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安積艮斎【あさか ごんさい】

美術人名辞典

安積艮斎
江戸後期の儒者陸奥生。名は重信、字を思順、別号に見山楼。佐藤一斎林述斎に学び、私塾見山楼を開く。また詩文家としても名を得る。二本松藩儒・藩校教授・昌平黌教授。万延元年(1860)歿、76才。

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デジタル大辞泉

あさか‐ごんさい【安積艮斎】
[1791~1861]江戸後期の儒学者。別号、見山楼。岩代(いわしろ)の人。佐藤一斎林述斎に学び、のち昌平黌(しょうへいこう)教授。著「艮斎文略」「見山楼詩集」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

安積艮斎 あさか-ごんさい
1791-1861* 江戸時代後期の儒者。
寛政3年3月2日生まれ。江戸にでて佐藤一斎,林述斎にまなぶ。神田駿河台(するがだい)に私塾をひらき,のち陸奥(むつ)二本松藩の藩校敬学館教授をへて嘉永(かえい)3年昌平黌(しょうへいこう)教官となった。万延元年11月21日死去。70歳。陸奥郡山(こおりやま)(福島県)出身。本姓は安藤。名は重信,信。字(あざな)は思順。通称は祐助。別号に見山楼。著作に「艮斎文略」「史論」など。
【格言など】半途にて懈(おこた)れば前功を失い未熟にかえる(「艮斎閑話」)

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

あさかごんさい【安積艮斎】
1791‐1860(寛政3‐万延1)
江戸後期の儒者。朱子学派。名は重信または信,字は思順,通称は祐助。陸奥安積郡郡山に生まれ,父は同地の八幡宮の神官。江戸に出て佐藤一斎の学僕となり,ついで林述斎の門に入る。江戸で開塾ののち,天保末年二本松藩校の教授となり,1850年(嘉永3)昌平黌の教官となる。著作は《艮斎文略》《艮斎史略》《朱学管窺》《荀子略説》《史論》《艮斎間話》など。【衣笠 安喜】

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

あさかごんさい【安積艮斎】
1790~1860) 江戸後期の儒学者。陸奥国安積郡郡山の人。名は重信、別号、見山楼。江戸に出て佐藤一斎・林述斎に学び、神田駿河台に塾を開く。のち二本松藩儒、また昌平黌こう教授となった。著「艮斎文略」「艮斎間話」など。

出典:三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

安積艮斎
あさかごんさい
[生]寛政3(1791).3.2. 岩代,郡山
[没]文久1(1861).3.30. 江戸
江戸時代後期の儒学者。名は信,字は思順,通称は祐助。幼時に二本松藩儒今泉徳輔に師事,のち江戸に出て佐藤一斎の学僕となる。次いで林述斎の門に遊び,文化 11 (1814) 年神田駿河台に塾を開く。天保 14 (43) 年二本松藩校の教授を経て,嘉永3 (50) 年江戸昌平黌の教授となり,師一斎とともに子弟を育成する。著作『大略』 (31) ,『艮斎文略』『詩略』『史論』『遊豆記録』『東省日録』『艮斎間話』『煕朝名賢録』『烈婦伝』『加藤清正伝』『魏叔子文抄』『論語び註』『南柯余編』『洋外記略』『論語簡端録』『記事本末評本』など。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

安積艮斎
あさかごんさい
(1791―1860)
江戸末期の朱子学者。寛政(かんせい)3年3月2日二本松藩の郡山(こおりやま)(福島県)に生まれる。名は重信、字(あざな)は子順(しじゅん)。17歳で江戸に出て佐藤一斎の学僕(がくぼく)となり、苦学力行。20歳のとき大学頭(だいがくのかみ)林述斎(はやしじゅつさい)に入門する。1814年(文化11)神田駿河台(するがだい)に私塾を開く。詩文に優れ、文名ようやく高まり、1843年(天保14)二本松藩校敬学館の教授となる。1850年(嘉永3)には昌平黌(しょうへいこう)教授にあげられた。多くの英才がその門下から出ている。万延(まんえん)元年11月21日没。著書には『艮斎文略』『艮斎詩略』『史論』『艮斎間話』などがある。[渡部正一]

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367日誕生日大事典

安積艮斎 (あさかごんさい)
生年月日:1791年3月2日
江戸時代末期の儒学者;陸奥二本松藩士
1861年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

あさか‐ごんさい【安積艮斎】
江戸後期の儒者。陸奥国安積郡郡山の人。名は重信。字は思順。通称祐助。江戸に出て佐藤一斎、林述斎に師事。神田駿河台に家塾を開き、晩年に昌平黌(しょうへいこう)教授となる。著「艮斎文略」「艮斎間話」「見山楼詩集」「海外紀略」など。寛政二~万延元年(一七九〇‐一八六〇

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