Rakuten infoseek

辞書

宗義智【そうよしとし】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

宗義智
そうよしとし
[生]永禄11(1568).対馬,豊
[没]慶長20(1615).1.3. 対馬,府中
戦国時代の武将,対馬島主。将盛の子,母は武末氏。「よしとも」ともいう。初名は昭景,幼名は彦七。法名は万松院殿石翁宗虎。刑部少輔。義調 (よししげ) の嗣子となり,天正7 (1579) 年封を継いだ。文禄・慶長の役には小西行長に従って功を立て,講和の議に尽力した。治世 37年に及び,宗氏中興の祖といわれる。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

宗義智 そう-よしとし
1568-1615 織豊-江戸時代前期の大名。
永禄(えいろく)11年生まれ。宗将盛(まさもり)の5男。天正(てんしょう)7年12歳で兄宗義純(よしずみ)の跡をつぎ対馬(つしま)(長崎県)の守護となる。宗義調(よししげ)が後見。16年守護に復帰していた義調の死により再任。豊臣秀吉朝鮮出兵には小西行長軍の先陣をつとめた。戦後は,徳川家康の命により朝鮮との国交修復につとめ,慶長10年講和を成立させた。対馬府中藩主宗家初代。慶長20年1月3日死去。48歳。初名は昭景。通称は彦三。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

そうよしとし【宗義智】
1568‐1615(永禄11‐元和1)
対馬藩藩祖。初め昭景,対馬守,侍従従四位下。豊臣秀吉の命により朝鮮外交に奔走,1591年(天正19)通信使来日を実現するなど戦争回避に努力。文禄・慶長の役に小西行長とともに活躍,肥前に領知1万石を与えられた。戦後も重臣柳川調信(しげのぶ)らと国交回復に尽力した。1605年(慶長10)講和が成立,以後朝鮮関係の独占を許された。室は小西行長女,のち離婚。【荒野 泰典】

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

そうよしとし【宗義智】
1568~1615) 安土桃山・江戸初期の武将。対馬国主。名は昭景。文禄・慶長の役では先鋒。江戸幕府下で、朝鮮との条約締結に尽くした。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

宗義智
そうよしとし
(1568―1615)
安土(あづち)桃山時代~江戸初期の武将。対馬(つしま)藩祖。14代将盛(まさもり)五男。永禄(えいろく)11年対馬に生まれる。初め足利義昭(あしかがよしあき)の1字を受け昭景(あきかげ)、のち義智に改称。1579年(天正7)12歳で家督を継いだが(19代)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の九州征伐に際して、隠居後も引き続き家政を補佐していた16代義調(よししげ)がふたたび当主となり、義智を嗣子(しし)とした。秀吉に服属した直後に義調は没し、改めて義智が当主となった。その後は秀吉の命により朝鮮外交に奔走し、91年には通信使来日を実現し、従四位下侍従(じゅしいげじじゅう)、対馬守(かみ)に補任(ぶにん)。その後も戦争回避に努力したが、成功しなかった。文禄(ぶんろく)・慶長(けいちょう)の役では小西行長(こにしゆきなが)とともに各地に転戦、また早期講和に努めた。戦後は重臣柳川調信(やながわしげのぶ)・以酊庵(いていあん)住持景轍玄蘇(けいてつげんそ)とともに国交回復に尽力し、1605年(慶長10)講和成立、以後朝鮮関係の独占を許された。09年己酉約条(きゅうやくじょう)で朝鮮通交を再開。室は小西行長娘。その縁で関ヶ原の戦いでは西軍に属したが、調信の弁明で改易を免れたという。翌年行長娘を離縁。慶長20年正月3日没、自殺との説もあるが真偽は不明。年48。墓所は長崎県対馬市厳原町(いづはらまち)の万松院(ばんしょういん)[荒野泰典]
『田中健夫著『宗義智』(『大名列伝2』所収・1967・人物往来社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

そう‐よしとし【宗義智】
安土桃山・江戸初期の武将。対馬藩藩祖。府中城主。初名は昭景。豊臣秀吉・徳川家康の下で、命ぜられて朝鮮との交渉にあたり、文祿・慶長の役で功を立てる。関ケ原の戦いでは西軍に属し、のち日朝国交回復に奔走。永祿一一~元和元年(一五六八‐一六一五

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

宗義智」の用語解説はコトバンクが提供しています。

宗義智の関連情報

関連キーワード

ブリューゲル足利義栄八十年戦争足利義栄足利義昭足利義栄足利義栄コンゴ王国安土桃山時代エリザベス(1世)

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.