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富本節【とみもとぶし】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

富本節
とみもとぶし
三味線音楽の一流派。一般には単に「富本」と呼ぶ。豊後系浄瑠璃の一派。寛延1 (1748) 年1世富本豊前掾によって創流。1世は,初め宮古路豊後掾 (豊後節の始祖) の門下で宮古路品太夫と称した。豊後節が幕府により禁止されたのち,宮古路豊後掾の弟子で常磐津節の創始者1世常磐津文字太夫の傘下に入り,常磐津小文字太夫と名のり,家元のワキを語る。のちに改名独立して富本節を開く。したがって富本節は豊後節から直接出たともいわれ,あるいは常磐津節から派生したともいわれる。2世豊前掾のとき富本節は全盛期を迎え,名見崎徳治,鳥羽屋里長らの三味線方と協力して多くの名作を生んだが,3世豊前掾の頃から,富本節から分派した清元節の台頭に押されて衰退の一途をたどる。4世 (のちに6世) 豊前掾は流派再興に努めたが,再び隆盛することはなかった。彼の死後は,7世豊前太夫が継ぐ。ほかに新派家元として1世富本豊前 (女性) ,その養女の2世豊前が活躍した。現在女性によって伝承されている。おっとりとして重厚な常磐津節に対して,富本は軟弱優艶な味を特色として流行したが,2世豊前掾のときに分派した清元が一層粋で軟弱な味を強調するに及んで,富本節の存在は中途半端となり,次第に衰微していった。しかし代表曲のかなりのものが清元節として伝承されている。そのほか山田流箏曲では,1世中能島松声らによって富本節の曲の移入が行われた結果,『桜七本』『六玉川』などが富本移曲物として行われているほか,『七福神』などの富本風の浄瑠璃との掛合物や,『伏見』などの富本色の濃い作品も作られた。代表曲『浅間嶽』『梅川』『老松』『鞍馬獅子』『高尾懺悔』『忠信』『長生』『身替お俊』『六玉川』。

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デジタル大辞泉

とみもと‐ぶし【富本節】
浄瑠璃の流派の一。寛延元年(1748)に、江戸で富本豊志太夫(のちに豊前掾(ぶぜんのじょう))が常磐津節(ときわずぶし)から分かれて創始。常磐津節と清元節の中間的節回しで、安永・天明(1772~1789)ごろ全盛を誇ったが、その後衰退。現在は古曲の一つとされている。

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世界大百科事典 第2版

とみもとぶし【富本節】

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大辞林 第三版

とみもとぶし【富本節】
浄瑠璃の一流派。常磐津節から分派して1748年に富本豊前掾ぶぜんのじようが創始。歌舞伎の浄瑠璃として約半世紀間は常磐津節をしのいで盛行。その後はそこから分派した清元節に押されて衰退に向かった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

