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寝室【しんしつ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

寝室
しんしつ
就寝のための部屋欧米では,寝室は最も個人的な部屋として非常に重要視されるが,日本では,居間茶の間が夜になると寝室に用いられ,独立した寝室という概念が少なかった。しかし最近は日本でも私的生活が重要視され,専用の寝室があることが住宅の必要条件となりつつある。いわゆる食寝分離の思想である。洋風寝室はベッドやたんすなどが置かれるので,夫婦の場合 12~18m2ぐらいの面積が必要とされる。和風寝室では,ふとんを2組敷くには少くとも6畳の広さが必要である。子供の寝室は勉強室と兼ねることが多い。寝室は休息のための部屋であるから,落ち着いた雰囲気をかもす材料と色彩で内装し,また周囲は防音に注意した構造とし,特に隣室との間の間仕切り壁は,30dB以上の遮音力があるようにする。温度換気が適当に保たれるように窓に網戸を入れたり換気口をつける。

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デジタル大辞泉

しん‐しつ【寝室】
寝るために使う部屋。ねや。

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監修:松村明
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世界大百科事典 第2版

しんしつ【寝室】
住宅において就寝のために使われる部屋。室内に机やたんすなどを入れ,個人的な生活を営む部屋の名称としても用いられる。日本在来の名称ではなく,西欧の生活様式が導入されて以後普及した。竪穴住居にベッド状の高い部分を設けた例が少数ながら報告されているが,現在まで発掘された縄文弥生古墳の各時代住居址には,寝間(寝室)をはっきり分けてつくったと認められる例はない。アイヌの住居では炉端の席が決まっており,各人の後ろの空間が寝場所になっていたので,おそらくそのような使われ方をしたのであろう。

