Rakuten infoseek

辞書

山本鼎【やまもと かなえ】

美術人名辞典

山本鼎
洋画家・版画家。愛知県生。洋画家村山槐多従兄弟。桜井暁雲に師事。東美校卒。東京パック社に入社。石井柏亭・小杉放庵らと「方寸」を創刊織田一磨らと日本創作版画協会を創立し、以後創作版画の発展に尽力する。また、日本農民美術研究所設立し、自由画運動を展開した。春陽会創立会員。帝国美術院参与。昭和21年(1946)歿、65才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

やまもと‐かなえ〔‐かなへ〕【山本鼎】
[1882~1946]洋画家・版画家。愛知の生まれ。大正7年(1918)日本創作版画協会を結成し、創作版画の発展に尽力。また、児童のための自由画運動の推進、日本農民美術研究所の設立など、多方面で活躍。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

山本鼎 やまもと-かなえ
1882-1946 大正-昭和時代前期の洋画家,版画家。
明治15年10月14日生まれ。山本太郎の父。村山槐多の従兄。北原白秋の義弟。大正1-6年滞欧。7年日本創作版画協会を創設,また児童の自由画教育,農民美術運動を推進する。11年春陽会創立会員。昭和21年10月8日死去。65歳。愛知県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。作品に「サーニャ」「ブルトンヌ」など。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

やまもとかなえ【山本鼎】
1882‐1946(明治15‐昭和21)
画家,版画家。愛知県岡崎市に生まれる。桜井暁雲に木口木版を学ぶ。東京美術学校卒業。1907年石井柏亭らと美術雑誌《方寸》を創刊,創作版画運動を起こす。春陽会等に油絵を発表するとともに,日本創作版画協会日本版画協会創立の立役者となり,日本近代版画の確立と普及に尽力した。この間,12‐16年フランスに遊学。帰国の途次,ロシア農民美術に啓発され,長野県上田近郊に日本農民美術研究所を設立,農家の副業としての農民美術の育成に努めた。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

やまもとかなえ【山本鼎】
1882~1946) 洋画家・美術教育家。愛知県生まれ。日本創作版画協会を創立、版画の普及に貢献。また農民美術運動・自由画運動を提唱、長野県に日本農民美術研究所を建設。代表作「サーニヤ」「時化の朝」など。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

山本鼎
やまもとかなえ
[生]1882.10.24. 岡崎
[没]1946.10.8. 長野,上田
版画家。 1906年東京美術学校西洋画科卒業。翌年石井柏亭,森田恒友らと雑誌『方寸』を創刊して創作版画運動を推進。 12~16年ヨーロッパへ留学,ロシアを経て帰国後,再興日本美術院洋画部の同人となり,同展に多くの滞欧作を発表。 18年恩地孝四郎らと日本創作版画協会を創立。翌年には長野県小県郡神川村小学校で児童の自由画教育運動を起し,また同村に日本農民美術研究所を設立。 20年には小杉放庵らと院展を脱退,22年春陽会の結成に参加。簡潔で清新な木版画を得意とした。村山槐多の従兄。主要作品『漁夫』 (1904) ,『支那の女』 (12) ,『ブルターニュの小湾』 (12) ,『サンマルタンの冬』 (14) 。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

山本鼎
やまもとかなえ
(1882―1946)
洋画家、版画家。愛知県岡崎生まれ。幼少のころ上京、木版師桜井暁雲(ぎょううん)の内弟子となる。1906年(明治39)東京美術学校西洋画科を卒業し、翌1907年同志と『方寸』誌を創刊、これに版画や文章を発表。1912~1916年(大正5)滞仏し、モスクワ滞在ののち帰国。翌1917年日本美術院洋画部同人となり、1918年同志と日本創作版画協会を創立、また自由画教育と農民美術運動に積極的に取り組む。1922年春陽会の創立に参加、翌1923年長野県大屋に日本農民美術研究所を建設する。重厚な写実で知られ、著書『油絵の描き方』『自由画教育』などもある。代表作は油絵の『サーニャ』、木版画の『海辺の子供』『ブルトンヌ』ほか。[小倉忠夫]
『山越脩蔵編『山本鼎の手紙』(1971・上田市教育委員会)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

やまもと‐かなえ【山本鼎】
洋画家、版画家。愛知県出身。東京美術学校卒業後渡欧。帰国後、日本美術院同人となり、さらに日本創作版画協会創立。農民美術運動および自由画教育に取り組む。春陽会結成に参加。代表作「サーニャ」(油絵)、「ブルトンヌ」(木版画)。明治一五~昭和二一年(一八八二‐一九四六

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

山本鼎」の用語解説はコトバンクが提供しています。

山本鼎の関連情報

他サービスで検索

「山本鼎」のスポンサー検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.