富本節
とみもとぶし
浄瑠璃(じょうるり)の一流派。常磐津(ときわず)、清元(きよもと)とともに豊後(ぶんご)三流の一つ。宮古路豊後掾(みやこじぶんごのじょう)の門人文字太夫(もじたゆう)が1747年(延享4)に常磐津節を創始したとき、ワキを勤めた小文字太夫(1716―64)が翌年独立、富本豊志(とよし)太夫と改名して一流を樹立したのに始まる。この豊志太夫は49年(寛延2)に受領(ずりょう)して豊前掾(ぶぜんのじょう)藤原敬親(たかつぐ)を名のり、宮崎忠五郎を相三味線(あいじゃみせん)とし、さらに60年(宝暦10)筑前掾(ちくぜんのじょう)を受領した。いまに残る祝儀曲『長生(ちょうせい)』は、富本旗揚げの披露曲として、松江城主松平宗衍(むねのぶ)の作詞といわれる。
 2世富本豊前太夫(ぶぜんだゆう)(1754―1822)は初世の実子午之助(うまのすけ)が、2世豊志太夫から1777年(安永6)に継いだ。彼は面長な顔だちから「馬づら豊前」とあだ名されたが、天性の美声に加えて節回しも巧者で満都の人気を集め、近世の名人とうたわれ、常磐津を凌駕(りょうが)して全盛を誇った。この2世の演じた『浅間(あさま)』は富本の代表曲として残っている。1817年(文化14)受領して豊前掾藤原敬政を名のった。しかし、晩年には時代嗜好(しこう)の推移から新感覚に適合した清元節が分派誕生し、焦慮のうちに没した。
 3世豊前太夫(1805―76)は2世の養子。2世には実子がなく、5世瀬川路考(ろこう)の兄豊太郎を養子にしたがこれが早世したため、2世没後の1823年(文政6)江戸・日本橋人形町の鬘屋(かづらや)善八の子林之助を養子にして2世午之助と改名、28年に3世を相続させたものである。3世は51年(嘉永4)に受領して豊前掾藤原秀広を名のり、翌年には豊前大掾、59年(安政6)に隠居して豊珠翁と号した。
 4世豊前太夫(1830―89)は3世の長男保太郎が1852年(嘉永5)に継ぎ、衰退する流儀の再興に尽力したが、隆盛期の清元に押され、人気挽回(ばんかい)は及ばなかった。この4世は70年(明治3)に豊洲と改名、75年には実子玉次郎に5世を継がせたが、5世が早世したため、ふたたび6世を襲名している。
 6世(=4世)の死後、一時名跡が絶えたが、7世豊前太夫(1890―?)を榎本(えのもと)清久が相続し、1909年(明治42)に襲名している。8世(1857―1933)は本名坂田らく。1909年に新派をたてて富本都路(みやこじ)を名のり、20年(大正9)に富本豊前を名のった。以後、9世を8世の養女が、10世を9世の夫が継いだが、この10世は名義だけである。そして、平井澄子らとともに「富本研究会」をおこして富本の復興に尽力した石川潭月(たんげつ)(本名正博、1929―83)が1980年(昭和55)に11世を襲名したが、わずか3年で病没し、豊前の名は絶えている。
 一方、三味線方では、初世豊前掾とコンビの宮崎忠五郎以下、2世の相三味線は初世名見崎徳治(なみざきとくじ)(?―1810)が勤め、『おしどり』『鞍馬獅子(くらまじし)』『浅間(あさま)』『身替りお俊(しゅん)』などの名曲を残した。名見崎は富本と縁が深く、7世まであるが、7世徳治(1845―1917)は3世得寿斎(とくじゅさい)と改名、富本の衰運挽回に努めたが、家元派と意見があわず、1900年(明治33)名見崎派をたてた。また鳥羽屋里長(とばやりちょう)を名のる代々も、富本の流派発展に貢献している。
 富本節の特色は、艶麗(えんれい)で繊細な節回しを常磐津よりも強調するが、粋(いき)でしゃれた技巧的な発声法の清元の出現によって、滋味に富む上品さが聴衆の嗜好にそぐわなくなり、時流に取り残されたのではないかと思われる。現今では、山田流箏曲(そうきょく)のなかにその特色が生かされているともいえよう。なお代表曲には、前述のほか『檜垣(ひがき)』『梅川(うめがわ)』『高尾さんげ』『長作(ちょうさく)』『山姥(やまんば)』『忠信(ただのぶ)』などがあり、そのほとんどは清元に移されて上演、演奏されている。[林喜代弘]

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精選版 日本国語大辞典

とみもと‐ぶし【富本節】
〘名〙 浄瑠璃節の一派。寛延元年(一七四八)に、宮古路豊後掾の門人の常磐津小文字太夫が独立して語りはじめたもの。常磐津節よりも繊細で高雅、その節まわしは技巧に富む。門下斎宮太夫と二代目豊前太夫によって、安永~天明(一七七二‐八九)頃には常磐津節をしのぐ全盛を示した。〔随筆・守貞漫稿(1837‐53)〕

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