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大辞林 第三版

しんしつ【寝室】
寝るのに使われる部屋。ねま。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

寝室
しんしつ
住宅において睡眠をとるための部屋。平安時代の寝殿造の住宅では塗籠(ぬりごめ)あるいは夜御殿(よんのおとど)、中世の主殿造では納戸(なんど)あるいは寝所、禅宗方丈(ほうじょう)では眠蔵(みんぞう)、近世の書院造では御寝間あるいは御休息、農家では納戸、そして明治以後は寝間(ねま)・寝室・ベッドルームなどの呼び名があるが、子供室のように個人の居室が勉強・遊びなどに使われるとともに寝る場所ともなる場合には、とくに寝室とはよばないのが普通である。
 日本の住宅の寝室を歴史的にみると、先史時代に寝る場所となったのは竪穴(たてあな)住居である。縄文時代の早い時期には、竪穴住居の機能の第一が寝ることにあったと考えられる。同じ竪穴住居でも、弥生(やよい)時代以降のものには竈(かま)を備えるものも発見されていて、炊事・食事などがその中で行われ、寝るためだけのものではなかった。古墳から出土した埴輪(はにわ)屋では、中の機能がわかる程度につくられたものがほとんどないので、使い方まで推測することは困難であるが、美園遺跡(滋賀県)出土の埴輪屋の2階の片側にベッド状の台があり、その部分が寝るための場所であったと推定される。
 儀式等の形式として寝室の状態を伝えているのは、天皇が即位して最初の秋に行われる大嘗会(だいじょうえ)に仮設される式場の中心になる悠基殿(ゆきでん)・主基殿(すきでん)で、堂と室からなる平面のうち奥の草壁で囲まれ、堂との間に設けられた扉からしか入ることのできない閉鎖的な室には、神の寝床として畳が重ねられ、その上に枕(まくら)が、足元には沓(くつ)がそろえられている。
 平安時代の寝殿造の住宅では、主要な御殿である寝殿や対屋(たいのや)にあった夜御殿あるいは塗籠とよばれる部分が、その名が示すように寝室であった。寝殿や対屋では、中心となる母屋(もや)の一端に塗籠がつくられ、母屋は通常梁間柱間(はりまはしらま)二つ、桁行(けたゆき)五あるいは七つの規模であるところから、塗籠は梁間柱間二つ、桁行も柱間二つのほぼ正方形の部屋であった。この部屋は名称あるいは記録のなかに描かれている平面図からみても、壁で四方が囲まれていて1か所にだけ扉があった。この塗籠の中には、寝るための施設である調台が置かれていた。平安時代の後半には生活の場が北庇(きたびさし)や北孫庇に移っていくために塗籠も北庇に移り、中世になると母屋の塗籠が消えていく。塗籠は、物語文学にみられる描写からも、寝室であったことが確かめられる。
 中世の主殿造の住宅では、寝殿造の塗籠ほどに周囲が壁で囲まれていたとは限らないが、寝室である納戸は他の部屋より強い閉鎖性を示している。室町時代の絵巻物である『慕帰絵詞(ぼきえことば)』に描かれた納戸は、小柱をたくさん並べその外側に厚い板を横に貼(は)った頑丈な壁をつくり、1か所に壁と同じ構造の頑丈な引き戸を備えた潜(くぐ)り口を設けている。ほかにも中世の絵巻には寝室のようすを描いているものがあり、『慕帰絵詞』の例ほど厳重ではないが、入口の敷居をわずかにあげ、鴨居(かもい)を通常より低めにして、小さな引き戸を用いるという特徴を備えるようになる。このような構造の寝室の遺構は、東寺(とうじ)の子院である観智院(かんちいん)の客殿にある。
 近世に入ると、中世の納戸の形式は対面の場の帳台構(ちょうだいがまえ)に変化して存続する。しかし、帳台構は中世の寝室の名残(なごり)をとどめているだけで、その中は二条城の大広間などの帳台構にみられるように対面の場合の控え室で、寝室ではなかった。先の観智院客殿と同じころ建った園城寺(おんじょうじ)の子院勧学院の客殿では、居間の隣に寝室を設けているが、周囲は他の部屋と同様に襖(ふすま)である。蚊帳(かや)を吊(つ)るための環(かん)や釘(くぎ)が柱につけられていて、寝室であることがわかる。しかし、勧学院客殿では寝室は建物の中心部にあって周りが部屋で囲まれているので、他の部屋に比べると閉鎖的な感じを受ける。これに対して二条城の御座間(白書院)の寝室は主室である上段の間で、閉鎖的ではない。同様の傾向は桂(かつら)離宮の中書院でもみられ、ここでは次の間に蚊帳のための環がつけられている。
 一方民家では、近世になっても寝室は壁で囲まれた閉鎖的な納戸で、その状態が明治に入っても続いていた。
 現在においても、日本の住宅では畳の上にふとんを敷いて寝るのが普通である。夫婦のためには寝室が用意されるが、子供の場合には子供部屋が勉強や遊びなどの日常生活が行われるなかで寝室としても使われるのが普通である。
 近代になって欧米の影響によって洋風化が進み、寝るのにベッドが用いられるようになり、部屋も板敷きになる傾向が認められるが、この傾向が強くなるのは敗戦後のことである。ベッドを使う場合には、ふとんのように使わないときにしまうことができないので、寝室あるいは子供部屋が和式の場合に比べて広くなる。
 ヨーロッパの住宅で寝室としてのベッドルームが明確に独立してとられるようになるのは18世紀ごろのことであろう。それ以前の個人の居室のようすは、絵画によれば、ベッドが置かれるだけでなく、湯に入る桶(おけ)があり、さらに同じ部屋の中で会食する光景がしばしばみられ、さまざまな個人の生活のすべてが一つの部屋を共用していたと考えられる。[平井 聖]

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精選版 日本国語大辞典

しん‐しつ【寝室】
〘名〙 寝るとき使う部屋。ねや。ねま。寝所。
※西洋聞見録(1869‐71)〈村田文夫〉後「又洋人寝室中に器を備へて之にす」 〔後漢書‐蘇不韋伝〕

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