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守邦親王【もりくにしんのう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

守邦親王
もりくにしんのう
[生]正安3(1301).京都
[没]元弘3=正慶2(1333).8.16. 京都
鎌倉幕府第9代将軍 (在職 1308~33) 。後深草天皇の孫。将軍久明親王の子。母は惟康親王の娘。延慶1 (08) 年征夷大将軍となり,次いで親王宣下文保1 (17) 年二品に進んだ。元弘3=正慶2 (33) 年鎌倉幕府の滅亡とともに将軍職を退き,出家した。

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デジタル大辞泉

もりくに‐しんのう〔‐シンワウ〕【守邦親王】
[1301~1333]鎌倉幕府第9代将軍。在職1308~1333。第8代将軍久明親王の子。鎌倉幕府の滅亡とともに退任し、出家。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

守邦親王 もりくにしんのう
1301-1333 鎌倉幕府9代将軍。在職1308-33。
正安(しょうあん)3年5月12日生まれ。久明(ひさあきら)親王の子。母は惟康(これやす)親王の娘。徳治(とくじ)3年父にかわり8歳で将軍にたてられ,同年親王となる。正慶(しょうきょう)2=元弘(げんこう)3年5月北条氏の滅亡で出家。鎌倉幕府最後の将軍となった。同年8月16日死去。33歳。

出典:講談社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

守邦親王
もりくにしんのう
(1301―1333)
鎌倉幕府第9代将軍。後深草(ごふかくさ)天皇の孫。父は第8代将軍久明(ひさあき)親王。母は第7代将軍惟康(これやす)親王の女(むすめ)。1308年(徳治3)8月幕府の意向で父にかわり将軍にたてられ、9月19日親王となり、三品(さんぼん)に叙せられた。17年(文保1)4月19日内裏(だいり)新造の賞により二品にあがる。33年(元弘3)5月22日幕府の滅亡に伴い出家し、8月16日没した。鎌倉幕府最後の将軍とはいえ、その実は北条氏の傀儡(かいらい)にすぎなかった。[近藤成一]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

もりくに‐しんのう ‥シンワウ【守邦親王】
鎌倉幕府第九代将軍。八代将軍久明親王の王子。母は七代将軍惟康親王の娘。延慶元年(一三〇八)父のあとをうけ将軍宣下、ついで親王となる。元弘三年(一三三三)幕府滅亡の際に出家し、間もなく死去。正安三~元弘三年(一三〇一‐三三

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