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安達謙蔵【あだち けんぞう】

美術人名辞典

安達謙蔵
政治家。熊本県生。号は漢城。日清戦争の際に、朝鮮で「漢城新報」等を創刊。閔妃暗殺事件に連座し逮捕されるが免訴。衆議院議員当選後は、加藤高明内閣逓信相を始めとし、若槻・浜口内閣で内相をつとめるなど、政府の要職を歴任した。昭和23年(1948)歿、85才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

あだち‐けんぞう〔‐ケンザウ〕【安達謙蔵】
[1864~1948]政治家。熊本の生まれ。立憲同志会憲政会民政党の幹部。選挙の神様といわれた。逓相・内相を歴任。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

安達謙蔵 あだち-けんぞう
1864-1948 明治-昭和時代前期の政治家。
元治(げんじ)元年10月23日生まれ。明治28年閔妃(ミンビ)暗殺事件に連座。35年から衆議院議員に当選14回。大正4年の総選挙で立憲同志会を大勝させて「選挙の神様」とよばれた。加藤高明・若槻(わかつき)・浜口内閣で逓信相,内相をつとめた。昭和23年8月2日死去。85歳。肥後(熊本県)出身。済々黌(せいせいこう)卒。号は漢城。

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

あだちけんぞう【安達謙蔵】
1864‐1948(元治1‐昭和23)
政治家。熊本藩士の子。佐々友房の済々黌に学び,日清戦争の最中に渡韓し《朝鮮時報》および《漢城新報》を発刊。1895年閔妃(びんぴ)殺害事件に荷担して下獄し,免訴後,佐々の熊本国権党幹部となり,1902年の第7回総選挙に帝国党から当選,以後連続14回当選。13年桂太郎の立憲同志会創立に参加し,以後憲政会,立憲民政党に属す。この間,国権党時代の選挙指導の経験を生かし大隈重信内閣下の15年総選挙で同志会の大勝に重要な役割を果たすなど,“選挙の神様”と称された。

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大辞林 第三版

あだちけんぞう【安達謙蔵】
1864~1948) 政治家。肥後の生まれ。立憲同志会・憲政会・民政党を率いて総選挙に圧勝、「選挙の神様」と称された。逓相・内相を歴任。満州事変以降は挙国一致体制を提唱し、国民同盟総裁・大政翼賛会顧問などを歴任。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

安達謙蔵
あだちけんぞう
[生]元治1(1864).10.23. 熊本
[没]1948.8.2. 熊本
政治家。熊本済々黌に学ぶ。日清戦争に九州日々新聞記者として従軍後,韓国に渡り朝鮮時報社,漢城新報社を創立したが 1895年閔妃殺人事件に連座,逮捕された。 1902年第7回総選挙に出馬,政界に入り,大同倶楽部中央倶楽部を経て立憲同志会憲政会立憲民政党に属した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

安達謙蔵
あだちけんぞう
(1864―1948)
明治から昭和前期の政党政治家。元治(げんじ)元年10月23日、肥後国(熊本県)に生まれる。済々黌(せいせいこう)に学び、上京して勉学を続けた。1893年(明治26)佐々友房(さっさともふさ)に従って初めて渡韓、1895年から『漢城新報』を発行するとともに、日清(にっしん)戦争には記者として従軍。1895年閔妃(びんひ)殺害事件に関与して拘引され、翌1896年には佐々らと熊本国権党を結成した。1902年(明治35)熊本県から代議士に選出され、官僚派に属して大同倶楽部(くらぶ)、中央倶楽部の結成に努めた。1913年(大正2)桂太郎(かつらたろう)の立憲同志会創立に参画し、以後憲政会の幹部として活躍。1924年には政友会の岡崎邦輔(おかざきくにすけ)とともに護憲三派の成立に尽力、さらに1925年の普通選挙法の成立に努めた。同年第二次加藤高明内閣に逓相として入閣、1929年(昭和4)浜口雄幸(はまぐちおさち)内閣の内相、1931年若槻礼次郎(わかつきれいじろう)内閣にも留任、副総理格の位置を占めた。しかし政友会の一部と結んで協力内閣運動を推進して軍部に接近、閣内不統一の因をつくり内閣総辞職を招いた。総辞職後脱党して1932年にファッショ的政綱を掲げる国民同盟を結成、平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう)擁立を画策して失敗した。選挙の神様といわれ、選挙戦では緻密(ちみつ)な計数と戦略を駆使して辣腕(らつわん)を振るった。[宇野俊一]
『『安達謙蔵自叙伝』(1960・新樹社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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