗放な作風に変ったが,これと対立するように倪 瓚 (げいさん) ,黄公望ら元末四大家に代表される,自然に対する心情を主観的,感覚的に表現する山水画風が主流となった。この画風は明代の沈周らの文人画家に受継がれ,南宗画として完成した。また院体山水画は明代の浙派などに受継がれたが,明,清代の山水画は流派の間に影響と融合が行われ複雑に変化した。 (2) 日本 7~8世紀に中国の山水画の直接的な影響のもとに発生発展したが,9世紀末から独自の展開を示した。すなわち7世紀前半の南北朝様式から,法隆寺金堂壁画などにみられる初唐様式を経て,8世紀に入ると盛唐の発達した山水画の技法が,天平の画工たちによって吸収されたことが,琵琶捍撥画などの正倉院の諸作例や,東大寺の法華堂根本曼荼羅の背景の山水などからうかがわれる。地図などを別にすれば,この期の山水画はすべて理想化された唐風のもので,これはその後長く日本の風景表現の基調となった。平安時代に入り9世紀末から月次絵 (つきなみえ) ,名所絵などの形で日本の風景を描くことが愛好されはじめると,平明な山野の四季の景物や男女の風俗を交えた和風の山水画が形成され,鎌倉時代まで踏襲された。 14世紀以降,南宋や元の水墨山水画が禅林の画僧を中心に学び取られ,武士や貴族の嗜好にも合致して,日本の山水画の様相を一変させた。雪舟の作品に代表されるように,それらは水墨の技法や樹法,皴法などを除けば,平明で抒情性のかった日本画の特色と限界性を示している。一方,江戸時代を通して写生的な真景図への根強い指向が,流派的な相違をこえて,日本の山水図の伝統を近代的な風景画につないでいく重要な契機となった。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

さんすい‐が〔‐グワ〕【山水画】
山岳や河水などの、自然の景観を描いた絵画。水墨山水青緑山水などがある。人物画花鳥画とともに東洋画の主要画題。

出典:小学館
監修:松村明
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世界大百科事典 第2版

さんすいが【山水画 shān shuǐ huà】
山や水といった個々具体的な表現素材を駆使して構成される,全体としては理想的な山水の画。いわゆる風景画とは異なる。
[山水画の展開過程]
 中国絵画に占めるその位置はきわめて大きく,現存作品の大半が山水画といっても過言ではないほどである。ただ古代中国絵画の場合,いずれの地域の絵画もそうであるように,人物画がその中心をなす。山水画が本格的に興隆し始めるのは,六朝時代からであり,完全に独立した分野となるのは,呉道玄(道子),李思訓・李昭道父子,あるいは王維らが出現する盛唐時代,さらに山水画のみを専門とする画家が一個の画家として認められるようになるのは,中唐から晩唐時代にまで下る。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

さんすいが【山水画】
東洋画で、山岳・河水を中心とする自然の風景を描いた絵。人物画・花鳥画とともに重要な部門をなす。山水。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

山水画
さんすいが
東洋画の画題の一つ。広義には風景画のこと。人物画、花鳥画とともにもっとも多く描かれた。山水、樹木、岩石など自然の景観を描くもので、景物としては人物、楼閣、風俗、鳥獣などをも含み、四季と組み合わされることがある。中国湖南省の洞庭湖(どうていこ)や浙江(せっこう)省の西湖(せいこ)周辺の景勝に取材した「瀟湘八景図(しょうしょうはっけいず)」や「西湖図」なども広くは山水画に含まれるが、普通、山水画とよぶ場合には、単にそうした特定の地を写し出すのみならず、個々の名勝を超えた自然の普遍的な姿を表現しようとしたものが多い。[榊原 悟]

