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宇和島藩【うわじまはん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

宇和島藩
うわじまはん
古くは板島藩という。江戸時代,伊予国 (愛媛県) 宇和郡宇和島地方を領有した藩。関ヶ原の戦い後慶長5 (1600) 年藤堂高虎が同国国府に転じて以来戸田氏,富田氏がしばらく歴任,同 18年富田氏除封,翌 19年仙台藩主伊達政宗の子秀宗がこの地に 10万石を受け,板島を宇和島と改め,以後廃藩置県まで伊達氏が在封した。この間,明暦3 (57) 年伊達宗純に吉田藩3万石を分知,元禄9 (96) 年 10万石に復した。伊達氏は外様,江戸城大広間詰。幕末の藩主伊達宗城 (むねなり) は公武合体派として活躍した。

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藩名・旧国名がわかる事典

うわじまはん【宇和島藩】
江戸時代伊予(いよ)国宇和郡宇和島(現、愛媛県宇和島市)に藩庁をおいた外様(とざま)藩。藩校は明倫館(めいりんかん)。豊臣秀吉(とよとみひでよし)の四国征伐のあと、この地は戸田勝隆(かつたか)、藤堂高虎(とうどうたかとら)、富田信高(のぶたか)と領主が変わり、1615年(元和(げんな)1)に伊達政宗(だてまさむね)の長男秀宗(ひでむね)が10万石で入封(にゅうほう)、以後は明治維新まで伊達氏による藩政が9代続いた。5代藩主の村候(むらとき)は、享保の飢饉で打撃を受けた藩財政を立て直すため、倹約令の制定、紙の専売化、藩校内徳館(明倫館の前身)の創設など一連の改革を行って財政再建を成功させた。また、幕末四賢侯(しけんこう)の一人といわれる8代藩主の宗城(むねなり)は、公武合体派の有力大名として活動、藩の西欧化と富国強兵を進めたほか、高野長英(ちょうえい)、村田蔵六(ぞうろく)を抜擢(ばってき)するなど名藩主と称された。1871年(明治4)の廃藩置県で宇和島県となり、その後、神山(かみやま)県を経て、73年愛媛県に編入された。

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

うわじまはん【宇和島藩】
伊予国(愛媛県)宇和郡宇和島に藩庁を置いた外様中藩。豊臣秀吉の四国征伐後,宇和郡は1587年(天正15)戸田勝隆,95年(文禄4)藤堂高虎が領主となり,高虎は板島丸串城を本城として築城した。1608年(慶長13)富田信高が領主となり,15年(元和1)伊達政宗の庶長子秀宗が宇和郡10万石の領主として入部し,以後廃藩まで伊達氏9代の治世が続いた。秀宗は18‐35年(元和4‐寛永12),父政宗の隠居料として3万石を割き,この間宇和島藩は7万石であった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

宇和島藩
うわじまはん
伊予国(愛媛県)宇和郡地方を領有した外様(とざま)藩。1614年(慶長19)伊達政宗(だてまさむね)の庶長子秀宗(ひでむね)が伊予国宇和郡10万石の領主となり、翌年板島丸串(いたじままるぐし)(宇和島)城を居城として成立した。1618~1635年(元和4~寛永12)秀宗は政宗の隠居料として3万石を割き、1657年(明暦3)五男宗純(むねずみ)に吉田藩3万石を分知(ぶんち)して7万石であった。1696年(元禄9)3代宗贇(むねよし)は表高(おもてだか)を10万石に高直しをした。1620年(元和6)には秀宗が惣奉行(そうぶぎょう)山家(やんべ)清兵衛の成敗を命じる事件があり、清兵衛はのちに寃罪(えんざい)と認められ、和霊(われい)神社に祀(まつ)られた。正保(しょうほう)検地、寛文(かんぶん)検地ののち藩制は整備され、鬮持(くじもち)制という特有の土地制度が施行され、強権をもつ庄屋(しょうや)制も完成した。享保(きょうほう)の飢饉(ききん)後財政が窮乏し、5代村候(むらとき)の寛保(かんぽう)~宝暦(ほうれき)期(1741~1764)の改革により体制は再建された。天明(てんめい)・寛政(かんせい)期(1781~1801)以降ふたたび財政は窮乏し、庄屋は豪農化して村方(むらかた)騒動の続発をみた。7代宗紀(むねただ)は文政(ぶんせい)・天保(てんぽう)期(1818~1844)の殖産興業を軸とした改革を成功させた。それは佐藤信淵(のぶひろ)の経済学の導入や威遠(いえん)流砲術の確立を含んでいた。8代宗城(むねなり)はさらに富国強兵策を進め、また幕末四賢侯の一人として、一橋(ひとつばし)派、公武合体派の有力大名として活動した。国産には木蝋(もくろう)、和紙、干鰯(ほしか)などがある。藩学は1747年(延享4)内徳館(ないとくかん)として創設され、敷教館(ふきょうかん)、明倫館(めいりんかん)と改称された。嘉永(かえい)年間(1848~1854)には高野長英(ちょうえい)、村田蔵六(ぞうろく)(大村益次郎(ますじろう))が来藩して蘭学(らんがく)が栄え、軍事、医学の近代化に貢献した。[三好昌文]
『『新編物語藩史 第10巻』(1977・新人物往来社)』

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