中国

早くも漢代には、神仙図などの部分として山水が宗教的な象徴の意味を込めて描かれていたが、続く六朝(りくちょう)時代になってその基本理念が確立した。宗炳(そうへい)の『画山水序』がそれで、彼は晩年、遊歴した名山をすべて壁に描き、坐臥(ざが)してこれに向かったといわれ、彼によって山水臥遊の心境の表現を目ざした中国山水画の基本方向が決定づけられた。唐代の呉道玄(ごどうげん)や李思訓(りしくん)・李昭道(しょうどう)父子による「山水の変」いわゆる山水画の革新を経て、やがて北宋(ほくそう)時代になると山水画は全盛を迎え、一時代を画するに至る。李成(りせい)、范寛(はんかん)、許道寧(きょどうねい)、燕文貴(えんぶんき)、董源(とうげん)、巨然(きょねん)らは、咫尺(しせき)に千里の望を収め、山水自然の無窮の広がりを画面に写し取ることに成功する。さらに郭煕(かくき)によって平遠・高遠・深遠の三遠法がくふうされ、これによって自己完結した理想的かつ総合的な山水表現が達成されることになる。続く南宋時代には、詩情の表出を主眼に、対象を限定し、余白との呼応によって自然の広がりと変化を暗示する朝廷の画院画家、馬遠(ばえん)や夏珪(かけい)の辺角構図、残山剰水(ざんざんじょうすい)形式が流行した。一方この時代には、牧谿(もっけい)、玉澗(ぎょくかん)らの画僧も活躍し、作品も鎌倉時代以降わが国に伝えられ大いに珍重された。
 元代には四大家といわれる呉鎮(ごちん)、黄公望(こうこうぼう)、倪(げいさん)、王蒙(おうもう)らが出て文人山水画を台頭させ、それぞれ個性的な画風を完成する。続く明(みん)代には画院の流れをくむ浙派(せっぱ)と元の四大家の流れをくむ沈周(ちんしゅう)、文徴明(ぶんちょうめい)らの呉派とがあったが、のち董其昌(とうきしょう)の出現によって後者の文人画の系統の優位性が説かれ、四王呉(しおうごうん)(王時敏(おうじびん)、王鑑(おうかん)、王(おうき)、王原祁(おうげんき)、呉歴(ごれき)(うんかく))らの活躍とともに、以後は文人画としての南宗画(なんしゅうが)風が盛んとなった。[榊原 悟]

日本

飛鳥(あすか)時代から山水画の画題はあり、各時代に中国山水画の様式的影響を受けながら制作されてきたが、これとは別にわが国固有の四季絵や名所絵の伝統にのっとり、日本の四季の風物を描き込んだ大和絵(やまとえ)の、いわゆる山水屏風(せんずいびょうぶ)も数多く制作されたと推定される。しかし山水画がとりわけ盛行をみるのは、鎌倉時代以後、宋元の水墨山水画が輸入されてからのことで、とくに室町期の五山叢林(そうりん)を中心とする禅宗社会では、山水画は詩画軸という独得の形式によって大いに享受された。周文、雪舟、雪村、三阿弥(さんあみ)(能阿弥、芸阿弥、相阿弥)や小栗宗湛(おぐりそうたん)らはいずれも山水画に本領を発揮、ことに雪舟は、実景描写に腐心することによって、中国画の模倣から脱し、独自の日本的山水画を描くことに成功した。
 狩野正信(かのうまさのぶ)、元信(もとのぶ)以降、永徳を経て、桃山時代になると、山水画も他の花鳥画や人物画などと同様著しく装飾的になり、やがて江戸初期の狩野探幽(たんゆう)によって、大和絵との融合から、平明で瀟洒(しょうしゃ)な、まさしく日本画とも称さるべき山水画様式が達成された。また江戸中期以降、池大雅(いけのたいが)、与謝蕪村(よさぶそん)らの南画家が出て、中国明清(みんしん)の南宗画風を学んで鮮新な山水画の世界を開拓した。さらに円山応挙(まるやまおうきょ)は写生を唱え、写実と装飾とを調和させた独自の山水画を描いている。またこの時代は実景描写への関心も大いに高まり、各地の名所、景勝を訪れ、これに取材した「真景図」も数多く制作された。渡辺崋山(かざん)の『四州真景図巻』などがその代表的作例で、これはある意味では、自然の普遍的な姿を表現しようとする山水画の解体とも、また一面では山水画の近世的変質とも称さるべきであり、この「真景図」は、やがてきたるべき近代的「風景画」への第一歩ともなった。そしてここに山水画は、真に創造的な歴史的使命を終えることになる。[榊原 悟]

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精選版 日本国語大辞典

さんすい‐が ‥グヮ【山水画】
〘名〙 人物画・花鳥画とともに東洋画の画題の一つ。山岳、河水、樹木など自然の風景を題材として描いた絵。中国、六朝時代に成立。日本では鎌倉・室町時代に禅宗社会に盛行し、江戸時代にはいり大和絵と融合した独自の山水画様式を確立。画山水。山水。
※正倉院文書‐天平勝宝八年(756)六月二一日・東大寺献物帳「山水画屏風一具両十二扇」

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旺文社世界史事典 三訂版

山水画
さんすいが
東洋絵画の一様式で,自然・風景を主題とする絵画
中国では漢代から人物画などの背景として描かれていたが,唐代に水墨山水画として背景的役割から独立した。以後,技法は多様化。人物画・花鳥画と並ぶ中国の三大絵画様式の1つ。

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旺文社日本史事典 三訂版

山水画
さんすいが
自然の風景を描いた絵画
中国では漢代におこり唐代に独立・発展し宋代に完成。日本では『玉虫厨子 (ずし) 』や正倉院御物にみられるように中国の模倣の時代を経て,平安時代に大和絵が成立し,独自の様式をもった。鎌倉・室町時代に宋元の水墨画が輸入されると水墨山水画が栄え,雪舟はその大成者。江戸時代に文人画が南画の影響をうけると再び栄えたが,明治期の富岡鉄斎を最後として衰退した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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